東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

花巻東と宮沢賢治

2023-05-06 | 桐蔭学園

花巻東高校
大谷翔平(エンゼルス)と菊池雄星(旧マリナーズ、現ブルージェイズ)


花巻東高校
正面校門


花巻東高校 専用グラウンド
両翼98m センター120m



大谷翔平クンの横断幕

花巻といえば大谷翔平と菊池雄星の花巻東高校。一度は行ってみたいと思っていた。早池峰山に登ろうと花巻に行った。花巻東高校に立ち寄った。二人は一昨年のメジャーリーグのオールスターに選ばれた。WBC: World Baseball Classic で大活躍の大谷翔平さんの知名度は高く、最近では毎日のニュースになっている。
今をときめく佐々木朗希(千葉ロッテマリーンズ)は陸前高田で生まれ大船渡高校出身だ。岩手県出身のピッチャーは抜きん出ていて凄い。

花巻東高校は花巻市の運動公園に隣接し、同公園には市営の花巻球場があるが、すぐ近くに同校所有の両翼98mセンター120m専用球場があり、広々としたグランドと立派な校舎があり、大変恵まれた環境だと納得した。これに良い指導者がつけば優れた選手が育つのも納得だ。
同校は戦後設立の私学であるが、野球では大きな成果を上げた。目立ったのは大谷と菊池の垂れ幕の横にある大巻将人さん「祝合格東京大学」の垂れ幕だ。一流高校となるには進学実績も欠かせない。受験競争を煽ると批判もあるが東大合格者数は進学校のバロメーターだ。読み書きそろばんと言われるように、例外もあるが基礎学力を有することが全ての基本だ。そこからどう発展させるのかは進学した本人次第だ。

花巻東高校を見て、横浜あざみ野にある桐蔭学園を思い出した。桐蔭にも硬式野球の専用球場がある。桐蔭学園は横浜市北部と川崎市の最奥の境界にあり、昔は辺鄙な丘陵地帯だった。1964年(昭和39年)桐蔭学園設立、1971年(昭和46年)夏の甲子園初出場で全国優勝、1992年(平成4年)東大合格者114人。バラック小屋の高校が甲子園野球を全国制覇し、進学実績もピークに達した。理事長の鵜川昇氏が獅子奮迅の働きで学園を築き上げた。野球は夏の甲子園、ラグビーは冬の花園の全国大会に応援に来ておられ、奇しくも甲子園と花園での応援でお会いしたことがある。盆正月の関西への帰省に合わせて家族で応援に行った。鵜川さんが目指したのは端的に言って「文武両道」だった。残念ながら鵜川さんの亡き後は衰退した。甦れ桐蔭学園!




WBCに出場した山川穂高は富士大学の出身

富士大学は静岡県にあるのではなく花巻市にある。山川穂高は沖縄那覇市の出身というのだから野球界の人的交流は盛んだ。


さて花巻といえば宮沢賢治と高村光太郎。ボクが大学2年のころの傷心旅行を思い出す。晩秋に両巨人の生きた足跡を訪ねたことがある。賢治の庵と光太郎の山荘は決して豊かとはいえないが若い心を痛烈に刺激する。





宮沢賢治と高村光太郎




大迫町岳 県道25号線

早池峰山に登るために早朝に到着した。一応、可能かどうか調べてきたのだが、残念ながら5月19日まで通行止め。雪が残っているため大迫町岳から先の河原の坊、小田越方面は通行止め。林道歩きが往復4時間。その登山口から頂上往復の予定。軟弱だが早池峰山は諦めることにした。これも神の思し召し。


大迫町 岳の早池峰神社

荘厳な雰囲気のいい神社だ。岳は何度か通過したが早池峰神社は初めて参拝した。これまでの非礼を詫びた。まずは、これまで生かして頂いたことに感謝し、万事を祈った。

早池峰山は諦めてその後、民話の里、遠野に向かった。





余談ながら、東北の春から初夏は山菜の季節。知り合いの方からタラの芽を大量に頂いた。カミさんは全てを天ぷらにして一族に再配布。風薫る季節を堪能した。





さて、映画「銀河鉄道の父」が公開された。

早速この映画を観た。宮沢賢治とその父、妹トシとのやり取りが描かれていた。「生と死」は当たり前のテーマだが重くて避けられない永遠のテーマだ。

宮沢賢治の詩集「春と修羅」
永訣の朝

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
あめゆじゆとてちてけんじや
・・・・・・ 

「あめゆじゆとてちてけんじや」
この一句が鮮烈に蘇ってきた。




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