以前に、このブログでも少し触れましたが、地域の公立中学校の今年度、第一回
「学校運営協議会」が昨日開催され、参加して参りました。
この会は「学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、学校運営に意見を
反映させることで、一緒に協働しながら子供たちの豊かな成長を支える」ものですが、
自治体の教育委員会の指導のもとに、昨年4月から始まり、二年目となりました。
20年近く前、地域の教育力の低下が叫ばれる中、赴任された校長先生の呼びかけで、
当時のPTA会長や、町内会長、教育ボランティア関係等々の方々が中心となり、
「教育力推進協議会」が創設されました。この会の立ち上げ時のメンバーの一人として
関わってきましたが、先生方のご尽力も頂き、この会を発展的に「学校運営協議会」に
統合することになりました。
この20年近い歳月の中では、時にはやんちゃな生徒も出て、学校もいくつかの波を
経験しました。しかし、この会を定期的に開催し、学校と地域とが情報共有を図りつつ
生徒を中心に据え、先生方と保護者さらには地域の方々が知恵を出し合い、時には
パトロール等々共同行動で問題解決を図ってきました。
さらに、この会が中心となり、地域の有識者に講師として参画して頂き「ふれあい教室」
を開催し、「能」「茶道」「合気道」「コンピュータ入門」等々を始め、多いときは
20数講座を開催してきました。
私も当初から「コンピュータ入門」等の講師を担わせて頂きながら、地域の方々の
潜在的なパワーの凄さを改めて感じてきました。
これら「ふれあい教室」は、中学生を中心としながらも、小学生、さらには地域の方々
にも門戸を開放し、地域での「智の交流」「情報発信」等にも、少なからず貢献
できたと考えています。
「咲き競う 西洋シャクナゲ」
「学校運営協議会」が今後どういう方向に進んでいくのかは、楽しみな部分が
あります。地域と学校が、お互いに信頼し合いながら、地域の次代を託す子供たちの
育成をいかに支援し、実践していくのかの基本は変わらないと考えています。
ボランティアの一人として、若いメンバーと連携しバトンタッチも図りつつ、
元気なうちは、微力ながら関わって行けたらと考えています。 了
【お知らせ!!】
4月24日(月)~4月26日(水)まで「コメントの返信」は、申し訳ありませんが
控えさせて頂きますので、宜しくお願い致します。
激しく移り変わる時代の中で、考えや意見や実践などをすり合わせるのがたいへん難しいと思われることをスタート時からよくつづけていらっしゃいましたね。
しかも「生徒を中心に据える」ということはなかなかできにくいことだと思いますが、それがまとまり、継続し、現在に繋がっているというのは凄いことだと思います。
やはり、智と熱意、努力などによって総合的にいい方向へ導かれたのだと思いますね。
ポエットMさんのお人柄や、誠実に事に当たる姿勢が大きな影響力や力になったものと思われます。
いつも励ましと温かな心の籠ったコメントを頂きありがとうございます。
おっしゃるように、地域の中で「生徒を中心」とした取り組みであっても、様々な価値観と、多様な
考え方を持たれる方もいらっしゃいますので、方針一つを決めるのも喧々諤々の議論が当初から
ありました。
しかし、スポーツリーグの現場でボランティア仲間と長い事やってきましたので、
そのメンバーが核となってまとまって来たことも事実です。
「議論よりも先ず動こう」を合言葉に、トライアル・アンド・エラーで一つ一つ積み上げて
来れたと思っています。これらのメンバーは地域のボランティアはもとより被災地支援等でも
前向き、かつ実践的で私自身も、彼らから多くを学んできました。
従って私自身うんぬんよりも、「子供たちのために」という、地域のメンバーたちの見識と、
立場を越えた協働の力が、一つ一つ繋がってきたのかなとも思っています。
誠実で、実直なメンバーシップは、ネットワークとなり継続と言う点で、
優れたリーダシップを上回ることを、個々の取り組みで学んできました。
ただ、この会は新たな出発となりましたので、これからも手探りで皆さんと共に
力を合わせていきたいと思っています。fumiel-shimaさんの励ましに改めて感謝申し上げます。
暑かったり、寒かったりですね?
