今回ご紹介するのは「羊と鋼の森」(著:宮下奈都)です。
-----内容-----
ゆるされている。
世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音(ピアノ)で表せるようになればいい。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
2016年第13回本屋大賞受賞作。
-----感想-----
主人公の名前は外村(とむら)で高校二年生。
北海道に住んでいます。
作者の宮下奈都さんは福井県の出身で作品も福井を舞台にしたものが多いのですが、最近は北海道に移住したりもしているので、この作品では北海道が舞台になったようです。
ある日、外村は先生に頼まれて調律師を体育館のピアノに案内します。
調律師の名前は板鳥宗一郎。
板鳥のピアノの調律は外村を魅了するものでした。
この人との出会いで外村はピアノの調律に興味を持ちます。
高校を卒業した外村は北海道を出て調律の専門学校に行きました。
初めて学ぶ調律に苦戦しながらも無事に卒業し、板鳥さんの勤める楽器店「江藤楽器店」に就職しました。
板鳥さんに「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです」とアドバイスを貰った外村は「こつこつ、どうすればいいんでしょう。どうこつこつするのが正しいんでしょう」と尋ねます。
この時の板鳥の言葉が印象的でした。
「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気をつけたほうがいい」
たしかにどんなこつこつが正しいというのはないのだと思います。
その日なりにできることをやり、身に付けていくしかないですね。
外村はしばらくの間、七年先輩の柳さんに付いてお客さんのところに行き、調律の様子を見ることになります。
お客さんのピアノを調律させてもらえるようになるのは早くて半年後からとのことです。
調律師の仕事には音を揃える調律、ピアノの音色を作る整音があります。
柳さんによると「技術はもちろん大事だけど、まずお客さんとの意志の疎通が大事」とのことでした。
例えばお客さんが「やわらかい音にしてほしい」と言ってきた時、その柔らかさはどの程度の柔らかさなのか、必要なのは本当に柔らかさなのか、お客さんとよく話し、意志を疎通させる必要があるようです。
たしかにそうしないと調律を万全にしたつもりでも、音を聴いたお客さんが「この柔らかさではなく、別の柔らかさが良い」となると思います。
外村が初めて柳とお客さんのところに行ったのは入社して5ヶ月を過ぎた秋の始めの頃でした。
佐倉和音(かずね)と由仁(ゆに)という双子の高校生姉妹がピアノをしている家でした。
和音が姉です。
柳さんが妹の由仁の生き生きとして色彩に溢れていて情熱的なピアノを絶賛していたのに対し、外村は姉の和音の情熱的でありながら静かな音のほうに感銘を受けていました。
この外村の感性が後の展開につながっていました。
秋野さんという40代前半のベテラン社員は変わった人でした。
秋野さんはお客さんからのリクエストについて淡白な考え方をしていて、外村には次のように言っていました。
「明るい音、澄んだ音。華やかな音ってリクエストも多いな。そのたびにいちいち考えて音をつくってたら大変だ。明るい音ならこのメモリ、華やかな音ならこれ、って決めておくんだよ。それで良いんだ」
「形容する型に合わせて、調律の型を選ぶってことですか」
「そう」
「一般家庭に調律に行くんだ。それ以上求められてないし、やっても意味がない。むしろ、へたに精度を上げると…弾きこなせないんだよ」
お客さんごとにベストの調律をしてあげたいと考えている外村にとって、秋野のこの考えは納得がいかないようでした。
ただ「へたに精度を上げると一般家庭の人では弾きこなせない」というのはそのとおりなのではと思います。
程よく調律して程よく弾きこなせるピアノにするか、弾きこなせるかは不明だがベストの状態に調律するか、調律師によって意見が分かれるところだと思います。
柳さんが彼女へのプロポーズのために客先から直帰し、外村一人で店に帰る途中のある日、外村は双子の佐倉姉妹に頼まれてピアノを調律することになります。
本当はまだ一人でピアノの調律をしてはいけない時期だったのですが、魔が差してしまったようです。
ピアノの状態は少しずつおかしくなっていき、外村は焦ります。
