読書日和

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「面白くてよくわかる! ユング心理学」福島哲夫

2015-09-14 21:22:15 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「面白くてよくわかる! ユング心理学」(著:福島哲夫、出版社:アスペクト社)です。

-----内容-----
心の中に広がる豊かな世界を発見した、ユングの心理学を徹底解説。
心の苦しみがすーっとラクになるスピリチュアルな心理学。
自分の心と向き合うレッスンをする1冊。

-----感想-----
「ユング名言集」(著:カール・グスタフ・ユング、編:フランツ・アルト、訳:金森誠也)からの流れで読んでみました。
名言集ではそれぞれの名言ごとにユング本人の考えも書かれていたのですが全体的に言葉が抽象的で、何度か読み返さないと意味を理解できないものもありました。
こちらの「面白くてよくわかる! ユング心理学」ではユングの考えについてかなり分かりやすく書かれていて読みやすかったです。
二冊をセットで読むと理解も深まると思います。


P11 「私たちは自分の中の不都合な部分や非効率的な部分、そして一見弱点や欠点と思われる部分を無視して突っ走るのではなく、それらを十分に生かしてトータルな自分を生きる必要があるのです。」
これは冒頭の「はじめに」に書かれていた言葉です。
そのとおりだと思います。
自分自身の弱点や欠点も把握しておくことが大事です。
把握しておくと、対策を立てることができます。


P38 「科学は確かに私たちの知識を増やし、技術を発達させて生活を便利にしてくれた。だが「私たちはなぜ、この世に生まれてきたんだろう?」「私たちは何のために生きているんだろう?」といった、非常に根本的な問いには答えてくれない。神話のみが、たとえ非科学的ではあっても、私たちの根元的な問いに必ず解答を与えてくれると、ユングは考えた。」
いきなり神話が出てきたことには驚きましたが、この考えは興味深かったです。
ギリシャにギリシャ神話があるように、日本にも日本神話があります。
そういえば日本神話について詳しくは知らないので、この機会に読んでみるのも良いかもと思いました。
太陽の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)や国を造ったイザナミ、イザナギなど興味深いです。
漫画の「NARUTO」に出てくる技には日本神話をモデルにしたものがあります。


P46「神話を重視したユングは各地の伝承を研究した。その結果、人間の心の中には、場所や時代を超えて受け継がれてきた共通のイメージパターンがあることに気づく。これをユングは「元型」(アーキタイプ)と名付けた。」
母親のイメージには古今東西、共通したものが存在するともあり、なるほどと思いました。
時代が違っても国が違っても共通しているようです。
そういった共通したものを「元型」と名付けていて、世界人類の心に共通して宿っています。


P58 「ユングは、さらに心の奥深くに自己(セルフ)という元型があると考える。自己とは無意識も含めた「自分の中心」。自己は「完全なるもの」「最高なるもの」のイメージパターン。」
これは自分にとっての最高、完全とは何かを自己が表しているということです。
心の奥深くにあり、さらに無意識をも含んでいるとなると、自己を把握するのは簡単ではないと思います。
私にとっての最高、完全とは何なのか、興味深いところです。


P68 「社会的な役割や立場などのために、人前で演出している自分の姿を、ユングはペルソナと名付けた。ペルソナを身につけることは、社会で生きていくためには大切なこと。ただしペルソナと一体化してしまうと本当の自分を見失うことになるため注意が必要。」
特に聖職者である教師が、学校以外の場所でも先生の姿でいる場合などが、ペルソナとの一体化の例として紹介されていました。
学校でも家でも教師モードでいると疲れてしまうと思います。
やはりプライベートではリラックスして本来の自分の姿でいたいものですね。


P70 「人が「ああはなりたくない!」と強く思う性質がその人にとっての影。」
「ユング名言集」(著:カール・グスタフ・ユング)のP232「他人に接して苛つくことのすべては自分自身の理解に役立つ。」と同じ意味だと思います。
「人は鏡」ということであり、相手がやっていることで嫌だなと感じることは、自分自身が普段から嫌だなと思っていることです。
自分自身が嫌悪していることを相手がやっているため、見ていて「ああはなりたくない!」と思います。
そしてユングがこうしたその人にとって不愉快な性質を影と呼んだのは、こうした性質が不愉快に感じている当人の内面にもあるものだからとありました。
私は周りに聞こえるように愚痴ばかり言っている人を見ると嫌だなと感じるのですが、たしかに自分自身の内面にも、愚痴を言いたい気持ちはあります。


