「唯識を学ぶと」のところで引用した学生のレポートにうまくまとめてくれてあったように、唯識のポイントは、3と4(とその倍数8)と5と6と∞(無限大)に関する唯識のコンセプトがわかったら、だいたいつかめます。
私はまだ若くて貧乏だった頃(今は若くなくなって、しかも金持ち父さんにはなっていませんが)、どちらかというと勉強のできない子のための学習塾をやっていて、相手があまりできない子ですから、いろいろわかりやすく、覚えやすくするための工夫をしました。
その癖が抜けないのか、必要以上にむずかしい話をするのが好きではなく――自慢ではないけれど…単なる自慢ですが、やろうと思えばできるんですよ――「早い話が…」と大切なポイントをお伝えするのが得意になりました。
唯識は、専門的に学ぶととても難しいとされています。
「桃栗三年、柿八年」をもじった「唯識三年、倶舎八年」という言葉があって、まず仏教の基本的な概念を倶舎論で八年学んで、その後でもう三年学んで、ようやくいちおうマスターできる(いちおう、です)とされてきました。
でも、私は大学では後期だけで伝えますから、「早い話が…」、「唯識半年(はんねん)、倶舎はなし」ですね。
まず、3、4(と8)、5、6、∞、と覚えてください。
3は「三性(さんしょう)」、
4は「四智(しち)」、
8は「八識(はっしき)」、
5は「五位説(ごい)」、
6は「六波羅蜜説(ろくはらみつ)」、
∞は「無住処涅槃(むじゅうしょねはん)」、です。
「急がば回れ」ということわざもあります。今日はここまで。
よかったら、「唯識を学ぶと」のまとめをざっと見ておいてください。
「なんかムズカシソウ」と思った方、「学びに終わりはない」のところの学生の感想を見てみてください。だいじょうぶです。
参考までに、もう一つ(4年の女子学生のものです)。
*
後期から仏教心理を受講して、仏教の教えが私たち人間や全ての命あるものがよりよい人生を送るためのものであり、その思想・教えの正しい理解・解釈によって、それらが普遍的なものとしての教えにとどまらず、より洗練された個人の思想となり、私たち一人一人の一度きりの人生を有意義でかけがえのないものにしてくれるのではないだろうかと感じた。
また、仏教の教え・思想は私たちすべての人に通じる集合的無意識となっているのではないだろうか。そのため、仏教の教えは学ぶというよりも、それらを想起させる過程ではないかと私は感じた。
*
学ぶというより思い出す、のですから、ムズカシクナイ!
あ、記憶喪失ぎみだと、かえってムズカシイかもしれないですけどね。

人気blogランキングへ