東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

須磨 鵯越え 芭蕉

2010-01-03 | Weblog
 須磨には多くの碑がある。須磨浦公園には敦盛塚がある。

 源氏と平家の一の谷の戦いは、現在の神戸で、湊川を中心に塩屋、生田、鵯越(ひよどりごえ)と広範囲に展開したようだ。義経の鵯越の逆落としは有名であるが、史実には諸説があるらしい。一の谷の戦いで平敦盛はわずか17歳で散った。この史実を素材に『敦盛』ができた。後世の織田信長が好んで謡い舞ったという。

人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け滅せぬもののあるべきか  幸若舞『敦盛』

 芭蕉も度々須磨を訪れている。敦盛が笛の名手だったことを偲んでいる。

須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇  芭蕉

公園内には後年の作もある。

蝸牛 角振り分けよ 須磨明石   芭蕉

 蕪村も訪れた。正岡子規は従軍記者として出征した帰りに須磨にて病と闘い、弟子の虚子も訪れている。私たちが来たのは冬至も過ぎた年末にもかかわらず、須磨から淡路を望む眼前の瀬戸内の海は波もなく、どこまでもおだやかであった。

春の海 終日のたり のたりかな  蕪村

ことづてよ須磨の浦わに晝寝すと 子規

月を思い人を思ひて須磨にあり  虚子


 名作群のあとで気が引けますが、恥ずかしながら、僭越ながら一句。

寒風に 馬も落とすか 須磨の浦    小生
光る海 下天に急ぐ 寒もみじ     同上
歳重ね 昇る鉢伏 光あり       同上
おさな子が 輪投げ興ずる 須磨の暮れ   同上 
島なみに 光かがやけ 年の暮れ    同上
荒波に 筑波の双耳 塩屋崎     同上
雪雲や 泉ヶ岳へ 船帰る       同上
松島や 船が迎える 初日の出     同上
   
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