社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

いじめと復讐

2007-03-21 20:19:16 | Weblog
 平成3年佐賀県で、卒業後12年も経過して、同窓会を企画し、出席した当時のクラスメート全員に対しての毒殺未遂事件がありました。砒素と爆弾を準備していたそうです。母親が警察に通報し未遂で済みました。彼は懲役6年の刑に服しています。いじめていたクラスメートは誰1人いじめていた事実さえ覚えていませんでした。しかしいじめの被害者は忘れることはありません。
もっとも復讐するのであれば、二十年以内に合法的に行うべきです。なぜ二十年以内か言いますと民法の不法行為の時効が二十年だからです。ボロボロに落書きされた教科書でも残っていたらそれで充分です。筆跡鑑定が出来ます。相手が結婚か何か人生の重要なイベントの前に告訴します。告訴後は弁護士を通さねば話合いは出来ません。そしてPTSDを訴えます。和解に応じてもかまいません。但し「詫び状」は公正証書で必ずもらいます。
しかしほとんどのいじめの被害者は復讐を考えません。たとえ考えても実行しません。だから「安全パイ」と思われ、いじめの対象に成り易いのでしょう。また「それぐらいで」と加害者は独特の、かってな言い分をつけ自己正当化します。我が国ではその是非は裁判所が着けます。
 法を利用しての復讐、それが法治国家での効果的で後腐れが少ない復讐です。
いじめられる側もそのくらいの腹づまりがあれば、復讐心を糧に自殺など考えません。残念ながら人の行動の動機は、愛情や責任感より、怨みや欲の方が大きいようです。悲しいことですが。しかし死んで(自殺)は悲しい感情さえ存在しません。生きることです、例え復讐心を糧にしても生きていれば道は開けます。
 いじめる側は自分が安全地帯にいるとの確信のもとにいじめを行ないます。しかし必ずしもそうではないことの事例ではないでしょうか。反撃が来ることを想像し得ない程、想像力が乏しくなっているのでしょうか。

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本音が見え隠れ

2007-03-20 21:49:20 | Weblog
 昨日(3/19)TBSニュース23で、「国民投票法」に関する討論が行なわれました。ここで、社民党と共産党は本音がチラホラ見え隠れしました。けだし、的を射ていると思いました。国会義員の殆どがそのように思っていても決して選挙民には知られたくないこと。それは「国民はバカなのだと思っている」ということです。
 昨日の討論で、「憲法を改正するために『国民投票法』の審議を急いでいる」と、この社民党と共産党が発言し、「憲法96条に改正条項があるのに、国民投票法がないののがおかしい。しかも2年も審議している」と自民党と公明党からありました。「民主党は折角一緒に審議して来たのに総理の発言が政局にすると言ってパーにした」とこの3党は「国民投票法が憲法公布60年以上してもないことがおかしい」と言う位置にたった討論でした。しかし、「寝言党」の2党は国民投票法反対のために、本音を漏らしました。「国民投票法が成立したら、経団連や企業が資金に負かせコマーシャルを行なう・・・」と言うものでした。この発言は裏らがえせば、「国民はバカだから宣伝に惑わさられる」と言っているようなものです。
 これは、現在「衆愚制」で国民はバカだから、自分たちは議席を減らしているのだと言っていること同じです。
 大半の議員や役人はそのように思っていてもそれを気付かせないように、言いたいことも言わず我慢しています。

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金融制裁の解除

2007-03-19 21:22:37 | 外交と防衛
 北朝鮮へのアメリカの金融制裁が全面解除になりました。1994年のカーター元大統領が行なった間違いを再び繰り返すようです。アメリカが日本の安全保障の代弁を国内事情によりできないなら、日本も再び「核武装論」に火がつくのではないでしょうか。
 私個人としては日本の核武装に反対です。NPA(核不拡散条約)体制を日本が自ら壊すことはありません。NPA体制は当初日本とドイツが核武装を行わない為につくられた国際条約です。IAEA(国際原子力機構:ウィーン)がその監視を行ないます。2004年まで永年IAEAは日本の査察に予算の30%近くを費やしていました。国際的には、軍事大国=経済大国であり、日本は、衛星もロケットも高速増殖炉も自前で作成でき、精密機器や電子部品では他国を寄せ付けない、経済大国です。このような「経済大国が核武装していないわけはない」と言うのがヨーロッパの常識でした。
 日本が核武装した時のデメリットは、原子炉の燃料の輸入が出来なくなります(発電の1/3以上は原子力発電)、経済制裁を受ける等の外圧を受けます。また、核兵器はデモンストレーションに意味があり「実験」が必要です。日本の領土領海内に実験できる空間はあるのでしょうか。更に、国連憲章は未だに敵国条項があり、日本とドイツに対する目は厳しいのです。あまり得策とは言えません。
 ミサイル防衛を中心とした防衛策が現実に一番実現の可能性が高いのではないでしょうか。また外交は虚々実々の駆引きの世界です。高速増殖炉の実用化と球形爆圧装置の同調性の向上を図り、核爆弾は無くとも直ちに兵器転用ができる準備は必要でしょう。
 武力的背景のない外交はその力が半分無いのと一緒です。なにも折角相手が誤解しているのなら、その誤解を有益に活用するぐらいの腹づもりが必要ではないでしょうか。
 今回のアメリカの金融制裁の解除は核制裁となんら関係ないはずです。金融制裁は、覚せい剤や偽ドルへの制裁だったはずです。アメリカが日本を本気で防衛する可能性は政権により異なります。民主党政権ではその可能性が低くなると思えてなりません。アメリカの政権に振り回されない(その影響が少ない)防衛体制を日本が独自に構築せねばならないでしょう。ミサイル防衛と現行の水際防衛戦の質の向上をもっと図るべきでしょう。



