東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

ボルグとマッケンロー

2018-10-14 | 旅・趣味・自転車ほか

伝説の試合の映画が上映中だったのでさっそく鑑賞した。1980年ウインブルドンの決勝が行われたのが1980年7月6日(昭和55年)で、小生が企業から茨城県東海村の日本原子力研究所(原研)に出向したのが同年の7月1日付なので、ちょうど同時期だった。どうもこの決勝戦はテレビで見たような記憶がある。ボルグとマッケンローの凄まじいゲームだった。会社に入ってテニスを自己流で始めて面白くなったころだった。東海村に来て直ぐに原研テニス部に入った。

 現在、小生は何十年振りかでテニスを再開して数年になるが、肩を壊したままなのでスピードは格段に落ちている。思った通りに体が動かない。東海村でテニスをしていたころは若くて体力もあり怖いもの知らずで、思い切り振り抜いていた。小生がバックハンドをダブルにしたのはボルグの影響だったのだろう。

 もう随分昔のことなので実名を出すことをお許し願いたいが、気液二相流の解析で独自の見解を出していた原子炉安全の研究者の岡崎氏とダブルスのペアを組んだ。当時の東海村は原子力研究所、動力炉核燃料開発事業団(動燃事業団)、通信研究所などがありテニスのレベルが高かった。その東海村テニス大会で岡崎氏とのペアが決勝まで進んだ。当日は、こんなことはめったにないのだが小生はノーミスに近く、力の限り振り回したのがエースとなって決まった。もともと岡崎氏はプレースメントが良く堅実かつ強いショットを打ち、それに加えて前に出てボレーが上手で確実に決めるので、小生さえミスしなければいいところまで行けたのだと思う。最後は動燃のペアに敗れたが、岡崎氏のおかげで準優勝となった。これが小生の一生に一回きりの番狂わせの準優勝だった。

 1983年にカリフォルニアのサンタバーバラで学会があり発表した。いつまでも遊んでいられなくなった。そろそろ学位をまとめる必要があった。
An Experimental Study of Blowdown Thrust and Jet Forces by 6-inch Pipe under BWR LOCA, Yano T., Isozaki T., Ueda S., Miyazaki N., Kurihara R., Kato R. and Miyazono S., The Second International Topical Meeting on Nuclear Reactor Thermal-Hydraulics, Santa Barbara, California, U.S.A., January 11-14, 1983, Proceedings on Nuclear Thermal Hydraulics, Thermal-Hydraulics of Nuclear Reactors 2, 761-768, 1983.

発表終了後、ロスアラモスの研究所に立ち寄り、広島原爆の実物モデルを見てこれが原爆なのだと固唾を飲んだ。
カリフォルニアから帰国する直前にスタンフォード大学に立ち寄った。そこには大規模なテニスコートがあった。マッケンローは既に中退した後だった。ああこれがマッケンローの旅立ったテニスコートなのだと感動した。





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