次の日に柳さんが見てくれることになったのですが、外村はだいぶ苦しい心境になっていました。
ピアノは鍵盤を叩くとハンマーが連動して垂直に張られた弦を打ち、音が鳴る仕組みになっています。
ハンマーは羊毛を固めたフェルトで出来ていて、このハンマーが鋼の弦を叩くということで、「羊と鋼の森」という作品タイトルの由来になっています。
森は外村が高校の体育館で板鳥の調律したピアノから音が出るのを聴いて森を思い浮かべたこと、そして調律師の仕事が漠然とした森の中を進んでいくといった意味があると思います。
双子の姉、和音が店に来て、外村にピアノの発表会のことを相談したことがありました。
和音によると由仁は気持ちが大きくて本番に強く、発表会では常に和音の一回り上の出来になるとのことです。
外村は
「和音さんが本番で力を発揮できなくて、二番手だった由仁さんが繰り上げ当選する、ってことじゃないんでしょう。和音さんはちゃんと和音さんのピアノが弾けている。それなら、かまわないんじゃない?」
と良いアドバイスをしていました。
ただ、外村自身はここ一番の時に良いところを持っていってしまう弟のことを羨んでいます。
その気持ちには蓋をしているらしく、和音にアドバイスしている時に胸中で次のように述懐していました。
運があるとかないとか、持って生まれたものだとか、考えても仕方のないことを考えはじめたら、ほんとうに見なきゃいけないことを見失ってしまいそうだった。
たしかに考えても仕方のないことを考えても栓なきことで、無限ループにはまってしまいます。
「運がない」や「持って生まれたものがない」も、考え出すと卑屈になってしまいます。
「○○がない」よりも「今あるもの」を見つめるほうが良いと思います。
外村は入社二年目になります。
ベテラン社員の秋野は外村に露骨に嫌みを言ってくるようになり、読んでいて嫌な奴だなと思いました。
外村は冷静で、「どこに行ったって感じのよくない人はいる」と胸中で言っていました。
たしかにそのとおりです。
そして秋野も嫌なだけの人物ではなく良いところもあり、物語後半では少し見直しました。
後は嫌みばかり言いたがる性格を改善してほしいところです。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
この言葉は板鳥が外村に授けてくれた、作家の原民喜が目指す文体について語った言葉です。
外村が調律師として目指すのもこの形のようで、外村にとって大事な言葉になっていました。
双子の姉妹の妹、由仁がピアノが弾けない病気になります。
ピアノを弾くときだけ指が動かなくなるとのことで、精神的なものに起因するのではと思います。
気が大きく本番に強い由仁がこの病気になったのは意外でした。
由仁はピアノを諦めることになると、秋野が遠回りに外村に教えていました。
しかしこれを境に姉の和音に変化が起きます。
ピアノの音色にこれまではなかった由仁のような生き生きさが加わるようになったのです。
「私、ピアノを始めることにした」
和音のピアノはもう始まっている。
とっくの昔に始まっている。
ピアノから離れることなんて、できるわけがなかった。
外村は初めて見た時から和音のピアノの音色の良さに気付いていました。
その和音が妹の病気を境に覚醒して神がかった演奏をするようになり、外村の優れた感性を目の当たりにしました。
双子の一人はピアノが弾けなくなりましたが、もう一人はピアニストの才が目覚めて羽ばたきました。
この展開は読んでいて涙ぐみました。
ピアノを諦めたくなく、別の道を模索するという由仁に対し、外村は良いことを述懐していました。
ピアノをあきらめることなんて、ないんじゃないか。森の入口はどこにでもある。森の歩き方も、たぶんいくつもある。
ピアニストの道が閉ざされてしまったのは既に済んでしまったことです。
過去よりも今です。
今の自分に最善と思える入口と歩き方で、森の道を進んでいってほしいです。
主人公は外村で、外村の調律師としての成長を描いた物語なのですが、双子姉妹の物語でもあるような気がしました。
そして宮下奈都さんはお仕事小説で主人公が成長していくのを優しく丁寧に描くのが本当に上手いと思います。
宮下奈都さん自身が優しい感性の持ち主なのだと思います。
文章も静かな中に瑞々しさがあり好感度が高く、いつか芥川賞を受賞してほしい作家さんです。
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-----内容-----