P72 「人間の心の働きを研究し続けたユングは、どの働きが強いかにより、人を思考、感情、感覚、直観の四つのタイプに分けた。思考は文字通り、物事を論理的に捉え、理屈で判断しようとするタイプ。感情は自分の好き嫌いや喜怒哀楽を大切にするタイプ。感覚は文字通り、物事を感覚的にそのまま捉えるタイプ。そして直観はひらめき型で、物事の本質を直観的に捉える能力の優れたタイプ。」
これはかなり面白かったです。
自分がどのタイプに属するかが分かるタイプテストもあるので、後ほど別記事にタイプテストをご紹介します。
4つのタイプそれぞれに「外向型」「内向型」があり、タイプテストの結果、私は外向感覚タイプになりました。
※「思考、感情、感覚、直観タイプテスト」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。


P84 「ユングの言う外向、内向は、心のエネルギーがどこに向かっているかという意味。」
日常でよく聞く外交的な人、内向的な人という意味ではなく、心のエネルギーが外に向かっているのか、内に向かっているのかによって外向、内向と分けているとのことです。
なので私の「外向感覚タイプ」は、心のエネルギーが外に向かう感覚タイプの人となります。
ただ私の場合はメインとなる「外向感覚」を補助する機能は「内向」となっています。
タイプテストの記事に詳しく書こうと思います。


P88 「大切なのは、私たちの心は複雑で、「このタイプ」と一つに決めつけられないものだと理解すること。また、機能としての優劣を問うのはナンセンス。自分のタイプを知り、個性として上手に伸ばしていくことが大切。」
たしかに自分の診断結果を見ても、自分の心はこのタイプ一本だと決め付けられるようなものではないです。
それで良いのだと思います。
機能としての優劣を問うのはナンセンスはまさにそのとおりで、他のタイプを羨ましがるより、自分のタイプを伸ばしていったほうが良いと思います。


P90 「自分がより得意とする分野で同じだけ頑張ったほうが、より大きな成果をあげることができる。」
長距離走が得意な人が、短距離走の陸上選手を目指すのは非現実的な行動とあり、自分の得意な分野を伸ばすことについて書かれていました。
ふと漫画「HUNTER×HUNTER」の念能力のことが思い浮かびました。
強化系の人が具現化系を極めようとしても上手くはいかないもので、ユングの言っていることとよく似ているなと思いました。
もしかしたら「HUNTER×HUNTER」作者の冨樫義博さんはこれをモデルにしたのかもと思いました。


P118 「コンプレックスを完全に払拭するのではなく、共存を考える。」
無理に消し去ろうとするのではなく、コンプレックスを認めた上で上手く付き合っていくということで、良い考えだと思います。
ムキになって消し去ろうとしてもストレスを溜めるだけかも知れません。


P162 「ユング心理学が日本人の心と相性が良いのは、ユングの考え方の中に東洋的なものの捉え方が息づいているから。」
たしかに読んでいてユングの考え方との相性の良さを感じました。
あまり抵抗なく心に入ってきます。


というわけでユング心理学についての本、楽しく読むことができました。
すごく分かりやすく書かれていて、「ユング名言集」では解説がなくて理解し切れなかった部分についても理解を深めることができました。
中学生の頃、家で取っていた教材の付録に心理テストがあり、自分がどんなタイプの人なのか興味津々でテストしながら遊んだことを思い出しました。
時には人間の心について学んでみるのも面白いなと思います。


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読書の秋

2015-09-13 20:20:59 | ウェブ日記
9月になり、秋雨が続いたこともあり気候的にも初秋となっています。
私的にも今月は読書モードになってきていて、読書の秋という言葉が思い浮かびました。

