那須太社 錦輔 の日記

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エクスペンダブルズの挿入歌

2015-10-31 23:07:44 | 映画

友人に勧められてエクスペンダブルズのDVDを借りてきて観た。

期待していたシュワルツネッガーやブルース・ウィルスは友情出演みたいな感じでちょっと顔出すだけだったのが残念だったが、割りとよく出来たアクション映画だった。

ラスト近く、ナイフ投げをして遊んでいるシーンで、CCRが流れて、ありきたりだけどやっぱり良いな、と思ってたら最後にThin-Lizzy(シンリジィ)の曲が流れてきて驚いた。

The Boys Are Back In Town という曲。曲名も忘れていた。20年以上前の曲だ。懐かしく、うれしかった。

フィル・リノット、ジョン・サイクス等がいたバンドだ。ジョン・サイクスはその後、ホワイトスネイクに移籍したのだったか?

そんなメジャーな曲じゃなかったと思うのだが、スタローン監督の趣味なのだろうか?

ラスト・アルバムのLast Liveをレンタルレコード店で借りてきてカセットテープにダビングして、聞いたものである。

あら、今、地震だ。

 

※追記 スタローンの乗っているピックアップトラックが格好良かった。ググッたらかなり古いクラッシックカーらしい。

 1955年 フォード F-100 カスタムピックアップ 

という車らしい。

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動くものはすべて殺せ

2015-10-29 05:16:28 | 政治経済

HONZというサイトでこの本の翻訳者の布施由紀子氏のあとがきが転載されている。

以下引用

最近はベトナム戦争についてよく知らない若い人が増えていると聞くが、安全保障問題への関心が高まるなか、年配の世代でも、祖国の今後を考えるためにもいま一度、この戦争について知識を整理し直したいとお考えのかたもいらっしゃるだろう。きちんと知るには、フランス、そして日本による植民地支配からベトナムの歴史をおさらいすべきだろうが、そんなふうに身構えずとも、ふと目を惹かれた本を手にとってみることで、思わぬ興味が広がり、理解が深まることもある。むしろそのような出会いのほうがたいせつかもしれない。

引用以上

ベトナムにおけるフランスの植民地支配と我が国の進駐という、まったく異なるものを同列に並べていて、この一行だけで猛烈な違和感をおぼえた。

相当に偏った思想(左翼・リベラル・反日)の持ち主だと思われる。

うがちすぎかもしれないが、このような人物がこのタイミングで訳出した本となると、ベトナムで残虐非道なことをやったのは、アメリカ軍全体の犯罪であり、朝鮮人だけがやったのではない、というような朝鮮人に対して免罪符を与える、という意味合い・意図があるのかもしれない。

全く読んでないから想像しているだけだが。

 

 

