実家に帰省してふと読み始めた。箱入りの豪華な作り。
産経新聞によると10月5日にバイデン政権がそういう発表をしたそうだ。
https://www.sankei.com/article/20231006-B7ZK3E2C3NNGPITFSU4VLGYXOQ/
アメリカと陸続きなのは、北はカナダ、南はメキシコだが、やはりメキシコから密入国する人たちが多いのだ。
別の記事では、メキシコからアメリカに密入国した不法移民が、アメリカの厳しい規制を嫌って一部がカナダに流入して問題化しているという。
米税関国境取締局によると不法移民が去年は238万人で、今年はそれを上回る勢いとのこと。と言う事は4年だと1千万人近くが密入国するということになる。外務省によるとメキシコの人口が2020年の統計で約1億2,601万人
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mexico/data.html
と言う事なのでこの人数は多すぎるような気がする。密入国して追い返された人が再度密入国しているとか、あるいは全世界からの移民がメキシコを経由してアメリカ南部国境から入り込んでいる、ということなのではないか。
副大統領の米民主党カマラ・ハリス等は国境の壁に大反対していたと思うが、どういう心境だろう。反省したりはしてないと思うが。
今回は国境となっているリオグランデ川沿いに20マイル(約32㎞)の塀を立てるそうで、それだけでも結構な距離だが最終的にどれくらいの長さの塀を立てるのだろう。
アメリカとメキシコの国境って半分くらいリオグランデ川が境界線になっていて、その区間は割と越境しやすいと思うのだがものすごく距離が長い。
それに、人が乗り越えたり穴を掘って潜り抜けられないような塀となると相当に頑丈で大規模なものが必要なはずで、長さにもよるが相当な費用がかかるはず。
まるで現代の万里の長城だ。
我が国にもしアメリカのように移民が押し寄せてきたら、自分だったら、とんでもない、入れては駄目だ、出ていけ、と言うと思う。
しかし、今のグローバリズム、ポリティカルコレクトネス的な考え方だと、自分が日本に生まれてきたのは偶々なのだ、同様に日本に入ろうとしている外国人がその国に生まれたのも偶々なのだ、だから自分だけが日本の富と文化を享受して生活する権利はないはずだ、分け与えるべきなのではないか、という事になるのかもしれない。
外国人側も同じように、アンタたちは偶々豊かな国に生まれただけだろ、俺たちにも同じ豊かな生活をさせろよ、と考えているのかもしれない。
これまでだったら、こういう物だと思っていた生活が、今はスマホ等で世界中の情報をたやすく手に入れられるし、交通手段も発達しているので、豊かな国に行けばもっといい生活ができる、と思うのだろう。
今いる場所でよりよい生活を実現するのではなく、今繁栄している場所、国に自分が移動して、そこで自分も享受すればいいと思うのだろう。
自分の元々生まれた土地や共同体や国に対する、愛着と言うか帰属意識のようなものが薄れてきているのだろう。
ただし、そうやってボーダーレスに移動したとしても我々は世界市民であり皆仲間だ、みたいな意識は移動先にも彼らにも無く、結局、同じ国だったり同じ宗教だったり民族の者同士が寄り集まってコミュニティを作る事になる。そして移動先の法律に従順に従えばいいが、自分たちの戒律や慣習と合致しなければ従わないのも当たり前と言えば当たり前で結局衝突が発生する。埼玉県の川口市で問題を起こしているクルド人たちがその典型ではないかと思う(クルド人の場合、日本人の善良性を馬鹿にしているような節もありさらに悪質だ)。
移民だとか難民をもっとたくさん受け入れるべきだという、グローバリズム、ポリティカルコレクトネス的な考え方は歴史を軽視している点が問題だと思う。
人はその地に偶々生まれたのではなく、ご先祖さまたちの長い長い営みの流れの末に、その地にその時生まれたのである。
そして、自分の後にもまた長い長い子孫たちの流れが続いていくように、少しでもいい状態で家であったり財産であったり、あるいは国であったりを引き継いでいかなければならない。