小説では、次に「あの家に暮らす四人の女」(著:三浦しをん)を読む予定です。
2007年からのファンでもある三浦しをんさんの作品ということで読むのが楽しみです。

そしてその前に、「面白くてよくわかる! ユング心理学」(著:福島哲夫)という心理学の本を読んでいました。
「ユング名言集」(著:カール・グスタフ・ユング)からの流れで読んでみました。
名言集ではユングの考えも色々書かれていたのですが、抽象的な文章が多く意味を捉えるのが難しかったです。
今回の「面白くてよくわかる! ユング心理学」は非常に分かりやすく書かれていて読みやすかったです。
そしてこれが予想以上に面白かったです。
後ほどレビューでご紹介しようと思います。

気分的には晴れた休日は外も歩きたいので、少し歩いてからカフェに寄って読書をしていました。
今度の週末からはシルバーウィークになりますし、読みたい本を読んでいこうと思います

「ユング名言集」カール・グスタフ・ユング

2015-09-12 20:22:11 | ノンフィクション・エッセイ


久しぶりに「小説」カテゴリ以外の読み物となります。
今回ご紹介するのは「ユング名言集」(著:カール・グスタフ・ユング、編:フランツ・アルト、訳:金森誠也)です。

-----内容-----
完璧ではなく充実した生を求めよ!
「分析心理学の巨人」による考察が凝縮された151の言葉。

-----感想-----
名前は聞いたことがあるユングについて、「ユング名言集」という本があったので読んでみることにしました。
偉人の言葉ということで、どんな言葉を遺したのか興味深かったです。
ユングの言葉について特に興味深かったものを紹介し、感想や意見を書いていきます。

P26 完全を望むな
自己の完成に向かって努力することは立派な理想である。
しかし私は次のように言いたい。
「お前はとうてい達成できないことに向かって努力するよりもむしろお前ができることを何か実現させよ」

これは一気に高いところに行こうとするのではなく、階段を一歩一歩上っていく方が良いということだと思います。
まず目標を高くし過ぎないことです。
また、高い目標を持つのは良いですが、そこに向かう道は一足飛びで行こうとするのではなく、自分の足元を見ながら一歩一歩行きましょうということだと思います。

P37 暗い性質も私の一部だ
これは自分自身が嫌だと感じている欠点のことです。
ただし、欠点があるのは悪いことではないです。
そういった性質も全て入れて、その人が形作られています。

P45 情熱地獄の恐怖
自分の情熱の地獄のような有様を通り抜けたことのない人間は、自分の情熱をけっして克服することはできない。
ここでの情熱とは、後悔の念や憂鬱な気持ちに沈み込んでいってしまうこととありました。
つまり「自分の情熱の地獄のような有様」とは、物凄く後悔したり憂鬱な気持ちになったりすることです。
これを経験したことのない人は自分の情熱をけっして克服することはできないとユングは言っています。
言い換えれば、物凄く後悔したり憂鬱な気持ちになったりした経験のある人は、自分の情熱を克服することができるということです。

P60、61 「ペルソナ」について書かれています。
ペルソナとは、もともと俳優が舞台でかぶることにより自分が演ずる役割をはっきりさせる仮面のこと。
ペルソナとは、その人には本来ないものでありながら、本人および他人が、その人の実情とみなしているもののこと。
その人の本来の姿ではないものを演じていて、本人も周りの人もその姿がその人の性格、普段の立ち居振る舞いだと思っているということで、ユングはこれを「ペルソナ」と名づけました。
「ペルソナ」という、社会的な役割を果たすために演じている仮面の後ろに、その人本来の姿が隠れているとのことです。

P92 生きる上で欠陥は不可欠
私たちの罪、あやまち、それにもろもろの欠陥は、私たちにとってはまさに必要不可欠である。
それというのも、それらがなければ私たちの精神の価値ある発展の可能性が奪われてしまうからだ。

欠陥があるのは悪いことではないということです。
自分自身にどんな欠点があるかを客観的に把握することができれば、その欠点を補うための対策を立てることができ、ユングの言う「精神の価値ある発展」につながっていきます。

