一見難解そのものに見えた唯識も、わかってみると、ポイントはシンプルでした。
(……といっても、ポイントがシンプルなだけで、専門的な唯識学の理論はもっともっと詳細・緻密ですよ。そこは誤解なきよう。)
三性説についていえば、ばらばらからつながりを見るのがまちがい、一つからつながりを見るのが正しい、ということなのです。
分別性で依他性の世界を見るのは無明・迷い、真実性で依他性の世界を見れば覚りです。
おなじつながりの世界を、どちらから見るかで、結果はまるで違ってくるのです。
見る方向で、見えるものがまるで違う。
まあ、考えてみるとそれは当たり前ですね。
おなじ絵でも、前から見るのと後ろから見るのでは、見えるものがまったくちがいますからね。
前から見れば美しい名画だけれど、後ろから見たらそれほど美しくもない額の裏側ということになります。
一つのものとして世界をみると、「なんてすばらしい世界なんだろう」と感じますが、ばらばらの面を見ると、時に「なんて醜い世界だろう」とうんざりしたり、絶望的な気分になってしまうことがあります。
さて、理論のポイントはこんなにもシンプルですから、頭でわかるのはそれほどむずかしくないのですが、それを自分のこととして心の奥底から実感し実践するのは、とてもむずかしいのです。
ヘッド(頭)でわかることと、ハートで感じることと、ガット(胆)に収まることは、かなり、そうとう、すごく、全然、違うことなんだよ、と私はよく学生にいいます。
自分とコスモスの一体性をなかなか実感できないのはなぜか、身心全体で実感するというのはどういうことかを明らかにするのが、次の八識-四智説です。
コスモスと私たちは一体というすてきな話を、ヘッドでわかるだけでなく、ハートで感じ、ガットに収めたい方、続けて学んでいきましょう。
*この写真は、今日近所で咲いていた今年の梅です。
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