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帝国海軍はなぜ敗れたか 御田俊一 著

2015-10-28 18:50:26 | 読書感想文

処分するために本を選別していたら出てきた。

買ったけど読んでない本である。

昭和55年4月10日初版

株式会社芙蓉書房

鉛筆で1800円と書いてある。

目次を見ていたら、「Ⅲ日独連絡達成のチャンスを逃したインド洋作戦」という見出しがあったので、そこを読んだら興味深いことが書いてあった。

以下抜粋

ハワイ作戦を終えた機動部隊は、連合艦隊司令部の命令で、ラバウル方面、蘭印方面の作戦に協力していたが、昭和17年の3月にインド洋方面に出撃した。
機動部隊はハワイ攻撃当時と、ほぼ同様であるが、空母加賀がパラオで珊瑚礁のため艦底を傷つけて内地で修理していたため1隻が減って5隻となり、高速戦艦金剛、榛名が南方作戦を終えて参加し、ここに機動部隊には金剛型高速戦艦4隻が勢揃いした。金剛型は30ノットの高速と18ノットで1万海里の航続距離を有して、機動部隊の編成には日本海軍戦艦中最も適した艦だった。
当時インド洋には、地中海においてイタリア艦隊を制圧したイギリス艦隊が日本軍のセイロン島(現スリランカ)上陸作戦に備えて待機していた。旧式戦艦5隻、空母3隻、巡洋艦7隻、駆逐艦16隻の大部隊である。これらの戦艦は各国の軍縮条約化の戦艦と同じく、艦齢古く速力は遅かったが、地中海においてイタリアの3万5千トンの新戦艦を撃破しての出撃である。その時インド洋に出撃したわが金剛型では、14吋(インチ)砲と彼の15吋(インチ)砲の差からいっても、扱い難い相手ではあったが、わが空母搭載機にとっては、正に絶好のカモだった。3隻の空母も、わが5隻に対し劣勢であり、イギリスの母艦機は当時、複葉固定脚の旧式機が多く、戦力が劣っていたから、これまた絶好のカモであった。この30隻の艦隊を失えば、さきのマレー沖で失った2隻の戦艦を加えて、イギリス海軍は一挙に戦艦、空母の約3分の1を失う一大痛撃を被り、インド洋の制海空権を一挙に失うところであったのだ。
しかし、南雲艦隊は、わずかに1万トンの小型旧式空母ハーミス1隻と2隻の重巡コンウォールとドセットシャーを沈めると、わずか40海里西にいた英艦隊を求めることなく早々に引揚げてしまうのである。
南雲・草鹿のコンビは、常に自艦が傷つかないで、適当の戦果を挙げると凱歌を挙げて帰ってしまうのである。敵との戦闘において敵の息の根を止めるチャンスがあれば、トコトン迄やらなくては勝てる戦争でないのであるが、ある程度のことをすると、わが身が無事なうちに引挙げることは、この戦争においては失策といってもよい。ハワイに続いてインド洋と2回続けてチャンスを摑まなかった両将の罪は大きい。このような部下の態度を知ってか知らずしてか、見逃した山本長官の罪も大きいといわねばならない。
当時、北アフリカではドイツのロンメル軍がカイロに迫っていたのだ。これに対しイギリス軍のモントゴメリーは着々反撃の準備を整えていたが、その補給路はドイツ軍の爆撃下にある地中海を避けて、アフリカ東岸に沿って北上し、紅海を経てスエズに到着していたのである。またアフリカの東北角の、当時イタリア領のエチオピアやソマリアには、まだイタリア軍が連合軍に降伏しないで頑張っていたのである。もし日本艦隊が今一歩進んでイギリス艦隊を撃滅してエチオピアのイタリア軍と連絡していたらどうだろう。補給を絶たれたイギリス軍は破れて、ロンメル軍がスエズに到着した可能性が強いのである。
またソ連軍が1941年の冬季反攻に成功して以来、アメリカの武器貸与法に基づく対ソ援助は本格的になった。その最大のルートは既述のとおりイランルートである。わが機動部隊のインド洋進撃は大きなチャンスだったが、連合艦隊の命令もこのことを考慮にいれたものではなく、機動部隊もあたらチャンスを逃してしまった。
このチャンスを生かしていたら、対戦の様相に大きな変化をもたらしたであろう。南雲の艦隊は、このチャンスを逃して早々に引揚げながら、急降下爆撃機の命中率を誇って得々としているのである。この逸機に関し、大本営も連合艦隊司令部も何も感じなかったようである。

引用以上

この在アフリカの枢軸国軍との連携こそ、インド洋作戦の肝であり、そこに我が国の勝機があったのではないだろうか。佐藤晃氏の著作を読んでから、大東亜戦争におけるわが国の戦略を検証することをテーマとした本を色々読んだが、佐藤氏以外にここまではっきりインド洋作戦の意義と失敗について書いた本はなかった。

ニューギニアやガダルカナルに行く前に、なぜインド洋のイギリス艦隊を撃滅しにいかなかったのか、佐藤氏はさらにその先の戦略として、ロンメルと連携してエジプトから英軍を駆逐し中近東を制圧、黒海・バクーからスターリングラードまで攻め込むことすらできたはず、と書いておられた。

