青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

ゲームと演技

2008年08月13日 | 人生設計

今世間は、五輪、オリンピックに沸きかえっている。また高校野球にも沸きかえっている。そうしたスポーツに沸き返る一方、テレビなどではドラマやバラエティ番組が花盛りである。
こうしたスポーツなどのゲームと、ドラマや演劇などの演技というものが、私達の「人生」に重要な要素を秘めているのだろうか、などと考えてしまう。
ゲームには今日スポーツだけに限らず「マネーゲーム」というものもある。「投機ゲーム」であるし、「仮想ゲーム」である。それは「俺おれサギ」とか「振れ込みサギ」とかも、こうしたゲーム性を持っている。
一方「演技」となると、これは「フィ
クション」即ち「作り話であるし、「やらせ」られたものであり、且つ「捏造」されたものであるという事ができる。

人生というものは、このようなゲーム性と演技性とを持ったものであるものなのだろうか。
確かに私たちが生きる時には、一期一会とも言うべき切磋琢磨な瞬間瞬間の連続の状態にある。それはゲームと良く似ている。しかしこの切磋琢磨は、勝敗に拘ってはいられない重みあるものを持つ。それは農作物を育成していて、自然災害に合うやら天候不順に合うやらして、望み通りにいかないことから思うとよい。
この事は演技性についても言える。どんなに真に迫った演技を演じられても、それを実際の生活とか社会では生かせないものでしかない。何故なら演技の時は存在せず、真実の時しか存在しないからに他ならない。
もし演技が演技としてドラマのように存在できるなら、ドラマのように苦しみや悲しみも大団円になるだろう。
しかし本当の真実の人生は、そんな甘いものじゃない。