読書日和

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「わたしがいなかった街で」柴崎友香

2014-12-23 23:15:46 | 小説
今回ご紹介するのは「わたしがいなかった街で」(著:柴崎友香)です。

-----内容-----
離婚して1年、夫と暮らしていたマンションから引っ越した36歳の砂羽。
昼は契約社員として働く砂羽は、夜毎、戦争や紛争のドキュメンタリーを見続ける。
凄惨な映像の中で、怯え、逃げ惑う人々。
何故そこにいるのが、わたしではなくて彼らなのか。
サラエヴォで、大阪、広島、東京で、わたしは誰かが生きた場所を生きている―。
生の確かさと不可思議さを描き、世界の希望に到達する傑作。

-----感想-----
物語の主人公は平尾砂羽(さわ)。
錦糸町から世田谷区の若林というところに引っ越してきました。
作品内の時期は2010年。
東京に出てきてからは世田谷区若林のアパート一階に三年、墨田区太平のマンションの七階に五年住んでいたとのことです。
「そこから、ここへ」という表現が印象的でした。
以前住んでいた場所が「そこ」で、今居る場所は「ここ」です。
27歳まで大阪の街で暮らしていたともあり、この大阪と世田谷区のことから、主人公は柴崎友香さん自身のことが反映されているなと思いました。

砂羽は健吾という人と結婚していましたが、相手の浮気が発覚して離婚になりました。
その後一年ほどそのまま錦糸町の部屋に住み続けてずるずると時間が流れていき、今はようやく心機一転して新生活が始まったところです。
「とにかくなにをするのも面倒」「引っ越しにまつわる手間を考えることさえも億劫」とあり、これはそうだろうなと思います。
しばらくは喪失感から何もする気にならなかったのだと思います。

砂羽には有子という友人がいて、引っ越し後の荷物整理を手伝ってくれていました。
もう一人、中井という友人もいて、こちらは大阪弁を話す大阪在住の人です。

中井との会話の中で、葛井(くずい)という人のことが出てきます。
砂羽と中井と葛井は11年前の1999年、大阪の本町で開催されていた写真のワークショップで知り合いました。
現在の年齢は砂羽36歳に対し中井は38歳、クズイ31歳です。
その後、中井とは連絡を取ったりしていましたが、葛井とは一度も交流がありませんでした。
そのクズイが5、6年前から外国に行ったきり帰ってこなくて行方不明になっていると、中井から聞かされます。
中井は大阪城でたまたまクズイの妹と会ってそのことを聞いていました。
中井には街中で全く知らない人にもどんどん気軽に話しかけるという特徴があり、その話しかけた相手がクズイの妹だったというわけです。
このクズイの妹も物語のもう一人の主人公として途中から登場することになります。

それと砂羽はiPhoneで海野十三(うんのじゅうざ)という作家の日記の電子書籍を読んでいて、この日記の内容が時折物語に登場します。
1945年、終戦の年の春からの日記が断片的に登場していました。
砂羽は戦争や紛争のドキュメンタリー番組を録画したものもよく見ていて、そういうのに興味があるようです。
ユーゴスラヴィアの内戦や第二次世界対戦の空襲のことも出てきていました。

日々の中にあることが、ばらばらに外れてきた。
長い間そうだったが、このところ特にまとまらない感じがする。
人と話したり家にいたりテレビを見たり電車に乗ったり、勤務先でパソコンに向かって文字と数字を入力したり電話を受けたり、それから先週のことやおととしのことやもっと前のことを思い出したり、そういうことが自分の一日の中に存在するのは確かだが、それらが全体として現在の「自分の生活」と把握できるような形に組み上がっていなくて、ただ個々の要素のまま、行き当たりばったりに現れ、離れ、ごみのようにそこらじゅうに転がっている。

ここの文章は印象的でした。
それぞれのことをこなしてはいても、「心ここにあらず」のような状態で、地に足が着かない状態で日々を過ごしているのだと思います。

大阪に居る中井から電話がかかってきてそちらの様子が色々伝えられたりもします。
中井は大阪城公園によく行っていて、まるで自分の庭のようになっています。
公園内を縦横無尽に歩き、次々と色々な人に声をかけている様子を見ていると、私もこの公園を歩いてみたくなりました。

