青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

党首討論

2009年05月28日 | 短歌に政治や社会

私は障害者、である。
肢体障害がある上に、聴覚障害もある。
そのため、今回などのような「党首討論」などの中継をテレビで見ても、聞こえないし、第一そんな余裕もない。
それで今朝、この「党首討論」の模様を新聞記事で見たわけだが、詳細を見て、

「まるで敵基地攻撃論戦」

だと思った。
相手の弱点、敵失ばかり突こうとしているばかりで、今日現在の金融危機や不況で「最低限度の文化的生活の維持」が危ういというのに、そのための討論がなされていない。意見交換も、無い。
いわゆる「後ろ向き」的な討論ばかりで、前向きになっていない。

こうした党首討論は、まるで野蛮人社会を思わせる。
そしてまた、先にタレントが真夜中に素っ裸になって騒いだことで逮捕されたことで、電話であったかネットであったか忘れたが「警察署への爆破予告」があった。こういうような「敵地攻撃」というようなものが、実社会でも行われている。
暴徒と、同じだし、ヤクザ抗争と、同じである。

こういう政治家が、わが国を操っている。

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清き一票 (下)

2009年05月28日 | 短歌に政治や社会
敵基地攻撃 麻生首相「法理上はできる」(朝日新聞) - goo ニュース

現憲法下において行う「参政権」、すなわち「投票、選挙権」は、他国や人を攻撃するような「銃弾」、あるいは「ミサイル弾」のような性格を持っていない。
「投票、選挙権」には、憲法で歌われているように「平和の希求」と、「民主主義制度の基に最低限度の文化的生活を営む」社会構築を担わせようとの願いをこめた、「清き一票」なのである。
この「投票、選挙権」者の願いに、立候補者は答える必要があるし、答えていかなければならない。
だが当選してしまった後は、周知のとおり、首相までもが

      敵基地攻撃 麻生首相「法理上はできる」

と言っている有様で、私たちの「清き一票」は、いつの間にやら「銃弾やミサイル弾」に代えられようとしている。
こうしたことが故に、社会秩序は乱れ、教育現場も、企業論理も、労働環境も、結婚観などの秩序も乱れ混乱している。
これらはひとえに、国の要になるべき大本が、憲法を大切にしていないことにある。

裁判においても、たとえば「自衛隊」について「合違憲判断」を下さない。下さないどころか、避けて通っている。
もし豪胆な裁判官なら、こうした憲法の根幹にかかわることに関することならば、「自衛隊法」などの成、「国民投票」によって、国民の審判を受けるようにと託すだろう。
しかしそういう裁判官は、司法制度の中には、いないようだ。

「清き一票 (上)」でも紹介したように、「敵基地攻撃」論の陣頭に立つのは、元首相である。
だがこの首相の持論は、「美しい国」であり、「愛国心」であった。
この「美しい国、愛国心」は、現憲法の基が基礎になってこそ言えるという事に、どうもこの人は無頓着らしい。現憲法を逸脱して、「美しい国、愛国心」が育つのか。また「銃後の国」にするのが、「美しい国、愛国心」だと言うのだろうか。
もっとも、いざとなるとまた「投げ出す」から、まともに相手にはなれないが。

「敵基地攻撃」論が台頭するのは、そこには「生存権」が絡んでいるからでもある。
この「生存権」については、別途ブログで述べるとして、私たちには「生存権」というものは、権利として持っていないと言うことを知る必要がある。「生存権」などはないものなのである。
そこのところを間違えているから、「敵基地攻撃」となり、「清き一票」も、おろそかになる。
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