今年の花状況は
はやいかな?と思いつつも
いつもの時期を待ってしまいます。
『ツツジ園』を楽しんで来ました🎵
相変わらず
いまいちの句(?)ですが
それも楽しんで
投稿させて頂いてます。
ひと山を ツツジの色に
埋め尽くし 明日(あす)は
散りゆく 一時の夢
山覆う つつじの郷の
鮮やかさ
風に散るゆく 潔ぎ良さかな
宜しくご教示下さいm(_ _)m
今回は4/28日でしたね 。宜しくお願いしますm(_ _)m
ミヤコワスレ
家のトイレの戸を開けてすぐの棚に、この二週間ほど二輪のミヤコワスレが活けてあった。少し暗い部屋なので長くもったのだろう。薄紫のふつうのと、白っぽいピンクのと一本ずつだった。今日それがとうとう枯れ始めたので、僕の手でかえたところだ。濃いピンクのと、細い花弁の小輪で濃い紫のと、普通の薄紫のとの三本に。見つめていると神経が温められるような幸せな気持ちになるので、用を足すときはもちろん、用のないときも戸を開けてながめる。それほどに僕はこの花が好きなのだ。「花のなかで一番いいと思うのはミヤコワスレです」と、この数年人に言うほどである。庭にこの花の蒐集畑も作った。ただそこに白いのがない。来年の春に買うか、人にたずねて、もらおうかと思っている。
さて、人が、「僕が魚で最も美味いと思うのはヒラメだな」とか、「野菜ではナスが一番好きかな」とか言うときには、実はその好きな対象だけを話題にしているのではない。それを好きである自分というものも、やはり語っているのではないか。無意識のうちに語っている場合がほとんどだろうが。
ミヤコワスレ自身の単一で素朴な色や、やはり素朴なすっきりとした一重の花弁が好きだという人は多かろう。また、そういった容姿で、小声だがきちっと自己主張もしているといった感じの可愛らしさに惹かれると語る人も多いだろう。余談だが、これらの表情は、三本くらいまでを切り花にして、やや暗い色調の花瓶に活けると、よく見えてくる花だと思う。しかし、今日ここでは、この花にこんなに惹かれている私というものを表現してみたいと思うのである。
僕は人間に疲れている。押しの強い人はもちろん、遠慮が多い人にも今は疲れてしまう。随筆などによくあるが、人は人間に疲れるとき、自然を親しく感じるものだという。この自然が親しいとは、単にふつうに草木が好きだという程度ではないらしい。浮世のことはノーサンキュウで、自然と、自然に近くなっているような分かりあった身近な人とに逃げ込んでいるような心境と言って良いのかも知れない。僕もこんな心境で花に接しているんだと、いつのころからか気づいた。そんな心にぴったりと通じてくる花が僕の場合、ミヤコワスレだったのである。押し出しが強い花は、たとえすごいと思っても、疲れさせられる人みたいだ。可愛いと親しむけれども、少しきつくて、はしっこい人を感じさせる花もある。素朴なもののなかでも、ぼっーとしたものもあり、やや複雑で安らげぬと感じるものもある。単純素朴な美しさ、表裏を感じさせない自己主張、ミヤコワスレはほっとする安らぎをくれる人と同じだ。見ると神経が温められるように感じるのは、そんなことなのではあるまいか。
ところで、こんなことをかえりみていたある日に、確信したことがある。この花の名前にかかわって、一つの物語を思いついたのだ。もちろん僕の創作だが、そう、この名前の由来はもうこれしかないと。
昔、都に一人の男がいた。境遇にも女性にも不自由なく、天真爛漫に、面白おかしく暮らしていた。そんな彼がいつの頃からか、都人のぎらぎらした表裏に気づき、人の中にそれをさぐるようになってしまった。やがて彼はそのことに疲れ切って、逃げるように任地におもむいた。そこで、なんとなく惹かれる一人の女性に出会ったのである。都の栄枯盛衰にただよっている女性たちとは違う世界の人のようだと感じた。前にもこういう人に出会っていたろうに、どうして気づかなかったのだろうか。こんなふうに彼女を遠くからぼーっと眺めていたある日あるとき、ふっと浮かんだ。
あの花と同じだ。ちかごろ私を幸せな気持ちにしてくれているあの花と。この人も、あの花も、何かほっとする。いろんな世界があるものだな。
男は一人こんなふうにつぶやき、やがていつしか、都を忘れていったという。
