知っている人は知っている。でも、知らない人はまだまだいそう・・・。
彼の名は、すぎはらちうね(すぎはらせんぽ)。第二次世界大戦の頃、彼は外交官としてリトアニアにいました。外務省のリストによると、1940年の今日(7/9)よりビザを発給するようになるのですが、ドイツと連携する本国の方針に従わず、ユダヤ難民に対して半ば独断でビザを発給し続け、その数・・・推定6000人の命を救い、後に東洋のシンドラーと呼ばれた人物です。
彼の行為は、外交官として、果たしてどうであったのか、でも、人としてどうであったのか、とよく話題となります。帰国子女の皆さんの中には、外交官を目指す方も多いことでしょう。一人の人間の生き方から、いろいろなことを学んでみてください。
ちなみに、杉原氏は、イスラエルから「諸国民の中の正義の人」という、ホロコーストからユダヤ人を救った非ユダヤ人への贈る最高栄誉章を受賞した約20000人の中で、唯一の日本人です。イスラエルの切手にもなり、ポーランド政府からも勲章が贈られ、リトアニア政府により、首都ビリニュスの通りにスギハラの名が名づけられています。また、戦後、駿台の近隣にある、お茶の水の名所・ニコライ堂敷地内のニコライ学院でロシア語教授を勤められており、気になる存在なのです。駿台国際の学生には、特に知っていてほしい人物です。(Nas)