先日、父の四十九日の法要で帰省した。
お坊様をお呼びして仏壇にお経を上げてもらい、そのあとお墓に行って骨壷から遺骨を取り出し納骨してもらった。
母の場合は白い布袋に遺骨を入れて納めたのだが、今回はそのような布袋の用意がなく、お坊様はそのままお墓に入れて土に還せば良い、といわれたが私が渋ると、ハンカチはないですか、と言われて持っていたハンカチを渡すと、それにお骨を包んでお墓に納められた。
水色のハンカチだったので白いものを持って行けばよかった、と思った。
仏壇の前とお墓の前でお坊様がお経を読んでくださったのだが、当然全く意味は分からない。
お坊様も折り畳んだ紙をに書いてあるものを読んでおり暗記しているわけではないようだ。
仏壇の前で15分か20分位お経を聞いているときにふと思ったのだが、キリスト教もルターが宗教改革を始める前は聖書はラテン語で書いてあって聖職者にしか内容を理解できなかった、という事。
仏教のお経ってうろ覚えだが、インドのサンスクリット語を中国語に訳したものだったと思うが、それを日本語に訳すところまでには結局辿りつかなかった訳である。
つまりお坊様にしか意味がわからないのだから仏教は宗教改革がないまま今に至っているわけだ。
それでうまく行っていたのだから別に批判するつもりはないが。
でもそれで明治維新以降によくキリスト教に飲み込まれなかったなと思う。
キリスト教って外から見てるとみんなで讃美歌を歌ったり、神父や牧師の言う事も皆のわかる言葉だし、仏教よりはるかに求心力があるように思うのだが。
宣教師たちが上から目線でよほど偉そうで嫌がられたのか、当時は尊王勤王思想が強くて天皇陛下が求心力の中心におられたから、キリスト教は必要とされなかったのか。
そんな単純な事では無いか。
宗教といえば今は韓国、朝鮮由来のエセ宗教が我が国に入り込んで、その連中にやりたい放題やられているように思うが、統一教会に洗脳されて合同結婚式に参加し韓国に嫁いだ日本人妻なんか拉致されたのと同じだと思うので、今統一教会が何故かマスコミに叩かれているが徹底的に追及して解散させ、洗脳されていた日本人女性ももし帰りたいという人がいたら帰国させて欲しい。