ゆるされている。
世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音(ピアノ)で表せるようになればいい。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
2016年第13回本屋大賞受賞作。
-----感想-----
主人公の名前は外村(とむら)で高校二年生。
北海道に住んでいます。
作者の宮下奈都さんは福井県の出身で作品も福井を舞台にしたものが多いのですが、最近は北海道に移住したりもしているので、この作品では北海道が舞台になったようです。
ある日、外村は先生に頼まれて調律師を体育館のピアノに案内します。
調律師の名前は板鳥宗一郎。
板鳥のピアノの調律は外村を魅了するものでした。
この人との出会いで外村はピアノの調律に興味を持ちます。
高校を卒業した外村は北海道を出て調律の専門学校に行きました。
初めて学ぶ調律に苦戦しながらも無事に卒業し、板鳥さんの勤める楽器店「江藤楽器店」に就職しました。
板鳥さんに「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです」とアドバイスを貰った外村は「こつこつ、どうすればいいんでしょう。どうこつこつするのが正しいんでしょう」と尋ねます。
この時の板鳥の言葉が印象的でした。
「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気をつけたほうがいい」
たしかにどんなこつこつが正しいというのはないのだと思います。
その日なりにできることをやり、身に付けていくしかないですね。
外村はしばらくの間、七年先輩の柳さんに付いてお客さんのところに行き、調律の様子を見ることになります。
お客さんのピアノを調律させてもらえるようになるのは早くて半年後からとのことです。
調律師の仕事には音を揃える調律、ピアノの音色を作る整音があります。
柳さんによると「技術はもちろん大事だけど、まずお客さんとの意志の疎通が大事」とのことでした。
例えばお客さんが「やわらかい音にしてほしい」と言ってきた時、その柔らかさはどの程度の柔らかさなのか、必要なのは本当に柔らかさなのか、お客さんとよく話し、意志を疎通させる必要があるようです。
たしかにそうしないと調律を万全にしたつもりでも、音を聴いたお客さんが「この柔らかさではなく、別の柔らかさが良い」となると思います。
外村が初めて柳とお客さんのところに行ったのは入社して5ヶ月を過ぎた秋の始めの頃でした。
佐倉和音(かずね)と由仁(ゆに)という双子の高校生姉妹がピアノをしている家でした。
和音が姉です。
柳さんが妹の由仁の生き生きとして色彩に溢れていて情熱的なピアノを絶賛していたのに対し、外村は姉の和音の情熱的でありながら静かな音のほうに感銘を受けていました。
この外村の感性が後の展開につながっていました。
秋野さんという40代前半のベテラン社員は変わった人でした。
秋野さんはお客さんからのリクエストについて淡白な考え方をしていて、外村には次のように言っていました。
「明るい音、澄んだ音。華やかな音ってリクエストも多いな。そのたびにいちいち考えて音をつくってたら大変だ。明るい音ならこのメモリ、華やかな音ならこれ、って決めておくんだよ。それで良いんだ」
「形容する型に合わせて、調律の型を選ぶってことですか」
「そう」
「一般家庭に調律に行くんだ。それ以上求められてないし、やっても意味がない。むしろ、へたに精度を上げると…弾きこなせないんだよ」
お客さんごとにベストの調律をしてあげたいと考えている外村にとって、秋野のこの考えは納得がいかないようでした。
ただ「へたに精度を上げると一般家庭の人では弾きこなせない」というのはそのとおりなのではと思います。
程よく調律して程よく弾きこなせるピアノにするか、弾きこなせるかは不明だがベストの状態に調律するか、調律師によって意見が分かれるところだと思います。
柳さんが彼女へのプロポーズのために客先から直帰し、外村一人で店に帰る途中のある日、外村は双子の佐倉姉妹に頼まれてピアノを調律することになります。
本当はまだ一人でピアノの調律をしてはいけない時期だったのですが、魔が差してしまったようです。
ピアノの状態は少しずつおかしくなっていき、外村は焦ります。
