創作人形を展示販売しています。趣味が高じて不遜にもコーナーを設けました。「イエ、ワタシではなく、実はカミさんのですがね・・・」
少し運動不足なので思い切って長距離の散歩に出た。右足首に違和感があり、左足は外反拇趾の傾向がある。いろいろ治療を試みているが、ここは逆療法とばかりにジョギングするつもりが、いかんせん走り慣れていないので結局は歩くことになった。
行けるところまで行くつもりだったが、仙台港を経由して塩釜に到着した。銘酒浦霞は愛飲家の人気が高い。浦霞は塩釜の佐浦酒造店で製造され、ここが本社だ。
歩数は31,693歩、久しぶりに歩いたなぁ。
クリスマスイブはイチゴケーキにカキフライとカキ鍋!
薩摩では西郷どん(せごどん)と親しみを持って呼ばれているらしい。西郷(さいごう)さんの銅像は上野公園の南端にある。今でも薩摩の方角を望んでいる。銅像の制作者は、かの高名な高村光雲。
かつて上野公園に行った経験は数多くないが、最近は立ち寄ることも多くなった。遠い昔に中学の修学旅行で西郷さんの銅像を見たことがある。その後、横浜東京に30年近く勤務したが、その間に西郷さんの銅像の足元へは1回行ったかどうか記憶にないほどだ。それほど忙しいというか長い間余裕がなかったのだ。
西郷隆盛 1878年明治10年9月24日他界 満49歳 西南の役 1828.1.28生
大久保利通 1879年明治11年5月14日他界 満47歳 紀尾井坂の変 1830.9.26生
薄雪や謙信ここに学び居り
歳歳
米沢は上杉藩の所領で上杉神社がある。そこで、上杉家のルーツを訪ねたくなった。
直江津にある春日山城に登った。長野から山を越え上越に入ると天気は一変、雪混じりの雨になった。天守閣跡に登った後、上杉家の菩提寺である林泉寺に立ち寄った。和尚さんらしき人と立ち話をした。上杉謙信は幼少のころから勉強家でその才能は抜きん出ていたそうだ。謙信の名声を追って後世の大名たちが多数訪ねてきたそうだ。帰路に長野側に戻ると雪山と青空が見えた。
元禄の芭蕉おきなもここ越えて
旅のおもひをとことはにせり 茂吉
斎藤茂吉は偉大なる歌人ですが、北杜夫の父君ですね。北杜夫の小説「楡家の人びと」は若い頃に読んだが、この自伝的小説に父君も出ていましたね。
いつもの羽生ポイント付近
白鳥の湖ではなく白鳥が翼を休める田園です。
ハクチョウさん、200羽ほど遠方から遥々渡って来ました。ようこそ日本へ!
そういえば羽生クンも白鳥のように舞いますね。紅葉が終わり、これから冬を迎えます。
長野小布施の岩松院、北斎の天井絵があることで有名です。小布施の町中にある北斎館の祭り屋台の装飾絵にも圧倒された。小布施の町に半日滞在したが、とても時間が足りない。久しぶりに充実した余韻が残る。
ちなみに絵画は撮影禁止なので絵はがきから。
北斎は70代で富嶽三十六景を、80代で小布施まで当時としては大旅行をして壁画を残し、100歳になればもっとうまくなるだろうとの言葉を残した。
こんな発展途上にある人物を老人とは呼べないよな。
飛騨の高山祭り、櫻山八幡宮の秋祭りに来ました。仙台、新潟、富山経由で8時間。
山鉾、山車のことを高山では屋台と呼びます。神社周辺には屋台に相当する出店はもちろんたくさんありました。高山祭りの宵山は祇園祭と雰囲気が似ていますが、やはり独特の落ち着いた華やかさと地域に密着した楽しさと懐かしさがあり、日本の良さを満喫できます。
高山からは御嶽山や乗鞍岳方面が見えました。場所を少し移動して天気が良ければ穂高や槍ヶ岳が見えるはずです。信州からの視点と違い、飛騨の高山からは異なった北アルプスの山容が新鮮に見えます。
関西にはだんじり祭りがあります。だんじりには曳き回し型と担ぎ上げ型の2種類があります。ボクが中学生のころに乗った担ぎ上げ型は、町内の行列では車輪のついた架台に乗せて引きますが、祭りが最高潮になると数十人の男達が、だんじりを浅草の神輿のように上下左右に踊るよう練り込んで奉納とします。重量は数トン程度あるのでしょうか、浅草の神輿がおもちゃに見えるほど、今思い出しても神社境内でのだんじり祭りは迫力がありました。各地域の数多くのだんじりが奉納の場でその力強さと迫力を競うのです。多分現在は担ぎ手の男達が少なくなって形態が変わっているかもしれません。
ボクが中学生のころ、その担ぎ上げ型のだんじりの中に乗り、ドンデンドン、ドンデンドンと大太鼓を2本の大きなバチで力一杯叩いたことを思い出しました。中学生の仲間が数人乗り込み、2〜3人ずつ交代でだんじりの中にある大太鼓を祭りの間の長時間にわたり叩き続けるのです。あの祭りの最中の大揺れの連続するだんじりの中では、小さな稚児さんは怖くて乗っていられないでしょう。
そんな時代のことを高山祭りで思い出しました。