安倍首相、米太平洋軍司令官と北問題について協議
今日の新聞紙面には、北朝鮮にかかわる我が国政府の対応に対する論文のようなものが載っていた。
それは安倍首相が、事あるごとに北朝鮮の核実験やミサイル発射に対して、「圧力や制裁を加えるべし」と言ってはばからないことに対して、そういう行為は我が国に多数の米軍基地があるここに、核ミサイル攻撃を許そうという行為であると決めつけている。
安倍首相があまりにも米国に身を入れすぎているがために、「忘ず憎けりゃ袈裟までも」という風に、言ってみれば我が国は生贄にされることになる。人身御供といってもいい。
核ミサイル攻撃されるのを、歓迎しているような有様になっている。
「憎しみには憎しみをもって、恨みには恨みをもって晴らそうとしてもできない」と言われたのは、お釈迦様である。
だてに歳を取ったのではないなら、「亀の甲より歳の功」と言われるように、こういう事態を丸く収めるように努力が必要だろう。
横田めぐみさん拉致から40年
恵さんが拉致されてから40年たっていられるが、おそらく帰国できることは叶わないだろう。
どうしてこのような悲観的で非人情的なことを言うのかというと、この国の指導者がこのような指導者では決して成果が上げられないからだ。
安倍首相は事あるまいに、「北朝鮮に圧力的制裁をかける」と、公言してはばからない。こう言ってやれば金正恩委員長は、恐れ入ってこちらの軍門に下ると甘く見ている。
金正恩委員長は軍門に下るところかその反対に、激昂してますます意固地になってしまうに違いない。
安倍首相には、安倍政権になってから「新教育基本法」を改訂させたり、また「英語、道徳教育の必須化」をさせようとしているが、そもそも「教育とはどういうものか」について全然わかっていない。
それだから何かと法律化し法令化していき、何彼あると指示を出すとか、関係省庁から自治体などに通達を出して済ませていようとするだけだ。
ここにも「教育の在り方」が、しっかり理解されていないことから起きており、そのためにあたら「死にたい」と言ったりする自殺願望者や、いじめ自殺、過労自殺者が後を絶たなく続いている。
「教育の在り方」とは、一般にしている我々の教育の仕方ではなく、最も重要なのは「自分自身を教育する」という観念をもって教育することにある。
「人を教育する」のではなく、「自分を教育」していくそこに、人への教育の在り方が見つけ出される。
拉致被害者の方たちの救出を願うなら、まず「自分自身の心の教育」を忘れてはなるまい。
座間事件「実名報道はやめて!」黙殺された遺族たちの嘆願
★ 何彼と 教育として 押し付けて
成果はなきし 心の救い 2017/11/14
教育では、金儲けや悪事に優れるようなものを育てている。
だがまだ少女とも言っていい女性たちに「死にたい」という気を抱かせるような、教育しかしていない。
心の救いを教える教育がない。
共同活動、来春具体化へ検討=対北朝鮮決議履行を確認―日ロ首脳
「北朝鮮の非核化」かなんて、開けても暮れても言っている。
大事なことは、また目指し目指さなければならないことは、地球上からすべての非核化を完了すべきこと。
北朝鮮だけに、限ればいいというものではない。
米国の「核の傘」に寄りかかっているものには、何らの口も聞く権利もあり得まい。
【座間9遺体】学校やアルバイト先から哀悼の声 「良い思い出はずっと覚えていたい」「残念でしかたがない」
人間というものは、自己満足を求める生き物である。しかし生命持つもの全ても、自己満足を持っている。
だが本来の生命的な自己満足は、無私的であり無欲的なものだった。それが現代人となってからは、欲望を満足させるための自己満足へと変わってしまっている。
いじめをしては自己満足、虐待しては自己満足。喧嘩をし暴力をふるったり、物を盗ったりするばかりでなく、この事件のように9人も殺害したりして満足しようとしたりしている。そうした果てに、戦争までして満足しようとしている有様だ。
学識あるものが研究して成果を上げて満足しているけれども、それらがミサイルなどや核兵器などの武器などにしようされる。
悲しいことにこの事件の被害者たちも、自己満足を得ようとして、それが迷いの中で見つけようとして被害にあってしまっている。
こうした欲望を満足させる自己満足ではなく、全ての人々が安安らかに生きていかれるような満足を得させるために、宗教というものが存在する。
しかしこの宗教は、欲望を満足させるためのものではなく、無私的で無欲的な教えであるために、多くの人々は嫌ってしまっている。