青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

議員は日雇い労働者に

2008年08月27日 | 短歌に政治や社会
「一政治家として説明を」 首相、慎重な対応姿勢(共同通信) - goo ニュース

27日午後7時30分からのNHK総合テレビで「日雇い派遣労働者」に関する番組を、夕食のため半分ほどだが見た。
「日雇い派遣禁止法案」が可決したという事は知っていたが、その詳しい内容については知らなかった。それはさて置いて、そういう法案を審議した議員が閣僚にもなっていて、こういう事務所問題を起こしているのを見る時、このような人達には正社員のように「給料、歳費、共済」など諸手当が与えられていると思うと、こういう人達が「日雇い労働者」であるべきだ、と思ってしまう.
だが「法にのっとって」こういう人達には、そういう特権が与えられている。
そういう、不可思議なまやかしいものがある。
こちらこそ、「法にのっとって」、即ち憲法の「平等」の精神にのっとって、そういう待遇を受ける事が違法と言いたい。
最も今の世の中、「日雇い労働者」のように手弁当で政治に関わろうとする政治家なんて、いないだろうが///。

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人は何故生きる(下)

2008年08月27日 | 人生設計
人が「人らしく」生きようとする時、それが「人が何故生きるか」の答えとなるだろう。
人は「ただ単に人」としてあるのではなく、生命あるものとして生きているならば、「人らしく」あらねばなるまい。人であるまじき思いや、行いに生きる事はあってはなるまい。
ここに載せた「ユリの花」のように、「ユリの花」は「ユリの花」として懸命に生きている。


他に頼らず、他に寄りかからず、それでいて自然の営みを素直に受け入れている。
「こうされたから、ああされたから」といって恨みもせず、報復や復讐する事もなく、他をからかい、中傷し、いじめる事もなく、「金銭、名誉、地位」に捉われもしていない。
それはまさしく「神が更に神らしく、仏が更に仏らしく」勤め励むような姿である。
しかし人は、さもしい。何やかやと、欲に駆り立てられる。そして泣き、苦しみ、怒り、恨み、呪う。
こういう私たちのために、教育というものがあり、道徳というものがあり、哲学というものがあり、宗教というものがある。それらは「人が人らしく」なるためのものであったはずなのに、人は欲望を募らせる事にと取り違えている。
厳密に言えば、人の生命は自然の摂理に従っている。然れども、その生命に付随している「精神、心」は、身勝手で我侭に振舞っている。この身勝手で我侭な「精神と心」をどのように導き正していくかが、それが「人は何故生きるか」ということへの答えともなる。
それに又、この身勝手で我侭な「精神と心」をどのように導き正していくかは、一秒一刻の瞬間瞬間の行いによって決定される。即ち「一期一会」である。
だから「これだけしたから、あれだけしたから」と安穏としてよいものではない。それだけでなく、この事は「過去と未来」ともかかわりを持っている。
「過去と未来とのかかわり」といっても、「これだけした、あれだけした」ということではなく、過去の経験をどう「正しく生かす」ということにある。「未来に生かす」ということにある。
ただ「目先」の目標だけを目指せばよいというものではない。「目先の目標」だけを目指していたから、今日私達は、地球温暖化や食糧危機、物価高騰と言ったものにさいなまれているばかりでなく、原爆やミサイル、クライスター爆弾など兵器が開発されて使用されて、世界は騒がしい。
「人が人らしく生きる」ということを自覚するとき、「人が何故生きる」ということを知ると同時に、今私たちがだかえている色んな問題も氷解していくかもしれない。

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