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護憲派の矛盾

2007-03-18 23:14:33 | Weblog
「国民投票法」の法案に社民党や共産党が反対しています。「憲法を護」といって自分たちを「護憲派」と称しています。ここに大いなる矛盾を感じます。
そもそも憲法改正の条項は現憲法に明記されています。つまり憲法を改正するか否かは別に、改正するための準備はしていなければならないわけです。今までしていなかったこと自体が「憲法」を軽んじて来た結果(違憲)ではないでしょうか。 また、「国民投票法」が可決し、仮に憲法改正が進展しても、それは国民の多数決の結果ではないでしょうか。
国民の多数が仮に憲法改正に賛成しても「自分たちの意見が正しいのだから、自分たちの考えに対立することは許せない」と言っているようにしか聞こえません。まるで「力」で反対派や異なる意見を押さえこんでいる、中国や北朝鮮、ロシアとソックリです。もっとも社民党や共産党はこれらの国から過去に援助されていました。
国民の多数意見が憲法改正である可能性が高いため、その準備法たる国民投票法の成立に反対している訳です。現憲法に改正の条項が明記されているにも関わらず、反対し「護憲派」を称しています。言っていることと行動が異なるのではないでしょうか。まるで北朝鮮が「北朝鮮民主主義共和国」のように名前と実態が大きく違うこととよく似ています。
<病棟ロビーにて>
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中庸という考え方

2007-03-17 14:54:16 | Weblog
 東洋では君子が国家を治める上で必要学問として「四書五経」がありました。「四書」は、論語・中庸・大学・孟子を指します。その1つ「中庸」が誤解されてひろまっています。それは2つのことを「足して2で割る」のではなく、それぞれの良いところを抽出し、新たに体系つけることを言っています。その「抽出する視点と体系づける根拠を学べ」と言うことです。
 昨日、日本人の曖昧性を批判しましたが、これも程度問題です。ガチガチの論理性では社会に適合しません。しかし、現在は余りにも「曖昧」であるため問題としたに過ぎません。仏教・キリスト教・イスラム教で一番ガチガチな論理構成で出来ているのがイスラム教です。完成度は最も高い「論理」です。しかし。10~12世紀のイスラム帝国での話です。曖昧さがないためその後の世界の変化に対応できませんでした。
 数年前、故小渕首相の時久米宏氏の「ニュースステーション」にロバートケネディージュニアがゲストとして出演しました。その時ボビー(ロバートケネディーの愛称)Jr.は故小渕元首相とケネディ家が親密であることを発言します。その昔ボビーが早稲田大学で講演していた時「コミニスト(共産主義者)が騒ぎ出し収拾がつかなくなり、学生だった小渕元首相が早稲田大学の校歌を歌い騒ぎを鎮めてそれからケネディ家と親密になった」と発言しました。その時久米宏氏(年齢も近く同じ早稲田大学の学生だった)が「なにも騒いだ全員コミニストと言うわけではないのですが・・・」と言い訳をしていました。しかし、日本では当時中立的と考えられる人間でさえ世界の常識ではコミニストだったと言う良い事例ではないでしょうか。
 昨今日本が右傾化したと言う意見が多々ありますが、本当でしょうか。ヨーロッパの知人(西ヨーロッパ)に聞くと、日本も「中道になったね」と言います。世界はこれまで日本を左傾化した中道と見ていたようです。世界は、またアジアは中国と朝鮮半島だけではないのです。
 中庸がその複数の考えの良いところを抽出するのであればその基準が問題となります。バランス感覚が問題となるわけです。共産主義・社会主義で問題が是正されたことも多々あります。このように異なる考えでも良いところ抽出するには、そのバランス感覚の支点を磨かねばならないようです。
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曖昧な社会

