海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

路地裏で見つけた写真館

2024-08-22 | 写真日記

 

1970年代後半に大学の写真学科を卒業後に、東京へ行こうと決めた直後に入婿を条件に写真館の跡取り話が二つ。丁重にお断りしたのは言うまでも無い。当時の写真学科には写真館の息子も多かったが、その後は徐々に絶滅危惧種に指定された職種。また、当時のデザイナー学科の先生は写植が出来れば一生食えるよと生徒に言っていたのを思い出すが、今世紀に入り徐々に絶滅危惧職種に。何事も永遠に続くとは限らない。

上海の地下鉄内には中吊り広告なんてなくモニターで広告が流れているが、誰もモニターなんて見てない。2003年に上海で借りた事務所のエレベーター内には、すでにモニターが付いていて商品や不動産広告が流れていた。当時は人海戦術でSDカードを使いデータを入れ替えていた。あー、将来日本もこうなるなと思った。日本に住み日本だけ見ていると、世界の流れが読めないと今も思っている。

☆運動会や修学旅行など学校の行事を撮影するカメラマン不足が一時期問題になっていたようだが、多くのカメラマンが敬遠しているのはギャラが安すぎるのも理由のひとつ。また、プライバシーだとかうちの子の写真が少ないと文句を言うバカ親の話も聞いた事がある。今も卒業アルバムというのがあるようだが、今後も必要なのかとも思う。そんなの集合写真だけで良いような気がするけどね。


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