P101 外的個性と内的個性
私は人それぞれの外的立場、性格をペルソナと名づけ、そして内的立場、性格をアニマ(魂)と名づけている。
ペルソナに続き、アニマという言葉が出てきました。
言葉の表現が抽象的で意味を捉えずらいのですが、なかなか面白いです。
「人には外向けの態度に個人差があるのと同様に、内的にもそれぞれの個性があることが認められている」とあり、これは人それぞれの考え方の特徴のことだと思います。

P134 人が個性を育成しつつ人生行路を歩むとき、しばしばあやまちを犯すことがある。さもなければ生は完全ではない。
これは間違いがあって当たり前ということであり、それが人生です。

P155 私たちはけっして「各人がなすべきこと」ではなく、「各人ができること」「各人がやらねばならないこと」に従って行動すべきである。
これは「その人なりにできることをやれば良い」ということだと思います。

P207 現にある物が大切なのだ
事物の存在がきわめて重要なのは、私にとって「それが現にある」ということであって、けっして、「そんなものはない」とか「それは前にはあったが今はもはやない」などということではない。
「そんなものはない」と卑屈になるのではなく、今あるものを見ましょうということです。
今あるものが何かを冷静に見つめ、それを認識し大事にすることが、前を向くことにつながっていくのだと思います。

P214、215
私は自分のわがままな心からつくり出された、多くの愚行を後悔している。
しかし、こうした愚行に走らなかったならば、私はけっして自分の目標に到達できなかったであろう。

今までの失敗があって、現在の到達点にいるということです。
失敗した道は無駄ではなく、目標到達への糧として現在につながっています。

P232 他人に接して苛つくことのすべては自分自身の理解に役立つ。
これは「人は鏡」ということです。
相手がやっていることで嫌だなと感じることは、自分自身が普段から嫌だなと思っていることです。
例えば周りに聞こえるように愚痴ばかり言っている人を見て嫌だなと感じるのは、自分自身が愚痴ばかり言うことを嫌なこと、やってはいけないことと思っているからです。
自分がよくないことと思っていることを相手が平気でやっているから、見ていて不快になります。


全体的に言葉が漠然としていて難しかったです。
ただその中で、何を伝えようとしているのか意味を感じとるのが面白かったです。
心理の概論を語っているため抽象的な表現になるのだと思いますが、抽象的な言葉から意味を感じ取れた時には達成感があるものだなと、この作品を読んで思いました。


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「ちょうちんそで」江國香織

2015-09-12 15:31:25 | 小説
今回ご紹介するのは「ちょうちんそで」(著:江國香織)です。

-----内容-----
いい匂い。
あの街の夕方の匂い―。
些細なきっかけで、記憶は鮮明に甦る。
雛子は「架空の妹」と昔話に興じ、そんな記憶で日常を満たしている。
それ以外のすべて―たとえば詮索好きの隣人、たとえば息子たち、たとえば「現実の妹」―が心に入り込み、そして心を損なうことを慎重に避けながら。
雛子の謎と人々の秘密が重なるとき、浮かぶものとは。
心震わす〈記憶と愛〉の物語。

-----感想-----
江國香織さんの小説は8月に「思いわずらうことなく愉しく生きよ」で初めて読みました。
今回の「ちょうちんそで」は本屋で文庫本を見かけ、その帯に解説が綿矢りささんとあったことから興味を持ちました。

「隣室の男がやってきたとき、雛子は架空の妹とお茶をのみながら、六番街の思い出について語り合っているところだった。」
これが物語の語り出しでした。
架空の妹とお茶を飲みながら語り合うというのはまともな状態とは思えませんし、異様さを感じました。
雛子は今年で54歳になります。
妹の名前は飴子といい、現実での飴子は今年で50歳になりますが、雛子が部屋で話す架空の飴子は30歳くらいだったり17歳くらいだったりします。
もう20年くらいは飴子に会っていないため、現在の飴子の姿は想像できないようです。