私の撮影した拙い「ミヤコワスレ」の写真に目を留めて頂き嬉しいです。
「ミヤコワスレ」に寄せて、文科系さんが記された詩情豊かなエッセーを、学びつつ
拝読させて頂きました。
また、文科系さんが創作された「都人」と「ミヤコワスレ」にまつわる物語も、興味深く
拝読させて頂きました。
「人に疲れる」という実感は、今の世情の中で私も含めて多くの方にあるのでは
ないかと思っています。
そんな時に「ミヤコワスレはほっとする安らぎをくれる人と同じだ」との表現は心に
響いてきます。
なお、「ミヤコワスレ」の名の由来は、鎌倉時代の順徳天皇まで遡ると言われていますね。
承久の乱を起し大敗して佐渡に流刑された順徳天皇は、都を偲んで佐渡に
咲いていた可愛い花を眺め、都への思いを忘れようと和歌を詠んだという伝説が
あります。その伝説から、その花に「都忘れ」という名が付けられたと言われています。
また、藤原定家によって編集された『小倉百人一首』には順徳院の以下の1首が
採録されています。藤原定家の意地も覗き見ることが出来ますが…。
☆ももしきや古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり (順徳院)
これからも、折をみてエッセー等をお寄せ頂ければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
この作品は僕が同人誌(活動)なるものに加わって最初に書いた随筆のようなもの。今から30年近い昔の物で、大好きな作品。ミヤコワスレを観られた嬉しさでつい、ということでした。
この順徳院の歌はもちろん知っていますが、この佐渡の故事を僕は今日まで知らなかった。ちょっと調べてみましたが、この歌に出てくる忍ぶ草と、往年の華やかな朝廷とが、拙作に合致していなくもなく、面白かったです。もっとも、順徳天皇は野心あふれた人だったのでしょうが。宮中の古き軒端に悲憤慷慨していたわけですから。
また時々お邪魔します。
世間ではけっこうPTAの運営が大変だというような事も聞きます。学校はじめいろいろな機関と連携をとって、より良い運営を、と携わっていらっしゃるのには頭が下がる思いです。
シャクナゲの華やかな美しい写真と凛としたミヤコワスレの写真には癒やされました。鎌倉時代ごろからの古い名前だったんですね。順徳院さんは、都への思いに浸り過ぎるよりも、都の事は忘れて今を生きよう、という前向きな気持ちになったんでしょうか?可憐な花にどういう気持ちを乗せたのか、本当のところはわかりませんよね。 ところで、「ももしきや…」の歌は、小さい頃“ももひきや…”と思って「へんなの~」とか言って笑ってましたね。うーむ、アホな子やったなあ…。………失礼しました。
「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
謙遜されて「いまいち」とおっしゃっていますが、決してそうではありませんよ。
「それも楽しんで」がなにより大切と、私も思います。
今の時期『ツツジ園』は鮮やかに咲くツツジに埋め尽くされていると思いますが、
想像するだけで、その見事さが目に浮かびます。
その見事さも雨に叩かれ散りゆく定めにありますが、それでも精一杯咲いて
私たちを楽しませてくれますね。
そんな情景を愛情をこめて詠んで頂いた二首の歌は、私たちの心を打ちます。
一首目の語句を少し変えてみましたが、いかがでしょうか。「一炊の夢」は
「枕中記」の故事からとりました。
★ひと山を ツツジの色に
染め上げて 明日(あす)は
散りゆく 一炊の夢
これからもよろしくお願いします。
ご丁寧に返信いただき恐縮しています。
「ミヤコワスレ」の作品は、同人誌に掲載された文科系さんの最初のものとのこと。貴重な作品を
お寄せ頂き、御礼の申し上げようがありません。
おっしゃるように「歌に出てくる忍ぶ草と、往年の華やかな朝廷」との関りと、展開は「ミヤコワスレ」の
作品の世界と合致していますね。「詩人は半歩先の未来を直観する」と、かつて伺ったことがありますが、
文科系さんは、作品でそれを表現されていたことになりますね。的確な洞察と考えます。
これからも文科系さんの見識と、洞察力に学んで参りたいと思います。
よろしくお願いいたします。