次の日に柳さんが見てくれることになったのですが、外村はだいぶ苦しい心境になっていました。
ピアノは鍵盤を叩くとハンマーが連動して垂直に張られた弦を打ち、音が鳴る仕組みになっています。
ハンマーは羊毛を固めたフェルトで出来ていて、このハンマーが鋼の弦を叩くということで、「羊と鋼の森」という作品タイトルの由来になっています。
森は外村が高校の体育館で板鳥の調律したピアノから音が出るのを聴いて森を思い浮かべたこと、そして調律師の仕事が漠然とした森の中を進んでいくといった意味があると思います。
双子の姉、和音が店に来て、外村にピアノの発表会のことを相談したことがありました。
和音によると由仁は気持ちが大きくて本番に強く、発表会では常に和音の一回り上の出来になるとのことです。
外村は
「和音さんが本番で力を発揮できなくて、二番手だった由仁さんが繰り上げ当選する、ってことじゃないんでしょう。和音さんはちゃんと和音さんのピアノが弾けている。それなら、かまわないんじゃない?」
と良いアドバイスをしていました。
ただ、外村自身はここ一番の時に良いところを持っていってしまう弟のことを羨んでいます。
その気持ちには蓋をしているらしく、和音にアドバイスしている時に胸中で次のように述懐していました。
運があるとかないとか、持って生まれたものだとか、考えても仕方のないことを考えはじめたら、ほんとうに見なきゃいけないことを見失ってしまいそうだった。
たしかに考えても仕方のないことを考えても栓なきことで、無限ループにはまってしまいます。
「運がない」や「持って生まれたものがない」も、考え出すと卑屈になってしまいます。
「○○がない」よりも「今あるもの」を見つめるほうが良いと思います。
外村は入社二年目になります。
ベテラン社員の秋野は外村に露骨に嫌みを言ってくるようになり、読んでいて嫌な奴だなと思いました。
外村は冷静で、「どこに行ったって感じのよくない人はいる」と胸中で言っていました。
たしかにそのとおりです。
そして秋野も嫌なだけの人物ではなく良いところもあり、物語後半では少し見直しました。
後は嫌みばかり言いたがる性格を改善してほしいところです。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
この言葉は板鳥が外村に授けてくれた、作家の原民喜が目指す文体について語った言葉です。
外村が調律師として目指すのもこの形のようで、外村にとって大事な言葉になっていました。
双子の姉妹の妹、由仁がピアノが弾けない病気になります。
ピアノを弾くときだけ指が動かなくなるとのことで、精神的なものに起因するのではと思います。
気が大きく本番に強い由仁がこの病気になったのは意外でした。
由仁はピアノを諦めることになると、秋野が遠回りに外村に教えていました。
しかしこれを境に姉の和音に変化が起きます。
ピアノの音色にこれまではなかった由仁のような生き生きさが加わるようになったのです。
「私、ピアノを始めることにした」
和音のピアノはもう始まっている。
とっくの昔に始まっている。
ピアノから離れることなんて、できるわけがなかった。
外村は初めて見た時から和音のピアノの音色の良さに気付いていました。
その和音が妹の病気を境に覚醒して神がかった演奏をするようになり、外村の優れた感性を目の当たりにしました。
双子の一人はピアノが弾けなくなりましたが、もう一人はピアニストの才が目覚めて羽ばたきました。
この展開は読んでいて涙ぐみました。
ピアノを諦めたくなく、別の道を模索するという由仁に対し、外村は良いことを述懐していました。
ピアノをあきらめることなんて、ないんじゃないか。森の入口はどこにでもある。森の歩き方も、たぶんいくつもある。
ピアニストの道が閉ざされてしまったのは既に済んでしまったことです。
過去よりも今です。
今の自分に最善と思える入口と歩き方で、森の道を進んでいってほしいです。
主人公は外村で、外村の調律師としての成長を描いた物語なのですが、双子姉妹の物語でもあるような気がしました。
そして宮下奈都さんはお仕事小説で主人公が成長していくのを優しく丁寧に描くのが本当に上手いと思います。
宮下奈都さん自身が優しい感性の持ち主なのだと思います。
文章も静かな中に瑞々しさがあり好感度が高く、いつか芥川賞を受賞してほしい作家さんです。
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