4月19日付 産経新聞【正論】より
独裁的権限を任す政治家の要件 東洋学園大学教授・櫻田淳氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110419/stt11041903260001-n1.htm
個人的な話で恐縮であるけれども、此度の震災に際して、筆者の故地である宮城県栗原市では7という最高震度を記録し、高校まで過ごした青森県八戸市には、高さ10メートル近くの津波が押し寄せた。筆者にとって「縁」のある土地を軒並み襲った震災であればこそ、筆者は、政治学徒として政府の対応を注視せざるを得なかった。
震災後、日本の大方の「市井の人々」が示した「忍耐」、さらには自衛隊、警察、消防、関係自治体、東京電力関係の「現場の人々」の示した「奮励」は、多くの国々の称賛を呼んでいる。しかしながら、そうした人々の「忍耐」や「奮励」を当然のように恃(たの)みにする統治は、それ自体の質としては最低の部類に属する。
≪及第点には遠い菅政権の対応≫
政治指導層の役割とは、平時においては戦争や災害のような有事に際して人々が「忍耐」を強いられる時間を局限できる仕組みを構築することであり、有事においてはそうした仕組みを適切に機能させることである。震災後1カ月近くの菅直人政権の政策対応は、そうした「忍耐」の時間の局限に明らかに失敗し、その時間を長引かせているという意味で到底、及第点を付けられる代物ではない。
早晩、震災からの「復興」に向けた議論が始まるであろうけれども、その議論に際しては、統治の「復興」の如何(いかん)もまた論題に含まれる。人々の「忍耐」や「奮励」と菅政権の対応における「稚拙」が際立った対照を成していればこそ、震災後の課題としての「統治の『復興』」には、相応の関心が払われるべきである。
ところで、統治の「復興」という文脈で検証されなければならないのは、民主、自民両党における「大連立内閣」樹立の動きへの評価である。確かに、現下の震災には与野党の垣根を越えた対応が要請されるという議論には、誰も異論を唱えないであろう。ただし、この「大連立」の枠組みを語る際には、次に挙げる2つの事実は、踏まえられる必要がある。
第1に、「過去に政権を担ったことのない政党」が「大連立」を主導した事例はない。たとえば、1960年代後半の西ドイツにおいて、クルト・キージンガーを首班とするCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)の「大連立内閣」は、CDU主導のものであった。「過去に政権を担当したことのない政党」であったSPDが自前の内閣を組織したのは、マルクス主義の放棄を趣旨とする政党としての「自己変革」に加え、「大連立内閣」への参加を通じて政権を担う政党に相応(ふさわ)しい「経験の蓄積」を図った上でのことであった。
≪大連立率いるべきは自民党≫
故に、民主、自民両党の「大連立」が成った場合でも、その実態は、自民党主導のものでなければならない。一昨年夏の「政権交代」以前から民主党に問われていたのは、往時のSPDに類する「自己変革」や「経験の蓄積」ではなかったか。そうした過程を経ないまま政権を担当したことにこそ、民主党政権2代の矛盾が表れているのではないか。
第2に、「挙国一致内閣」や「大連立内閣」が出現させるのは実質上、野党の存在を消滅させる「独裁」の風景であるが故に、その首班には相当に高度な政治上の資質や見識が要請される。問われるべきは、菅直人という政治家がそうした実質上の「独裁」を手掛けるに相応しい資質や見識の持ち主であるかということである。
振り返れば、古代ローマには、「独裁官」という官職があった。国家の危急の時に、元老院が任命した臨時にして時限的な官職であり、その権限は誠に広範なものであった。たとえばプルタルコスが著した『英雄伝』(柳沼重剛訳、京都大学学術出版会)には、第二次ポエニ戦争の折に「独裁官」に任ぜられたファビウス・マクシムスの言葉が記されている。
≪大震災は統治の「復興」も求めた≫
「祖国のために何かと恐れるのは恥ではないが、人々の意見を聞いたり、中傷や非難を受けたりして心が動揺するのは、かほどの支配権を持つ者には似つかわしくない」
このファビウス・マクシムスの言葉は、「独裁的な権限」を任せられた政治家に要請されるのが、その権限に拠(よ)って何を行うかという確固とした方針であり、その方針を貫徹する意志であることを伝えている。菅首相には果たしてそうした方針や意志はあるのか。
震災後僅か1カ月近くの間に、「大連立」樹立への動きは浮かんでは消えた。谷垣禎一・自民党総裁は、菅首相からの打診を拒絶する意向を2度も示した。しかしながら、過去の事例に照らし合わせても、現下の「大連立」樹立への模索には無理があったということは、確認されるべきであろう。統治の「復興」に際しての第一歩は、「誰が権力を持ち、その故に誰が最後の責任を背負うか」ということを明示することに他ならない。それは、結局、統治という営みの最も基本的な作法に則(のっと)るということでしかないのである。(さくらだ じゅん)
