人間が、憲法に「民法、司法、安全保障」などについて定めようとするのは、愚かだからである。「愚か」である事を、白状している。
それは、人間が「外性生物」ではなく、「内性生物」だからであるからである。
「内性生物」とは、普通生物は「外のもの」に対して対処しようとする。ところが人間の場合、この「外のもの」よりも、「内部のもの」に対して対処しようとする働きのほうが強い。
これは言い換えると、「人間同士の揉め事」に対して、対処する事に費やすのである。
この「人間同士の揉め事」のために必要なのが、「民法、司法、安全保障」である。
こうしたこと、同じ「種」同士が揉める」様な事は、他の生物では行われない。
尤も、例えばサルの場合、「ボスの座」をめぐって争うが、これはこの「種」の安全確保者を誰にするかということで争うのであり、このブログで「引導力」の連載を続けた中でも述べたが、「ボスの座」に立って仲間を「引っ張り導こう」とするためでの適格者選びである。人間の場合のように「権力、地位、領地、金銭」などをめぐる為のものでは無い。はたまた「報復、復讐、制裁」なども画策したりはしない。
そういう事をするのは人間だけで、いわば人間というものは「下等動物ともいえ、いや「下等動物」どころか「魔物」という方が似合いそうだ。
このように下等動物ともいえない「魔物」のようなものには、「理想の憲法」を制定しうる資格は無い。国家性も無い。
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以上で「理想の憲法」の観念を示し終わる。
それは、人間が「外性生物」ではなく、「内性生物」だからであるからである。
「内性生物」とは、普通生物は「外のもの」に対して対処しようとする。ところが人間の場合、この「外のもの」よりも、「内部のもの」に対して対処しようとする働きのほうが強い。
これは言い換えると、「人間同士の揉め事」に対して、対処する事に費やすのである。
この「人間同士の揉め事」のために必要なのが、「民法、司法、安全保障」である。
こうしたこと、同じ「種」同士が揉める」様な事は、他の生物では行われない。
尤も、例えばサルの場合、「ボスの座」をめぐって争うが、これはこの「種」の安全確保者を誰にするかということで争うのであり、このブログで「引導力」の連載を続けた中でも述べたが、「ボスの座」に立って仲間を「引っ張り導こう」とするためでの適格者選びである。人間の場合のように「権力、地位、領地、金銭」などをめぐる為のものでは無い。はたまた「報復、復讐、制裁」なども画策したりはしない。
そういう事をするのは人間だけで、いわば人間というものは「下等動物ともいえ、いや「下等動物」どころか「魔物」という方が似合いそうだ。
このように下等動物ともいえない「魔物」のようなものには、「理想の憲法」を制定しうる資格は無い。国家性も無い。
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以上で「理想の憲法」の観念を示し終わる。