2007-03-16 15:45:28 | Weblog
 「日本語は細やかな表現が優れ、情緒表現に優れている」と言われています。反面、論理性やYES・NOが曖昧であるとの批判もあります。
 第二次世界大戦の反省点の一つに日本語の「曖昧」性が上げられることが多いのも事実です。外交ではない軍事行動で「以心伝心」や「上官の意をくむ」などの「腹芸」は、幕末の軍隊ではいざ知らず20世紀の軍隊では全くの時代錯誤でしかなかったようです。さて第二次世界大戦の反省の上にたった戦後の20世紀後半や21世紀ではどうでしょうか。軍隊だけではなく社会もそうです。
 表現が曖昧なため、お互いの誤解が生じることを避ける工夫が必要です。社会科学では、言葉の定義を確認して討論を行ないます。現在その最たるものに「教育的」と言う言葉等があると思われます。「教育的と言う言葉の定義」を学校現場やPTAで無記名アンケートした場合、多くの回答があるです。このような「玉虫色」の言葉は責任逃れをするときは便利な言葉です。日本人はかなり無責任な民族になってしまったようです。アメリカでは銀行の経営失敗の責任者は200人以上が刑務所にいきました。日本はバブル崩壊の責任をとる者は0に近い状況です。また、「ゆとり教育」等の失敗の責任をとる行政官も政治家も全くおりません。責任とは「訓告」の事なのでしょうか。個人に於いては飲酒の問題が2006年の法改正までそうでした。「ビールぐらい飲んだ内に入らない」と言う方が大多数ではなったではないでしょうか。また、「酒の上のことだから」と言う言い訳がまかり通る世の中でした。個人が責任を回避するための方便として「曖昧」な表現を選ぶようです。しかもそれが日本では「日本的」「大人である」など、根拠もなく評価されています。
「日本的」とは責任回避の表現であり、「大人である」とは何の根拠もないと言うことではないのではないでしょうか。その場は波風立てず「和を持って尊としす」で、全員賛成で、「後で影で反対意見を表明する」、決議の前に決議の場で反対しないのでは意味がないと思います、しかし、それが「大人」なのでしょう。
 法律の解釈をどう行なうかの判断は裁判所が行ないます。決してマスコミが行なうものではないのですが、時折身勝手な解釈を行ないそれが世の中の常識となっているようです。
 「信賞必罰」が政治の基本だと私は考えています。それを明確にするため、明確な「表現」が必要だと考えます。

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昭和の青年は・・・・

2007-03-15 13:17:00 | Weblog
 「個人は質素に社会は豊かに」石川島重工業の蘇生、石川島播磨重工業の合併、東芝の再建、経団連会長、臨時行政改革推進審議会の会長と歴任された故土光敏夫氏の言葉の一つが、「明治の若者は『義の人』に憧れ、昭和の若者は『スポーツ選手や芸能人に憧れる』嘆かわしいことである」と言うのが確かあったと記憶していますが自信はありません。出典は別として昭和の若者であった私は「ギョッ」とするものがありました。この明治の「義の人」とは、日本で最初の公害事件と言われる「足尾鉱毒事件」を問題にした田中正造のことです。その当時財閥の足尾銅山が垂れ流していた鉱毒を問題にしたことにより、命も狙わることもあったようです。その時、多くの若者が毎晩尋ねてきて守ったようです。田中正造はその若者たちと無言で酒を酌み交わしていたそうです。
 しかし、昭和の若者はそのような大義に行動するものには興味がないとお叱りをいただいたのがこの発言です。平成の若者は、昭和の若者より、「かわらない」「良くなった」「ヒドクなった」のいずれでしょうか。
 現在の若者に限らず、日本国民は平和で安定した社会が何もしないで続くと無意識の底に刷り込まれています。主権在民を手に入れてから60年余り経過しますが、自分たちで勝ち取ったものでなくGHQから与えられたものなので、そのありがたみが理解できてない方が多いようです。何のために「選挙」制度あるのか、どうして「選挙制度」は生まれたのか、もう一度考えて見る必要があるのではないでしょうか。
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飛行機事故から見えること