独裁的権限を任す政治家の要件 東洋学園大学教授・櫻田淳氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110419/stt11041903260001-n1.htm
個人的な話で恐縮であるけれども、此度の震災に際して、筆者の故地である宮城県栗原市では7という最高震度を記録し、高校まで過ごした青森県八戸市には、高さ10メートル近くの津波が押し寄せた。筆者にとって「縁」のある土地を軒並み襲った震災であればこそ、筆者は、政治学徒として政府の対応を注視せざるを得なかった。
震災後、日本の大方の「市井の人々」が示した「忍耐」、さらには自衛隊、警察、消防、関係自治体、東京電力関係の「現場の人々」の示した「奮励」は、多くの国々の称賛を呼んでいる。しかしながら、そうした人々の「忍耐」や「奮励」を当然のように恃(たの)みにする統治は、それ自体の質としては最低の部類に属する。
≪及第点には遠い菅政権の対応≫
政治指導層の役割とは、平時においては戦争や災害のような有事に際して人々が「忍耐」を強いられる時間を局限できる仕組みを構築することであり、有事においてはそうした仕組みを適切に機能させることである。震災後1カ月近くの菅直人政権の政策対応は、そうした「忍耐」の時間の局限に明らかに失敗し、その時間を長引かせているという意味で到底、及第点を付けられる代物ではない。
早晩、震災からの「復興」に向けた議論が始まるであろうけれども、その議論に際しては、統治の「復興」の如何(いかん)もまた論題に含まれる。人々の「忍耐」や「奮励」と菅政権の対応における「稚拙」が際立った対照を成していればこそ、震災後の課題としての「統治の『復興』」には、相応の関心が払われるべきである。
ところで、統治の「復興」という文脈で検証されなければならないのは、民主、自民両党における「大連立内閣」樹立の動きへの評価である。確かに、現下の震災には与野党の垣根を越えた対応が要請されるという議論には、誰も異論を唱えないであろう。ただし、この「大連立」の枠組みを語る際には、次に挙げる2つの事実は、踏まえられる必要がある。
第1に、「過去に政権を担ったことのない政党」が「大連立」を主導した事例はない。たとえば、1960年代後半の西ドイツにおいて、クルト・キージンガーを首班とするCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)の「大連立内閣」は、CDU主導のものであった。「過去に政権を担当したことのない政党」であったSPDが自前の内閣を組織したのは、マルクス主義の放棄を趣旨とする政党としての「自己変革」に加え、「大連立内閣」への参加を通じて政権を担う政党に相応(ふさわ)しい「経験の蓄積」を図った上でのことであった。
≪大連立率いるべきは自民党≫
故に、民主、自民両党の「大連立」が成った場合でも、その実態は、自民党主導のものでなければならない。一昨年夏の「政権交代」以前から民主党に問われていたのは、往時のSPDに類する「自己変革」や「経験の蓄積」ではなかったか。そうした過程を経ないまま政権を担当したことにこそ、民主党政権2代の矛盾が表れているのではないか。
第2に、「挙国一致内閣」や「大連立内閣」が出現させるのは実質上、野党の存在を消滅させる「独裁」の風景であるが故に、その首班には相当に高度な政治上の資質や見識が要請される。問われるべきは、菅直人という政治家がそうした実質上の「独裁」を手掛けるに相応しい資質や見識の持ち主であるかということである。
振り返れば、古代ローマには、「独裁官」という官職があった。国家の危急の時に、元老院が任命した臨時にして時限的な官職であり、その権限は誠に広範なものであった。たとえばプルタルコスが著した『英雄伝』(柳沼重剛訳、京都大学学術出版会)には、第二次ポエニ戦争の折に「独裁官」に任ぜられたファビウス・マクシムスの言葉が記されている。
≪大震災は統治の「復興」も求めた≫
「祖国のために何かと恐れるのは恥ではないが、人々の意見を聞いたり、中傷や非難を受けたりして心が動揺するのは、かほどの支配権を持つ者には似つかわしくない」
このファビウス・マクシムスの言葉は、「独裁的な権限」を任せられた政治家に要請されるのが、その権限に拠(よ)って何を行うかという確固とした方針であり、その方針を貫徹する意志であることを伝えている。菅首相には果たしてそうした方針や意志はあるのか。
震災後僅か1カ月近くの間に、「大連立」樹立への動きは浮かんでは消えた。谷垣禎一・自民党総裁は、菅首相からの打診を拒絶する意向を2度も示した。しかしながら、過去の事例に照らし合わせても、現下の「大連立」樹立への模索には無理があったということは、確認されるべきであろう。統治の「復興」に際しての第一歩は、「誰が権力を持ち、その故に誰が最後の責任を背負うか」ということを明示することに他ならない。それは、結局、統治という営みの最も基本的な作法に則(のっと)るということでしかないのである。(さくらだ じゅん)