丹野という隣室の男がよく雛子の部屋にやってきます。
丹野は毎回弁当などの差し入れを持ってきて、なぜか雛子のこれまでのことを詮索します。
「雛子さんは昔、仙台にお住いだったんですよね」
「それで、そのあと横浜に移られたんでしたよね」
丹野は明らかに雛子の過去に興味を持っていました。
架空の妹は
「まただね」
「この人いっつも詮索するね」
と顔をしかめ、丹野のことが露骨に嫌いなようです。
私も詮索ばかりする人は嫌いなので、そんな人が寄ってきたとしても大事なことは話さないと思います。
ただ雛子は丹野のことが嫌いではないようで、聞かれたことに色々答えています。

物語の語り手が代わり、正直という男が登場します。
正直は妻の絵里子と生後6ヶ月の娘・萌音、そして大学生の弟・誠の彼女である亜美とともに海に来ていました。
誠は夏休みの間海の家で働いています。
この人達の物語と雛子の物語がどう関わっていくのか興味深かったです。

次は丹野圭子が語り手になりました。
雛子のところによく来る丹野の妻で、夫の龍次がたびたび雛子のところに行くことに呆れていました。

そしてなつきという小学校三年生の子が語り手の物語もありました。
舞台は異国で、どの国かは書かれていませんでした。
世界一住みやすい街で海の近くとあり、最初はヨーロッパのどこかをイメージしていたのですが、真赤な小鳥「カーディナル」を調べてみたら南北アメリカに生息しているとあったので、アメリカの海岸沿いのどこかかも知れません。
なつきは小学校のほかに日本人学校にも通い英語の補習を受けています。
この日本人学校の小島先生という女の人のことをなつきは凄く気に入っていました。
なつきの物語は正直の物語以上に唐突感があり、この物語が雛子の物語に関わってくるのだろうかと疑問に思いました。

雛子は二年くらい前、アルコール中毒状態で泥酔して昏倒し、救急車で病院に運ばれたことがあります。
退院した頃には雛子はもう以前の雛子ではなくなっていたようなのですが、その頃のことに意識が行くと、架空の妹が「ねえさんねえさんねえさん」と呼び掛けてきます。
「思いだすのやめれば」
「そんなことをすれば悲しくなるだけなんだから」
これは飴子の言っていることがよく分かりました。
この小説を読んだことにより先日の「記憶との付き合い」を書いています。

雛子には二人の息子が居るのですが、下の息子が雛子の部屋にやってくることになります。
下の息子は大学生で法律を学んでいます。
この息子が語り手の物語もあり、母親のことが語られていました。
母親には男がいて、夫と息子二人を捨てて家を出て行ってしまっていました。
そして二年半前、病院に担ぎ込まれて変わり果てた姿の母親と再会しています。
下の息子の物語では作品タイトルの「ちょうちんそで」の由来も明らかになりました。
ブラウスの袖がふくらんだものを母親が「ちょうちんそで」と呼んでいたとのことです。
ちなみに雛子は息子に「小人を見たことがある?」と言っていました。
突拍子もない質問なのですが、なつきの話でも小人が登場していました。
やはり物語が絡んでくるのだろうなと思いました。

そして物語が進んでいくと、それぞれの物語のつながりが浮かび上がってきます。
雛子が家族を捨て駆け落ちした男は既に死んでしまっているのですが、ある人物が関与しているような気がしました。
また、なつきの物語に出てくる小島先生の正体も明らかになっていきました。
物語の最後、これまでとは全く違う人物が雛子の部屋を訪ねてくることになり、雛子も架空の妹との世界から一歩踏み出すことになるような気がしました。
真に心を取り戻すためのきっかけになると良いなと思います。


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久々の快晴

2015-09-11 21:52:10 | ウェブ日記
今日は朝から快晴になりました
ここまですっきりとした青空になったのは久しぶりです。
8月終盤から曇りや雨の日が多くなり、ここしばらく秋雨になっていました。
秋の長雨です。
例年だと秋雨になるのはもうワンテンポ遅いはずなので、今年は季節の変わり目になるのが少し早いと思います。
少し早めに秋の安定した気候になってくれないかと期待もしています

すっきりとした快晴の日はやはり気分的にも良いものです。
朝歩いていて気持ちが明るくなりました。
そして昼間外を歩いた時、空に入道雲が出ていました。
入道雲は夏の雲であり、まだ空は完全には秋になっていないなと思いました。
しかし空気は真夏のジリジリとしたものではなく、日差しの強さの中にも涼しさ、清涼感がありました。
確実に秋になりつつあると思います。

記憶との付き合い

2015-09-10 20:26:20 | 記憶と心


以前こんな言葉を貰ったことがあります。

人間の記憶は湖の上をボートが走って、水面が揺れているようなもの。

最初は何を伝えようとしたのかは分かったものの完全には意味をとらえ切れていなかったのですが、最近ふと完全に意味を捉えたので、私の解釈を書いてみます。

ボートが走った後の水面は最初は激しく揺れていますが、段々と収まっていきます。
人間の記憶もそれと同じで、時間が経てば穏やかになっていくということです。
その時はとても辛くて受け止められないような出来事だったとしても、時間が経てばやがて受け止められるようになるということだと思います。

私の場合も受け止められるようになりました。
時間は遡ってはくれないので、重大なできごとも既に起きてしまったことであり、消えてはくれないです。
良かったこと、悪かったこと全てがあって、現在の私が形作られているということです。
これを受け止め、受け入れるのは意外と難しいです。

ただふとした時に、色々とあったことを思い出すとやはりムカつく心境になったり苦しい心境になったりします。
これは仕方がないなと思います。
水面の揺れが収まっても湖の水自体はなくならないように、記憶も完全に消えてはくれないので、上手に付き合っていくのが最善だと思います。

浜崎あゆみ「SEASONS」の歌詞の一節にこんなものがあります。
「今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう」

高校生の頃によく聴き、影響を受けた歌です。
テスト勉強で疲れた時に目を瞑って横になって聴くと気持ちが穏やかになったりもしました。

一度は”そんな日々もあったねと笑える日”、そんな日は来ないだろうと思ったりもしたのですが、最近はそうでもなくなりました。
「人間の記憶は湖の上をボートが走って、水面が揺れているようなもの」の言葉が示すとおり、段々と揺れが穏やかになってきたようです。

もう一つ、kiroroの「Best Friend」という曲に以下の一節があります。
「時には急ぎすぎて 見失うこともあるよ 仕方ない」

これは心に染み入る一節で、包み込んでくれるような包容力を感じます。
時には自分を見失うことがあっても、それが人生というもの、と穏やかに語りかけているような気がします。
嫌な記憶が出てきた時は良い歌を聴いて気分転換するのも良いのではと思います。

義理を欠く人は嫌い

2015-09-08 21:11:00 | 政治
今日告示された自民党の総裁選。
安倍晋三首相が無投票で再選することが決まりました。

この総裁選では、野田聖子氏が立候補を告示の直前まで模索していました。
野田聖子氏は2005年に郵政民営化に反対したため、当時の小泉純一郎首相の逆鱗に触れて離党勧告(出て行きなさいということです)を受け、自民党を離党することになりました。
その後、2006年に安倍晋三氏が第90代内閣総理大臣に就任。
当時の安倍晋三首相は郵政民営化に反対して自民党を離党していた郵政造反組を許し、復党させました。
この時野田聖子氏も自民党に復党しています。

それが、今回の総裁選では安倍晋三首相に牙を向け、出馬を模索していました。
完全に恩を仇で返す行為で、これはあまりに義理を欠きすぎだろうと思います。
どんなに理由を付けたところで、野田聖子氏の人間性の酷さを隠すことはできません。

野田聖子氏は郵政造反の時も師である古賀誠氏にそそのかされ造反するも、肝心の古賀誠氏が郵政民営化法案の採決直前に棄権したため、師に梯子を外されての造反という虚しい姿を見せたことがありました。
今回もまた古賀誠氏の名前が見え隠れし恩人である安倍晋三首相を裏切るという酷さを見せていますし、こういう人なのだろうと思います。

私は義理を欠く人は嫌いです。
そしてそのような人物が率いる自民党では支持することはできないです。
安倍晋三首相が率いる自民党だから支持しているのであり、そういう人が相当数に上るということを理解しているのか非常に疑問です。
なので、安倍晋三首相が無投票で再選することになり良かったです。
先月8月14日に発表した戦後70年談話「安倍談話」も良い談話でした。
日本を取り戻せるのはこの人しかいません。
引き続き日本を取り戻すために頑張っていってほしいと思います。

戦争に近づいているのは -集団的自衛権-

2015-09-06 17:09:51 | 政治


写真は8月14日の東京新聞一面に載っていた記事です。
「秘密保護法 言わねばならないこと」という連載に俳優・香川京子氏が言葉を寄せていました。
最初の出だしに注目してみてください。

「この一年ぐらいで急に戦争が近づいてきた感じがする」とのことです。

相手(テレビと新聞)が執念の偏向報道を仕掛けてきているのでこちらもその都度指摘しますが、戦争に向かっているのは日本ではなく中国のほうです。
現在進行形で南シナ海及び南沙諸島を侵略してフィリピン、台湾、ブルネイ、ベトナム、マレーシアと激しく対立し、陸でもインドやブータンの領土を侵略してやはり激しく対立。
日本の尖閣諸島についても領海侵犯を繰り返し、ついには領空侵犯までし、領土を侵略しようとしています。
武力で他国の領土、領海を奪い取る凄まじい覇権主義国家ぶりを露わにしています。
つい先日の9月3日には「抗日戦争勝利70周年記念式典」として大規模な軍事パレードを敢行。
中国人民解放軍から1万2千人が参加し、戦車、戦闘機、弾道ミサイルといった兵器が多数登場していました。
弾道ミサイルは短距離、中距離、長距離それぞれが登場し、特に長距離の大陸間弾道ミサイルにも核弾頭が搭載可能となっていることには大きな意味があります。
これはアメリカのほうまで核ミサイルを撃ち込めるようになったということであり、軍事的な威嚇となっています。

ここで疑問となるのが香川京子氏や瀬戸内寂聴氏憲法9条を極度に崇拝する人達などの主張です。
こういった人達は文字通り”軍”を率いて武力で日本を始めとする他国の領土を侵略しようとする中国については一切を見ないようにして何も言わず、日本が中国の侵略から国家国民を守ろうとする時だけ「戦争反対!」と叫びます。
安全保障法制(集団的自衛権)に反対してデモを行っている「SEALDs(シールズ)」のような人達や安保法制に大反対な社民党や共産党も中国の武力によって露骨に平和を乱す行為には何も言わず、なぜか中国ではなく日本に「戦争反対!」と叫びます。
そこにものすごい矛盾を感じます。
ちなみに「SEALDs」は一般の普通の学生による団体を名乗っていますが実際には共産党傘下の極左過激派暴力集団、「民青同(日本民主青年同盟)」が主導していることを指摘しておきます。
※参考記事
”一般の”学生が立ち上がる - 安全保障法制反対デモ-

それと、写真の香川京子氏の言葉にはもう一つ重要なものがあります。
二段目の最後から三段目の最初にかけて、「国の方向を決める大変なことなのに、みんなの意見を聞こうとせず、自分たちだけで決めるのはおかしい」とあります。
これは明確に嘘です。
昨年7月に集団的自衛権行使容認について憲法解釈を変更した後、11月に安倍晋三首相は衆議院を解散しました。
この時、民主党、社民党、共産党などは「集団的自衛権反対」と主張し、国民にも訴えていました。
つまり香川京子氏の言う「みんなの意見」を聞く機会があったわけです。
新聞という国民に大きな影響力を持つメディアを使って公然と嘘をつくのはやめましょう。
読んでいる人がこの主張を鵜呑みにし、騙されてしまう危険性があります。
もし本当に国民のほとんどが香川京子氏や瀬戸内寂聴氏のように集団的自衛権に猛反対なのであれば、あの選挙でこれらの政党が圧勝していないとおかしな話です。

ちなみにまがりなりにも報道のプロである新聞社の人達がこの主張のおかしさに気付いていないということはあり得ないです。
当然気付いていて載せています。
「秘密保護法 言わねばならないこと」という連載は特定秘密保護法や憲法9条改正、集団的自衛権に反対する人だけをひたすら登場させているので、どちらかと言えば嬉々として載せていることでしょう。
東京新聞は今や社民党や共産党の機関紙そのものといった新聞内容になってしまっていて、酷い新聞になったものだなと思います。
俳優の人が新聞に出てきて「集団的自衛権反対」と言っているから何となく鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考える意識を持つことが大事だと思います。
私は抑止力を向上させて覇権主義国家・中国による侵略を阻止するために集団的自衛権行使容認に賛成し、近い将来の憲法9条改正を希望します。


※関連記事
安全保障法制 -瀬戸内寂聴さん-
東京新聞5月4日の一面

一人称”わし” CoCo壱番屋にて

2015-09-05 18:23:09 | ウェブ日記
昨日はカレーライスの「CoCo壱番屋」に行きました
テーブル席は満員だったためカウンター席に座りました。
その際、右隣に座っていたおじさんに違和感を覚えました。
カレーはまだ結構残っているのに食べる手は進まず、何かを考え込んでいるように動きが止まっています。

私がメニューを眺めているとそのおじさんが話しかけてきました。
「4辛」のカレーを頼んだところ辛くて食べられないというのです。
CoCo壱番屋のカレーは通常の辛さでも十分辛いため、私は「普通」以外の辛さを頼んだことはありません。
なので「4辛」の辛さは想像がつかないです。

「CoCo壱番屋にはよく来られるのですか」と聞いてみたところ、「たまに来るよ」とのことでした。
2辛や3辛の辛さは食べたことがあり、今回は4辛に挑戦してみたとのことでした。
ただしその挑戦は無謀だったらしく、おじさんは苦笑いしていました。
しきりに水を飲みながら最後はどうにか完食したおじさん。
「帰ったら胃薬を飲もう」と言っていました。

おじさんが席を立つ時、私の席の側に置いてあった伝票を見て「これわしのかね」と言ってきました。
”わし”という一人称を聞いて、このおじさんは紛れもなく山陽の人だなと確信しました。
かつての同期に広島の人がいて、その人の一人称も”わし”でした。
23歳の若さにして一人称が”わし”かと驚いたものでした。
これもまたこの地域の特徴だなと思います。

坂本菓子舗のもみじ饅頭

2015-09-04 20:35:10 | グルメ
世界遺産、厳島神社で有名な宮島。
宮島には沢山のもみじ饅頭のお店があります。
メインのお土産屋通りに集中していて、以前「藤い屋のもみじ饅頭」の記事に書いた藤い屋の本店もここにあります。
そのメインのお土産屋通りから路地に入っていくと、「坂本菓子舗」という和菓子のお店があります。


こちらが坂本菓子舗です。
「銘菓製造元」とあり、風格を感じます。
メインのお土産屋通りに比べて人通りが少ないため、お店の前は静かな雰囲気です。
坂本菓子舗では焼き立てのもみじ饅頭を売っていて、お店で食べていくこともできます。
山田屋や藤い屋にも店内で食べるスペースがあり、もみじ饅頭を食べながら一息つきたい時に重宝していそうです。


こちらが購入したもみじ饅頭です。
「北海道小豆の皮剥きさらし餡」と「夏限定宇治金時」のもみじ饅頭です。
焼き立てのもみじ饅頭なのでとても温かく生地もほくほくしています。

北海道小豆の皮剥きさらし餡は薄い紫とグレーの中間のような色をしています。
焼き立てだけに香りもすごく良いです。

夏限定の宇治金時は抹茶の餡に小豆の粒が入っています。
藤い屋の抹茶もみじ饅頭より抹茶の香りを全面に出していました。
苦いようなことはなくとても美味しかったです。
抹茶の餡と小豆の粒との相性も抜群でした。

小さなお店ながら、たしかな味を持っていて良いもみじ饅頭だと思います。
また宮島に行った際には焼き立てもみじ饅頭を食べに行ってみようかなと思います