2007-03-14 17:42:13 | 外交と防衛
 ボンバルディア機の前輪が出ず胴体着陸で、飛行機の安全性に疑問を改めて抱かれた方が多いようです。現在旅客機は大型はボーイング社製とエアバス社製が主流です。ロシア製アントノフもありますが先進国は概ねこの2社を採用しています。乗客100名未満の中型は、この事故を起こしたボンバル社製の機体しか無いようです。アントノフや中国製アントノフはやはり先進国の市場では相手にされていないようです。しかし、このクラスの機体の名機は40年以上も使われている(現在第三世界で使用されている)日本製のYS-11が有名です。エアバスはEUが主体であるためにドイツも製造にタッチできています。日本とドイツは第二次世界大戦の敗戦国であるため、単独での航空機製造には多くの国際的な障害があります。YS-11も販売という点での障害が大きかったようです。ドイツのメッサーシュミットやフォッケウルフそしてそのメッサーシュミットによる世界で最初のジェット戦闘機の実用化や日本の零戦、紫電改、5式戦、疾風はその技術が卓越していました。故に戦勝国(国際連合)はドイツと日本の航空機産業への参入を邪魔して来ました。日本の実験機「飛鳥」が、また、YS-11の順当な後継機が市場参入できていたら、このクラスの航空機も選択の自由があったのではないでしょうか。
 航空産業が、飛行機製造産業が、第二次世界大戦後の「世界の仕組み」の姿をストレートに見せてくれる数少ないケースではないでしょうか。普段航空機に興味のない方は航空機事故が発生すると全部の「飛行機(機種や運行会社を含め)はアブナイ」と話題にします。しかも何の根拠もなく、ここにも日本人の神秘好きが目につきます。根拠のないウワサや当たりもしない「感」を信じ「空気」と言う雰囲気だけで生きていきます。大阪万博のあった30年前ならいざ知らず、バブル崩壊を経験し「資本主義のあやうさ」をも経験し、世界中から技術立国と羨望のまなざしで見られている日本の実状が、この「空気」に惑わされるだけならまだしも、その「空気」を上手に泳いだ者が賢いと言うのでは、日本の未来を信じることは難しいでしょう。
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教育の成果 その3

2007-03-13 16:13:42 | 社会常識と教育
 前回の「教育の成果」について、複数の知人から電話やメールを頂きました。大変ありがとうございました。
 ここで、その返答を大まかに分類すると、1)九九もできない子供を大量に社会に出すことは由々しきことでさる。2)他人は他人他所のことは他所のことである。と言う意見に大別できました。そして、実際に学校に於いて保護者会で実態をご存知の女性は2)の意見が多いようです。男性は比較的に1)の意見を仰られる方が多かったです。しかし、母数があまりにも小さいのでこの比較に意味があるとは考え難いのですが、実際の現場によく遭遇する女性の方が、もはや呆れ果ててサジを投げているように感じました。支払能力があるのに給食費を払わない親が問題になっていますが、教師より親(家庭)に問題があるようです。事情があり保護者会に出席することができない方もいますが、一般的に非常識なことをする家庭は同じクラスの保護者もその方との面識がないということが多いとのことです。
 私の田舎は日教組が強く、高校入試を廃止して全入運動を目指していました。四半世紀以上も昔の話ですが、その結果がこのような事態になったのではないでしょうか。そして、その実業高校の教師が近所に住んでおられたので良くお話をきくことができました。高校1年生の英語の最初の時間にまず発する第一声は「アルファベットを最後まで書けるかい」だそうです。分数の計算など、一部の例外的な生徒を除き全くできないそうです。そして卒業までに出来るようになる生徒は余りいないそうです。多分「彼らには今後も、それを必要をしない社会で生きて行くからそれで良いのでしょう」と言うことを25年以上前にお聞したことを思い出しました。
 
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教育の成果 その2

2007-03-12 13:07:37 | 社会常識と教育
 昨日の「教育の成果」について、知人からメールがありましたので紹介します。

「大卒の方には理解できないでしょうが、現在の若者は『そんなものよ』。大学がレジャーランド化したと言われて久しいけれど、高校で進学に関係ない学校はレジャーランド化してしまっています。また、小学校での基礎的なことも身につかないまま高校まで来て先が見えない状況になっています。しかし、無意味な『平等論』に洗脳されて学校側も手出しができなかったようです。『ダメやものはダメ』と教える先生や居残りさせて九九を覚えさせる先生を社会が排除してきた結果です。家庭で本来躾けすべきことまで学校に押してつけてきたことを容認した結果です。これらのことができる子供は進学校と呼ばれる高校へ進学します。もちろん例外もありますが、例外を基に議論しても全体の話は前に進みません。しかし、例外事項を基に揚げ足を取る人間が多すぎて物事の本質が見えなくなってきているのです。」

 なかなか興味深いメールをいただきました。確かに分数の足し算引き算ができない大学生も多数います。また%が理解できない方も多いようです。そういえば偏差値が理解できないで「ふつう」を公共の電波で連呼していた番組はA級戦犯の一人ではないでしょうか。そのような方がマスコミが報道する「市場調査」の何を理解できるのでしょうか。民主主義の基礎が揺れている感じがします。衆愚化の足音が聞こえてくるようです。
<病棟ロビーにて>
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