9月10月用にwithコロナを意識した8コースを考えて、11月12月は同じコースを繰り返します。ということで二か月ぶりの北部公園コースですが、駒場東大の中を歩けないのでちょっとだけコースを変えて歩くことにしました。駒場東大の敷地は広大で、中を歩けないと大幅な回り道となり冗長な部分も出てくるので。
菅刈公園の紅葉
イヌタデ
青空も少しのぞく
ハナミズキの紅葉
ツワブキ
シャクチリソバ
中目黒GTに20人近く集合しました。春先と比べて人数が増えたのは、会員の皆さんも運動不足を実感しているからでしょう。ウォーキング中のマスクの着用は義務付けていませんが、ほとんどの皆さんがマスクを着用してウォーキングを楽しんでいます。ウォーキング中のおしゃべりも楽しんでいるので、マスクは必須でしょうか。
いつもストレッチ場所にお借りしている目黒川舟入場でキッチンカーによるテイクアウトイベントが行われているので、蛇崩川が目黒川に合流する合流点遊び場をお借りしストレッチをしてスタート。目黒川をさかのぼり菅刈公園へ。
ミキモトのバラ
キク
目黒川
大橋ジャンクションのシダレザクラ
菅刈公園でトイレ休憩の後前回は西郷山公園へ上っていったのですが、今回は川沿いをさらにさかのぼりました。ミキモトの菅刈公園側のバラはあまり花はなく、実が目立っています。
宮下公園脇の坂
坂の途中の松
駒場高校南門
玉川通りを横断して上目黒氷川神社の西にある宮下公園。向かって左側の坂を上り公務員住宅を抜けて駒場野公園方面に行くことが多いのですが、今回は向かって右側の坂を上ります。練兵場の跡が戦後学校の敷地となっているので大きな木も多い。都立駒場高校は明治時代六本木に東京府立第三高等女学校として開校し、戦災に遭い戦後駒場の地に移り駒場高校と改名しています。
仰光寮
駒場高校のホームページから引用します。
香淳皇后(昭和天皇の皇后陛下)が御学問所として使用された建物(お花御殿)。昭和8年(1933年)、東京府を通じて本校に下賜された。当初麻布の校地にあり、昭和20年の空襲の際にも宿直の先生方の消火作業により、焼失を免れた。のち昭和26年(1951年)、同窓会「松桜会」の尽力で現在の校地内に移築された。本校の伝統を象徴する建物。
トランペット
コキアと目黒一中の校庭
駒場高校正門
駒場高校と目黒一中は隣接して間に道がないので、一中をぐるっと回らなければなりません。一中の校庭も戦前は練兵場で馬がいたため、生徒が怪我をして破傷風になることが多く困ったという話を小学校の担任が話していたので、検索してみてもそのような記事には至りませんでした。しかし感染症学雑誌第60巻第4号に「東京都目黒区駒場の一民家の庭で1982年9月柿の木から落ちて足指を切り,土で汚れた傷を外科医が治療,縫合した後8日の潜伏期を経て破傷風になった54歳の男性がいた.」とありました。いまとなっては真偽はわかりませんね。
東大前商店会
キッチン南海
たこやきみしま
古書店
駒場は基本的には住宅街なのですが、東大駒場があって学生街のような雰囲気を見せているのが古書店でしょうか。みしまのたこやきはおいしいと聞いていますが試したことがありません。キッチン南海は神田に勤めていた時ランチで何度か訪れたことがあり、学生街のイメージがあります。神保町の本店は見たことがありますが、今年6月に閉店してしまったそうで、神田小川町にあったランチで訪れた店も閉店。Wikipediaから沿革を抜粋します。
南山茂が1960年に東京都千代田区飯田橋で創業、1966年に千代田区神田神保町に移転した。店名は南海ホークスに由来し、チームカラーの緑色が店の看板にも使われている。
学生街における麻雀ブームのたかまりを受けて、1970年代には神保町内の雀荘への出前を目的とする支店が5店舗展開された。これらの支店はブームの落ち着きとともに閉じられたが、その際に得られた資金で平成初期に本店の大規模な改築が行われた。
この店で修業した料理人が独立してキッチン南海の店名で開店したことから、神田神保町の他にも都内や近県に20近くの同名店舗が存在する。独立時の条件が「大衆的な値段」のみだったため、メニューや価格は店舗によって異なる。
駒場東大の門は封鎖中
駒場小学校
日本民藝館
東京大学先端科学技術研究センター
駒場東大の門は相変わらず閉鎖中です。駒場公園に行くことが多くあまり訪れることがない日本民藝館前を通り、多くの大谷石が使われていることに初めて気づきました。先日大谷資料館を訪れたので、何となく親近感。
駒場公園
日本近代文学館
駒場公園洋館前のバラ
前田邸の焼却炉?
