今年3月に一族郎党で四国を旅行した。金比羅さん(こんぴらさん)に行った。金刀比羅宮(ことひらぐう)のことだ。金比羅さんは船乗りにとって特別な意味がある。金比羅さんには船主の多額の寄贈があり、船主と船乗りの祈りが込められている。「板子一枚下は地獄」船は木造船、板一枚で地獄と繋がっている。だから身の安全と生き残ることを祈るのだ。港には家族が待っている。今回の旅行で金比羅さんに行って、神社の天井を見上げていると親父のこと、昔のことが鮮明に蘇ってきた。
子供のころ、たぶん私が小学生のころだった。父が家に戻ってきて言った。「金比羅さんに参ってきた。」
父は兵庫県の淡路島の富島(としま)という町に生まれた。現在は兵庫県淡路市富島になっている。生まれは大正8年 1919年の生まれだ。幼いころ父の母親が他界した。父は地元の富島尋常小学校、富島高等小学校を卒業した後、16歳の時から船に乗った。父の父親、すなわち私の祖父も生船(なません)の船乗りだったので、父も当然ながら船乗りになった。
生船(なません)とは瀬戸内海ではよく知られているように、船腹自体が生簀(いけす)になっている鮮魚運搬船のことで、船腹の栓を抜くと、金網を通して船外と船内の生簀との間で海水が自由に往来できる構造になっており、魚を生きたまま自由に泳がせながら運搬することができる。生きた魚を運ぶと鮮度が高く、大阪の料亭などでは珍重され、非常に高い価格で取引できたという。
生船で生きたまま運ぶ魚の種類はタイ、ブリ、フグ、ハモなどの高級魚が主であり、九州の五島列島、天草、対州(対馬)、戦前は朝鮮からも遠路はるばる瀬戸内海を通って神戸や大阪まで運んだ。
母親が言った。「多少は意気地のある男なら、皆んな生船に乗った。」
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