我が国で言えば、今、享受している豊かさは、我々の代で突然生み出されたものではなく、ご先祖様が営々と積み重ねてきた様々な活動の結果なのである。だから自分の一存でそれを分け与えるとか、譲るとか言う考え方はとても自己中心的であり、近視眼的で傲慢なのである。
移民や難民が生まれ育った国で生活できるように援助するのはある程度はまあ有りかもしれないが、人権、人道のため、などと言って国内にどんどん受け入れていくという考え方には反対だ。
少子化対策のためと言うのもまた違うと思っていて、国内で子供を増やすためにやるべきことはいくらでもあると思うし、それをやらないで外国人を受け入れるなど安直の極で愚策もいいところである。
再放送を観た。
濃い話だった。
草刈さんのお母さんが立派な方だったんだなあ、という感想だ。
草刈さんはお母さんの事を、父の事をわりと褒める人だったのでホッとする気持ちがありました、と言っておられたが、だから草刈さんはアメリカまで親族に会いに行かれたのだろうと思う。
自分たちを日本に置きざりにして帰国し、朝鮮戦争で死んだと思っていたら存命していたのに結局連絡も取ろうとしなかったお父さんや、その事を知っていた父方の家族の事を知って草刈さんは複雑な感情を持たれたと思うのだが、最後にはアメリカに行って父方の家族と会って抱擁を交わす。
亡くなったお母さんが一番喜ばれたのではないだろうか。
あと、母方のご家族の事はあまり語られておらず、何か草刈さんとお母さんを冷たく突き放したようにも受け取れるのだが、実際はどうだったのだろうか?
厳しい時代でもしっかり支援をしておられたのではないかと思うのだが。
ほんとに母一人子一人で突き放されたら生きていけなかったのではないかと思うし。
それと、草刈さんの中学校時代の学友で、やはり母子家庭で新聞配達の同僚だったという寿司店の大将が出てきて当時の事を語っておられるのだが、淡々とした語り口の中で短い時間なのだがその洞察力とかにじみ出てくる人間味とかから、苦労して偉くなった人は違うな、と思わされてじんわりと感動した。
相手はメキシコのナショナルチャンピオンらしいが、見た目がおじいさん。
パンチ力はありそうだが、ベタ足で動きがあまりよくない。
しかし、那須川選手はパンチ力がない。
というか、那須川選手はサウスポーなのだが相手の顔面に向けて左の強いパンチが全然出ない。ボディには良いパンチ打ってるのだが。
もしかして、イップスでパンチを打とうとしてもう打てないのじゃないだろうか。
SNSなどで流れて来るコメントを読んでいると真面目で芯のある青年のようで好感が持てるのだが、今のままだと試合は全然面白くないし、強い相手がでてきたら勝てないだろう。
あと、リングサイドにミニスカの色っぽい姉さんが座っていて、しょっちゅう映るのでそっちが気になってしまった。
もう歳なのでラウンドガールはいらない、と思うがこういう目の保養は嬉しい。
中谷はサウスポーだが、左のパンチが上手くない。
背が高く、リーチが長く、顔が小さいので、遠間から肩を入れて前のめりになる感じで左を打つのだが、手首のスナップが効いておらず押し込むような威力のないパンチに見える。
あと力を入れ過ぎて、パンチが流れる事も多い。
リーチを生かして打たれずに打つためにそういう打ち方をしているのだろうが、前のめりになりすぎて連打が出来ず、一発当てて距離が縮まったらすぐクリンチで逃げる。
それでも相手には効いているいるようでダウン取っている。
あまり面白さはないボクシングだった。
これでチャンピオンを取って、防衛もできるから良いのかもしれないが、違うボクシングも見せて欲しいところ。
ただ、後日ネットで色々この試合の評価を観てみたが、中谷選手は非常に高い評価を受けていて、確かにパット見た感じは手打ちに見えるがパンチも強力で効いているので、自分の知らない打ち方もあるのだろう、と考え直した。
あまり面白くないことには変わりないが。
あと、自分が歳を取ったからかもしれないがラウンドガールっているのかな?いらないのでは?と思った。
矛盾していると思うがレースクイーンはアリだと思うのだが、格闘技の場合、競技者が裸に近い格好をしているので、そこにまた半裸のラウンドガールはいらないと思う。
今回のようにミニスカはまだましだが、Rizinのチアガールみたいな恰好はやりすぎだと思う。綺麗どころを出したいのであればボディコン位で良いのではないかな。