東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

父と戦争

2014-05-10 | 淡路・神戸・明石・京都

支那事変から太平洋戦争へと長い間、日本は戦争の時代が続いた。実際に戦争に行った人は父を含めて自分の体験の多くを語りたがらない。生きるか死ぬかの戦争に行くと、自分が生き残ったことが奇蹟なのだ。 

父は二十歳の新兵検査に合格した後、現在の中国に一兵卒として出征した。年代は1940年、昭和15年ころだった。上海近郊の蘇州あたりにいたようだ。蘇州という地名が出ると遠くに視線を置いて、しみじみと懐かしそうな表情を垣間見ることができた。

その後、中国に3年間ほどいたようだが、胸を患い肺結核になり、内地へ送還された。2年間ほど内地療養で病状が回復した後、1945年昭和20年5月ごろに再招集され、大阪の堺の連隊に配属され、次の局面に備えていたが昭和20年8月に終戦を迎えたそうだ。

 写真は10年前に中国の蘇州に旅行したときの蘇州の運河と寒山寺だ。父も一緒に行く予定だったが、高齢で体調を崩したことと母が難色を示したため参加しなかった。




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