それにしても、蒸し暑いなあ。
毎年、この時期になると、凍らせて首に巻く
アイスノン的なものを愛用してるのですが、
まあ、それの融けるのが早いこと。。。
さて本題、昨日のブログの続きです。
環境に起因する問題としては、
「仮に、何らかの問題が発生したとしても、
自分の処遇には関係ない」
という現状が上げられると思っています。
例えば、人事考課の例一つとっても、教師の世界は、
教師以外の公務員の世界から見てさえ、少し、異常です。
ゆるいゆるいといわれる公務員の世界でさえ、
大きい意味での人事考課は行われています。
例えば、西宮市の場合、1~3級が役なし、4級が係長、5級が課長、
6級が部長、7級が局長という風になっており、級が上がらないと
役職も上がりませんし、昇給の幅も広がりません。
ところが、西宮市で雇用されている正規の教師の場合、
2級が一般教師、4級が教頭、5級が校長という三段階のみ。
教頭・校長にならない限りは、ずっと、同じ給料テーブルに沿って、
給料額が変わっていく、完全無欠の年齢序列の世界です。
「完全無欠」といったのには、わけがあります。
それは、厳密な意味での考課は、ほぼ全く行われていない、
ということです。
今年の三月議会で、市内のある学校の教師が、
毎日、出てきたらすぐにどこぞの部屋に引きこもり、授業も受け持たず、
校務も一切、行わないという状況が長年、続いていたことが
明らかにされました。
この教師が引きこもっていた期間、1年とか2年とかいう
かわいらしい期間ではないようです。
ところが、その間、その教師、他の教師と全く変わりなく、
ずーーーっと、同年齢の他の教師と同じだけ、
お給料は上がり続けていたのです。
こんな極端な例でさえ、こうですから、
他は推して知るべきでしょう。
もちろん、考課さえ行えば、問題が解決するなどとは思っていません。
また、他の価値観に比較して、
公平・平等といったあたりが著しく重視されるうえ、
評価軸の設定自体が、きわめて困難と思われる教師の世界において、
「考課する」ことの難しさは言うまでもないでしょう。
でもね、この現状、ある意味、とかく批判されることの多い、
いわゆる地方公務員よりも、よっぽど深刻だと思うのですよ。
未来の日本を背負う、小さな子供たちの未来をも形作る、
大事な役割を教師という職業が担っているのだと考えれば、なおのこと。
大手マスメディアで言われる対策とかももちろん重要だとは思いますが、
他にも、もっと見直すべきこと、あると思うのですよ。
そして、そこを見過ごしたままでは、
結局、対症療法にしかならんのではないかいな、と。
難しい問題ですが、こういったことも考えていくべきだと思うのです。