文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

共和党のテレビ宣伝で、思ったこと。

2010年11月04日 21時45分12秒 | 日記

長期不況に憤り アメリカ総局長 立野純二

 

のタイトルで、今朝の朝日新聞一面にあった記事を、読み流した人は多かったと思うのですが。

 

…前略…近年の世論に通底しているのは、米国の未来は危ういという悲観だ。この日の調査でも、国は誤った方向に進んでいるとの声が6割に達した。その心理に乗じて共和党陣営は、未来の中国の大学講義を模したテレビ宣伝を流し続けたのが象徴的だった。中国人の教授が、歴史上の帝国はすべて増税と財政赤字で衰退したと語りかけ、「米国も今や我々の配下にある」と笑う内容だ。そんな自虐的な宣伝に超大国としての自信の揺らぎと焦りが映し出された。…後略。…黒字化は芥川。

 

芥川は、この部分を読んで、「文明のターンテーブル」の正しさを思った…消費税増税では「失われた20年」の問題は解決されない…最初の「文明のターンテーブル」及び、何度か書いた章をご参照ください。

 

僕は、この共和党のテレビ宣伝には、人口の90%を占める労働者の、尊い税金で給料を得ている、官僚、及び政治家、そして、それに追従するマスコミが、実は、国を滅ぼして行くのだという真実があると…強烈に感じて…一気に目が覚めた。

 

僕は、慶大教授櫻川氏の案も良いと思う。芥川の「買っておしまい」(該当する章をご参照ください)も良いと思う。

 


小沢一郎氏の、ニコニコ動画での記者会見。

2010年11月04日 17時07分51秒 | 日記

昨日、文化の日に相応しく、芥川の頭には言葉が一杯だった、と書いた割には、殆ど書いていないじゃないか、と思われた方もいらっしゃると思う。

 

恒例のスーパー銭湯からの帰途、くりきんとんのTさんから電話があった。「芥川さん、今日、4時から、ニコニコ動画で、小沢一郎の記者会見がある、一緒に観ませんか?」…このチャンネルの事を教えてくれた人ですから断る訳にもいかず「うーん、良いけど」と言ってしまったのでした。

 

うーん、と唸ったのは、良い意味で、僕は、彼女とは違い、小沢一郎氏については、見る必要はなかったからです…彼女が、僕の気持が分からないのは、僕の身近にいる、最も不熱心な読者だからなのですが。

 

小沢一郎氏は、国会喚問にも政倫にも出る必要はない…そんな事は当たり前の事です…大体、この2年超、戦後でも有数と言って良いぐらいの、迫害を受け続けた人間に対して言う事か…おまけに、その事を予算審議に入るか入らないかの人質に取ろうとする、下衆の極まりの様な国会議員達と、それに同調するマスコミの有り様。

 

そんな下衆だから、世界に相手にされないのだ…そんな人間が、私は国会議員です等と言って海外に行った所で、誰にも尊敬などされる訳が無い。

 

かつて、芥川が、それなりに世界に…と言ってもハワイが一番多く、次いでシンガポール、バンコク、イタリア、パリ、ロンドン(これは一番少ない)位のものだが…行っていた時、尊敬はされても、軽蔑された事は、ただの一度も無かった。

 

マウイ島に、米国の富裕層しか来ないリゾート地が在るのですが…当時の僕は、そこに、毎年、滞在していたのです…朝早く、廊下を歩いていた時、向こうから、白髪の老婦人が歩いて来た…皆さまもご存じの様に、向こうでは、見知らぬ人間であれ、このようなシチュエーションで、目と目が合い、すれ違う時には、時候の挨拶を交わすもの…「Good Morning」「Good Morning」と挨拶を交わした時だった…彼女が芥川の方に近付いて来て、こう言った…「You have a good smile . Good hearted people have a good smile」と。


極論すれば、外交は、そこから始まるのだ…あなたが観光客としてであれ、なんであれ、あなたが訪れた国で、あなたがどう振舞うか…あなたに、相手も納得する、相手の国に対する知識や、尊敬の念があるかどうか…あなたに哲学があるかどうか。

 

結局は、どんなレベルであっても、相対した一人を通して、人は相手の国の良し悪しを理解するのだと芥川は思う。

 

芥川は確信するが…上記の様な事を、言っている様な類の国会議員は…どこの国に行ったとしても、すれ違う、見知らぬ人に挨拶を交わす事など…決してしない人間たちであることを。

 

閑話休題

 

標題の番組は、視聴者…休日の午後4時だというのに14万人!もの人が、パソコンで観ていた…からの要請で、一時間の予定が、一時間半まで延びたのです…スーパー銭湯の帰り道、今すぐにでも書きたかったことの、時間も失われてしまったのでした。


最終章と、エンドロール。

2010年11月04日 16時03分38秒 | 日記

亀谷の携帯電話に残されていたであろう〈Tからのメール〉の内容は、亀谷やTが、三井からの「捜査情報」を接待の、“見返り”と認識していなかったことを証明する、検察にとっては極めて不都合な証拠だった。だからこそ、野口は亀谷に携帯電話の在りかをくしきりに聞いていた〉のだろう。

 

そして、大阪地検特捜部はそのメールの存在を認識しながら揉み消したとしかいいようがない。というのも、亀谷の手記には〈携帯は運転手に預けた〉と記されているが、特捜部は亀谷を、三井の「詐欺」の共犯として逮捕したにもかかわらず、自宅も車も捜索していないのだ。