旧前田邸洋館
駒場公園の灯篭
駒場野公園
駒場公園を経由して駒場野公園でストレッチをして解散です。
帰り道で見たキク
この日からウォーキングが13時スタートとなりました。ウォーキング終了後ちょっと早いけど飲みにゆくことがこれまでの楽しみでした。withコロナの時代、5人以上の会食は避けるようにと言われており、声をかければ5人以上になることは目に見えていたので、残念ながらおとなしく帰ります。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
菅刈公園の紅葉
イヌタデ
青空も少しのぞく
ハナミズキの紅葉
ツワブキ
シャクチリソバ
中目黒GTに20人近く集合しました。春先と比べて人数が増えたのは、会員の皆さんも運動不足を実感しているからでしょう。ウォーキング中のマスクの着用は義務付けていませんが、ほとんどの皆さんがマスクを着用してウォーキングを楽しんでいます。ウォーキング中のおしゃべりも楽しんでいるので、マスクは必須でしょうか。
いつもストレッチ場所にお借りしている目黒川舟入場でキッチンカーによるテイクアウトイベントが行われているので、蛇崩川が目黒川に合流する合流点遊び場をお借りしストレッチをしてスタート。目黒川をさかのぼり菅刈公園へ。
ミキモトのバラ
キク
目黒川
大橋ジャンクションのシダレザクラ
菅刈公園でトイレ休憩の後前回は西郷山公園へ上っていったのですが、今回は川沿いをさらにさかのぼりました。ミキモトの菅刈公園側のバラはあまり花はなく、実が目立っています。
宮下公園脇の坂
坂の途中の松
駒場高校南門
玉川通りを横断して上目黒氷川神社の西にある宮下公園。向かって左側の坂を上り公務員住宅を抜けて駒場野公園方面に行くことが多いのですが、今回は向かって右側の坂を上ります。練兵場の跡が戦後学校の敷地となっているので大きな木も多い。都立駒場高校は明治時代六本木に東京府立第三高等女学校として開校し、戦災に遭い戦後駒場の地に移り駒場高校と改名しています。
仰光寮
駒場高校のホームページから引用します。
香淳皇后(昭和天皇の皇后陛下)が御学問所として使用された建物(お花御殿)。昭和8年(1933年)、東京府を通じて本校に下賜された。当初麻布の校地にあり、昭和20年の空襲の際にも宿直の先生方の消火作業により、焼失を免れた。のち昭和26年(1951年)、同窓会「松桜会」の尽力で現在の校地内に移築された。本校の伝統を象徴する建物。
トランペット
コキアと目黒一中の校庭
駒場高校正門
駒場高校と目黒一中は隣接して間に道がないので、一中をぐるっと回らなければなりません。一中の校庭も戦前は練兵場で馬がいたため、生徒が怪我をして破傷風になることが多く困ったという話を小学校の担任が話していたので、検索してみてもそのような記事には至りませんでした。しかし感染症学雑誌第60巻第4号に「東京都目黒区駒場の一民家の庭で1982年9月柿の木から落ちて足指を切り,土で汚れた傷を外科医が治療,縫合した後8日の潜伏期を経て破傷風になった54歳の男性がいた.」とありました。いまとなっては真偽はわかりませんね。
東大前商店会
キッチン南海
たこやきみしま
古書店
駒場は基本的には住宅街なのですが、東大駒場があって学生街のような雰囲気を見せているのが古書店でしょうか。みしまのたこやきはおいしいと聞いていますが試したことがありません。キッチン南海は神田に勤めていた時ランチで何度か訪れたことがあり、学生街のイメージがあります。神保町の本店は見たことがありますが、今年6月に閉店してしまったそうで、神田小川町にあったランチで訪れた店も閉店。Wikipediaから沿革を抜粋します。
南山茂が1960年に東京都千代田区飯田橋で創業、1966年に千代田区神田神保町に移転した。店名は南海ホークスに由来し、チームカラーの緑色が店の看板にも使われている。
学生街における麻雀ブームのたかまりを受けて、1970年代には神保町内の雀荘への出前を目的とする支店が5店舗展開された。これらの支店はブームの落ち着きとともに閉じられたが、その際に得られた資金で平成初期に本店の大規模な改築が行われた。
この店で修業した料理人が独立してキッチン南海の店名で開店したことから、神田神保町の他にも都内や近県に20近くの同名店舗が存在する。独立時の条件が「大衆的な値段」のみだったため、メニューや価格は店舗によって異なる。
駒場東大の門は封鎖中
駒場小学校
日本民藝館
東京大学先端科学技術研究センター
駒場東大の門は相変わらず閉鎖中です。駒場公園に行くことが多くあまり訪れることがない日本民藝館前を通り、多くの大谷石が使われていることに初めて気づきました。先日大谷資料館を訪れたので、何となく親近感。
駒場公園
日本近代文学館
駒場公園洋館前のバラ
前田邸の焼却炉?
旧前田邸洋館
駒場公園の灯篭
駒場野公園
駒場公園を経由して駒場野公園でストレッチをして解散です。
帰り道で見たキク
この日からウォーキングが13時スタートとなりました。ウォーキング終了後ちょっと早いけど飲みにゆくことがこれまでの楽しみでした。withコロナの時代、5人以上の会食は避けるようにと言われており、声をかければ5人以上になることは目に見えていたので、残念ながらおとなしく帰ります。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール