昨日で、大学の今年の授業がすべて終わりました。
来年1月に最終授業が1度だけありますが、これでほぼ1年間終了です。
つながり-重なりコスモロジーや唯識、論理療法や聖徳太子『十七条憲法』など、今年も学生たちはよく受け止め、吸収してくれました。
「諸行無常」ということについていえば、日本文化の伝統の中でなされてきた「無常感」という形の美しくも悲しい情緒的な取り方から、「無常観」という哲学的な洞察へと認識を新たにしてくれたようです。
「諸行無常」の話の中で特に心に残っているという学生が多かったのは、授業の中で何となく口をついて出た、
「諸行無常だから花が散るけれども、諸行無常だからこそまた来年花が咲くんだよね。だから、無常ということはいいことなんだよ」
という言葉でした。
諸行無常だから個体は死んでいくわけですが、諸行無常だからこそ新しいいのちが生まれてきて、いのちがずっとずっとつながっていくわけです。
子供が生まれたときもそうでしたが、孫が生まれていっそう、「いのちはつながっていくものだなあ」という感慨があります。
個々のいのちは死んでも、全体としてのいのちは40億年ずっと生き続けている、この先も行き続けていくわけです。
「諸行無常」とは、そうしたいのちの営みを含むダイナミックな宇宙の働きを表現した言葉だと解釈することができるでしょう。
そこに現代科学的な知見を加えて言うと、
「諸行無常だからこそ、宇宙は進化する」
ということになるでしょう。
さらに心理学的な言い方を加えると、
「諸行無常だからこそ、人間は成長できる」
のですね。
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*写真は、桜の冬木立とその向こうのお日さまです。