東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

フレー フレー 桐蔭!

2011-02-01 | 桐蔭学園
もう先月のことですが、桐蔭学園高校がラグビーの全国優勝を果たした!

 思えば長い道のりだった。愚息が桐蔭学園中学に入学したのは10数年以上前だった。横浜の上大岡の家に移ったのが小学6年の時だった。幾つか中学入試を経てやっと桐蔭学園に入学した。そこで新しい家に移って1年後には桐蔭学園のある町、あざみ野に転居した。「孟母三遷の教え」というがカミさんは当時、確かに猛烈な母親、猛母だった。夫の職場の近くを離れ子供の中学の近くへ何のためらいも無く引越しを決めた。もちろんボクにはほとんど事後承諾だ。

 桐蔭入学後、中学高校と6年の間に野球は甲子園に何度か出場した。夏は西宮の甲子園まで応援に行った。「フレー フレー 桐蔭!」大声を張り上げて叫んだ。
 サッカーの全国大会は横浜の三ツ沢競技場ほか関東で開催され、桐蔭高校にはU17日本代表の阿部祐大朗がいてベスト4まで行き、ボクは仕事もそこそこで国立競技場にまで応援に行った。相手は長崎の国見高校、フォワード平山のヘディングシュートに敗退した。
 ラグビーは何度も全国大会に出場した。ラグビーの全国大会は大阪の花園で毎年正月休みに開催される。その度に花園へ応援に行った。名物校長の鵜川昇先生も応援に来られていた。ベスト8、ベスト4、最近では準優勝まで進んだが東福岡高校の壁は越えられなかった。今年1月8日は決勝戦、鳴子温泉へ向かう途中、ホームセンターの駐車場に車を止めカーナビのテレビで応援した。結果は東福岡が追いついて同点、両校全国優勝、肩を並べた。これが本当のノーサイド! カミさんが言った「これで花園ラグビー場のあの石碑に、桐蔭学園の名前が刻まれて、永遠に残るんだね」。

 俳優の織田裕二はテニス部出身、ジャイアンツの高橋由伸はもちろん野球部だ。男子部と女子部を結ぶ長い空中廊下がなつかしい。学園祭のバザーの時だけ女子部に行く。当時は東大に100名以上の合格者を出していた。最近、鵜川昇校長が亡くなられ、もちろん東大だけが全てと言わないが、東大合格者は激減したという。

 ラグビーは全国優勝を果たした。桐蔭には血沸き肉踊るワクワクした期待感があった。一緒に駆け抜けた。 わが青春の桐蔭! これを機会にスクラムを組みなおし、巻き返そうぜ! フレー フレー 桐蔭! 


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