pitocoさんのブログで、私を「しなやかな感性が魅力的」と紹介してくれています。
私はかつてこれを見て、この感性こそが自分自身の強みなのだと確信しました。
他の人からの言葉で自分自身の強みに気付くことってあると思います。
しかしここ最近はこの感性がなりを潜めがちになっていました。
日常のちょっとしたことを言葉にして日記にするのは私の好きなスタイルなのですが、そのための感性のアンテナが弱まっていました。
外を歩いていて何か目に留まるものがあればブログに書いていましたが、それができるのは周囲に興味を持ってアンテナを張っているからです。
周囲に興味を持つ心の余裕がない状態では難しいなと思います。
それでも目白のフォトギャラリーを作った時、感性自体は鈍ってはいないと感じました。
そして「沈む葉っぱと浮かぶ葉っぱ」の記事で紹介したように、子どもの感性の鋭さにハッとさせられるようなこともありました。
そんなわけで私も感性について改めて考えることになりました。
感性という私の強みは、精神状態に大きく左右されます。
疲れている状態ではなかなか発揮できません。
どうやら今は新生活の生活リズムも掴めてきて、再び発揮できる状態になりつつあるようです。
ブログも自分の思ったこと、感じたことを書く比率を以前と同じくらいに戻したいなという気持ちが湧いてきています
そしてそう思えているのなら特に何もする必要はなく、普通に日常を過ごしていれば自然と気になるもの、これはブログに書きたいなと思うものがどんどん出てくると思います。
それこそが感性であり、私が大事にしてきたものです。
これからも大事にしていきたいと思います。
私はかつてこれを見て、この感性こそが自分自身の強みなのだと確信しました。
他の人からの言葉で自分自身の強みに気付くことってあると思います。
しかしここ最近はこの感性がなりを潜めがちになっていました。
日常のちょっとしたことを言葉にして日記にするのは私の好きなスタイルなのですが、そのための感性のアンテナが弱まっていました。
外を歩いていて何か目に留まるものがあればブログに書いていましたが、それができるのは周囲に興味を持ってアンテナを張っているからです。
周囲に興味を持つ心の余裕がない状態では難しいなと思います。
それでも目白のフォトギャラリーを作った時、感性自体は鈍ってはいないと感じました。
そして「沈む葉っぱと浮かぶ葉っぱ」の記事で紹介したように、子どもの感性の鋭さにハッとさせられるようなこともありました。
そんなわけで私も感性について改めて考えることになりました。
感性という私の強みは、精神状態に大きく左右されます。
疲れている状態ではなかなか発揮できません。
どうやら今は新生活の生活リズムも掴めてきて、再び発揮できる状態になりつつあるようです。
ブログも自分の思ったこと、感じたことを書く比率を以前と同じくらいに戻したいなという気持ちが湧いてきています
そしてそう思えているのなら特に何もする必要はなく、普通に日常を過ごしていれば自然と気になるもの、これはブログに書きたいなと思うものがどんどん出てくると思います。
それこそが感性であり、私が大事にしてきたものです。
これからも大事にしていきたいと思います。