砂羽の10年前の回想の中で、「テルミン」というのが出てきて、何なのか気になりました。
調べてみたら1919年にロシアの発明家レフ・セルゲーエヴィチ・テルミンが発明した世界初の電子楽器とのことです。
また、祖父の死の時の回想では音戸(おんど)大橋というのが出てきました。
これは広島県呉市の本土と倉橋島(旧安芸郡音戸町)を結ぶ道路橋です。
祖父は1945年の6月まで広島市の中心部の、原子爆弾の投下目標だったその橋の近くにあったホテルでコックをしていたとのことです。
祖父が爆心地に居たかも知れないと知った時に砂羽が考えていたことは興味深かったです。
「祖父も祖母も死ぬ、祖父は死んで、祖母と母は生き残る、呉の空襲に遭う、母は生き残って成長するがわたしの父と出会わない、偶然がそのどれかを選んでいた場合、わたしはいなかった。別の誰かが、わたしの代わりに存在していたかもしれない」と考えていました。
私も似たようなことを考えたことがあります。
私の祖父は兵隊として太平洋戦争に行っていて、幸い生きて帰ってきました。
ただし紙一重で死にそうな展開になったこともあり、もし死んでいたら私も存在しなかったんだなと思いました。

砂羽は人と話すのが苦手で上手く話せません。
砂羽と同じく契約社員で年が一回り下の加藤美奈は明るくノリの良いタイプなので話すのにも苦労しなくて済みますが、他の人が相手だとどう話していいのか分からず、苦労している様子が描かれていました。

中井が言っていた以下のことも興味深かったです。
「ときどきおれが働かんと暮らしてること、なんか自由な生き方みたいにおもしろがる人おるけど、そういう人はたいがい自分は生活安定してるからな。インテリのジャーナリストみたいなやつらでギャルとかホームレスとかに勝手にファンタジー見いだす人っておるやる。現代社会の歪みの中のナントカって。まあ、珍獣見て癒される的な感じちゃうの」
たしかに、自由な生き方だと面白がる人が自分もやってみるかというと、まずやらないですね。
あくまで自分は安全圏から見ていたいという話で、そこを痛烈に皮肉っています。

物語が進んでいくと、クズイの妹、葛井夏が登場します。
物語の語りも葛井夏になり、もう一人の主人公のようになっていきます。
中井とミスタードーナツで待ち合わせて話していた時、「いちびり」という言葉が出てきました。
これはふざけまわる人、お調子者、出しゃばりといった意味の大阪弁です。
柴崎友香さんの他の作品では「いちびる」という言葉が出てきたこともあったと思います。
こちらは「いちびり」が動詞になった形です。
柴崎さんの作品には知らない言葉がよく出てきて面白いなと思います

中井と葛井夏が話している時、隣の席に座っている女の人が、筆書きの漢数字が並んだ表のようなものを開いていました。
夏はそれが気になってちらちらと見ていました。
その視線に気付いた中井はためらうことなく話しかけて「すいません、あのー、それってなんですか?」と聞いていました。
これが中井の凄いところで、夏は「そうか、気になったら聞けばいいのか」と中井の行動に感心していました。
ちなみに女の人が見ていたのは箏曲(そうきょく)の楽譜でした。
ちょうど先日、生田流箏曲演奏家、吉永真奈さんのコンサート「雪月花」を見に行っていたのでちょっと馴染みがあります。
このリンク先の記事の写真を見ると楽譜があるのが分かると思います。

砂羽が降りて歩いていた「世田谷線の終点の駅」というのも気になりました。
世田谷線を調べてみると「東京都世田谷区の三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ東京急行電鉄(東急)の路線」とあり、終点は下高井戸駅とのことでした。

一心寺というお寺も興味深かったです。
砂羽はここに母と墓参りに行ったのですが、ここには墓ではなく、遺骨で作った仏像があります。
10年ごとに収められた十数万人分の骨を砕いて固めた仏像が七体あります。
本来はあと六体あったものの、空襲の時に焼けたとのことです。
人の骨を砕いて固めて作った仏像のあるお寺があるとは知りませんでした。

まだ名前のないスカイツリーも登場していました。
作品内では工事中で、半分ほどの高さまで伸びてきていました。

ちょっと怖いなと思ったのが、髪型についての意見。
砂羽の隣の部屋に住んでいる女の人が砂羽の部屋を訪ねてきたことがあったのですが、その女の人の髪型を見て砂羽は「前髪をきっちり揃えたショートボブという、自分のことをかわいいと思っている女しかやらない髪型だった」と心の中で思っていました。
私は前髪をきっちり揃えたショートボブは可愛らしくて良いのではと思うのですが、同じ女の人から見るとこう見えることもあるのかと思いました

日常の物語ではありますが、読んでいてすごく面白い作品でした。
物語の中心には行方不明のクズイがいます。
クズイを中心に話が回っている印象を受けました。
そして砂羽はかなり色々なことを考えていて、その考えを読むのが面白いです。
色々考えているからこそ物語に厚みが出て、作品の面白さにつながっているのではと思いました。


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