いわれてみれば、そこにこそ勝機があったのではないだろうか?と思われてならない。

帝国海軍のインド洋作戦の稚拙さは、山本五十六長官や米内はアメリカに内通していた、とか戦後、外国で山本五十六を見た、とかいう噂を信じたくなるほどであり、佐藤晃氏の海軍悪玉論にうなずかされるのである。

 

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テレビ廃棄

2015-10-28 17:40:45 | 日記

ずっと台所に置きっぱなしにしていた、液晶テレビを捨てた。

リサイクル業者に引取りを頼むと結構高くて、放置していたのだが、やはり場所を取って邪魔なので処分してもらおうと、インターネットで調べたら、自分で持っていくことができるのである。

粗大ごみについては、船橋市では現在持ち込み処理を受け付けていないが、リサイクルごみは、処分業者のところに持っていったら処分してくれるのである。

郵便局で2916円のリサイクル券を買って、手数料で100円少し払って、自転車で出発した。

ベルトを取っ手に引っ掛けて、そのベルトを肩にたすきがけにしてぶら下げるスタイル。

えらい重い。発表当時のリリースでは9kgだとか。

すぐベルトを伸ばして、肩にかけつつハンドルの上に載せて重さが自転車に直接かかるようにしたら楽になった。

しかし、こすれてバーテープがボロボロになってしまった。バーテープを買うとしたらいくらくらいなのが、節約しようとして節約にならなかった。

通常のゴミ回収サービスに申し込みをして何月何日に行きますから、と予約をとって待たされることがなかったのは、気分がらくだが。

テレビの型番

LC-20C3

発表当時の2002年のリリースを見ると、シャープが景気が良くて隔世の感がある。

http://av.watch.impress.co.jp/docs/20020327/sharp.htm

船橋競馬場ちかくの中古品店で買って、4000円弱だったか、役立ってくれた。

地図では廃棄業者までかなり遠い感じがしたが、割とあっさり到着した。三番瀬のある人工島である。

扇風機を捨てに、船橋の北部処理センターだったかまで自転車で行ったことがあるが、あのときのほうが大変だった。

リサイクルの受付窓口はプレハブ小屋で、2人の職員が所在なげに雑談していた。声をかけてもすぐに返事しないで、どっちが行く?みたいな感じで二人でやりとりしている。人が二人、昼間から遊んでいるなんて、リサイクル業は儲かってるみたいな気がした。

あと、今日はダンボール二箱の古本をブックオフに引き取ってもらう予定。

明日は、組み立て式の花壇を粗大ごみで引き取ってもらう。

これで大分部屋がスッキリするはず。

すでにテレビが消えて床が見えてきたが、すごく気分が良い。

ダンシャリ、とかコンマリ、とか整理の達人の方々は、物を捨てるときは一気にやれ、というのだが、中々そうなると手が出なくて、放置していたが、チマチマでも捨て始めると結構すてられるものである。

とはいえ、グチャグチャだった部屋の中が、やっと物があふれている部屋、くらいになった程度

スーツをもっと捨てたい。

本もまだ捨てたい。

ネクタイも捨てたい。

食品関係も捨てたい。

文房具も捨てたい。

 

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2015-10-26 00:40:57 | 日記

いつもはいているアシックスのスニーカーがボロボロになってきたので、サバゲーの帰りに靴流通センターで新しい靴を買った。

DUNLOPのマックスランライト。税込¥4201円。

アシックスは知人の地元の遠いところで6、7年前に買ったと記憶しているが、その前にどこでスニーカーを買ったか覚えてないし、もうどこで靴を買ったらいいのか分からなくて、迷っていたのだが、サバゲーで石がゴロゴロしているところを駆け回ったら足の裏が痛くて、ちょうどお金をおろして持っていたので、ふと買ってしまった。

脚に馴染んで長くはけると良いのだが。

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