 

万が一、亀谷の携帯が見つかっていれば、野口はそれを〈手に〉して、どうするつもりだったのか。今回の前田元主任検事と同様に、検察にとって都合の悪い証拠である〈Tからのメール〉の隠滅でも図るつもりだったのだろうか……。

 

獄中手記によると、この後、亀谷はさらに検察の描く三井事件のストーリーに 〈調書を合わせ〉ていく。

 

そして20日間の勾留期限を迎え、釈放された亀谷は驚愕の事実を知ることになるのだ。

 

次回はさらに、この特捜部の捜査を、“検察一家”がいかにしてサポートしたかについて詳報する。

    (文中一部敬称略)

 

 

2002年4月22 日、大阪高検公安部長がった三井環氏は突然、詐欺と電磁的公正証書原本不実記録・同供用、公務員職権乱用の疑いで大阪地検特技部に逮捕された。逮捕容疑は、神戸市内のマンションを購入した際、所有権移転登記に伴う登録免許税の税率の軽減(約47万円)の適用を受けるため、実際にば住んでいないのに虚偽の転入届を提出したなどというもので、通常ではあり得ない逮捕だった。

 このとき三井氏は検察庁内で長年、裏ガネにされてきた調査活動費(調活費)の実態を、現職のまま実名で告発しようと、本誌はじめマスコミ関係者などと接触をしていた。だが、森山真弓法相と原田明夫・検事総長(いずれも当時)は逮捕直後の会見で、裏ガネ疑惑については『事実無根』と否定した。

 その後、検察は三井氏の『悪質性』を強めるため、元暴力団関係者に捜査情報を漏らした見返りに飲食や女性の接待を受けていたという収賄容疑などで三井氏を再逮捕。法務省は三井氏を懲戒免職処分にした。三井氏は、口封じ目的の逮捕であり『公訴権の乱用』などと主張し、325日もの間、勾留される。

 裁判では一審、二審ともに実刑判決。最高裁も08年9月11日付で三井氏側の異議申し立てを棄却し、懲役1年8ヵ月の実刑判決が確定。三井氏は静岡刑務所で未決勾留日数を除いた1年3ヵ月拘束され、今年1月に出所した。

 


続き。

2010年11月04日 16時02分06秒 | 日記

この記述には若干、補足説明が必要だろう。

 

亀谷が相談役に就いていた五代目山口組「二代目佐藤組」(当時)の本部長だったYは95年末、岡山地裁で詐欺の罪で懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。その後、Yは98年に岡山で暴行事件、さらに99年には大阪で暴行、監禁事件を起こしており、それぞれ逮捕状が出ていた。

 

2件の事件で、実刑になることを恐れていたYは亀谷に、最初の詐欺事件の執行猶予期間が切れるのはいつなのか、そして、その後の事件の捜査がどんな状況なのか、三井に聞いてもらうよう依頼したというのだ。

 

ところが、Tを通じて返ってきた三井からの回答はこんなものだったという。

〈Tからのメールで、三井の返事は、例えば「何かの事件(犯罪)なら、時効は何年」といった、六法全書でも分かる程度のありきたりのもので、大阪の事件のことも「分からん」と言ったといい、Tもメールに「三井は役に立ちまへんなI」と打っていた〉

 

亀谷の手記からは、この三井からの回答は、接待の見返りーすなわち収賄罪の根幹を成す「職務権限を利用した便宜供与」と認識していた様子は微塵もうかがえない。

 

実際、三井は公判でも一貫してこう主張していた。

 

〈Tに対し「時効はその犯罪行為が終わった時から進行する。時効は特別なことがないと停止しない。逮捕状の発付の件は教えるわけにはいかない。時効のことなど考えずに早く出頭してください」などと言った。時効については教科書に書いてあるようなことを言っただけであり、逮捕状の発付については最初から教えるつもりはなかった〉

 

この三井の主張と、亀谷の獄中手記に記された証言は見事に一致する。野口の取り調べに対しても、亀谷は当初、手記のとおり供述したという。

 

握りつぶされたTからのメール

 

ところが、このころには、Tだけでなく、Yまでもが既に特捜部の、“協力者”になっており、検察のストーリーに合った供述をしていたようなのだ。

 

〈野口が「Tさんと、Yさんの(「捜査情報の照会」に関する)調書は合っていて、違うのは会長だけや」と言ってきた〉

 

ここで、マンションを巡って三井に対して悪感情を抱いていた亀谷は、〈三井の事でもあり、「ええか」と思い、「2人の調書に合わせといてくれ」と調書

を取らせた〉という。

 

が、これについて亀谷は後に手記の中で 〈野口にハメられた〉と綴っている。

 

そしてストーリーどおりの調書が取れたことに満足した野口は、亀谷に三つ尋ねたというのだ。

 

〈(役に立たなかったという)Tからのメールのくだりで、野口は「会長の携帯はもうないんでしょ?」、「川かどっかへ捨てたんでしょ?」、「(携帯が)出たら、(野口自身が)手にできるんでしょ?」としきりに聞いていた〉

 


続き。

2010年11月04日 15時59分43秒 | 日記

机に両手をつき頭を擦りつける

 

〈野口が突っ込んだ(Tと三井の)共謀性を問うため、「ひとつ、ひとつ(Tと三井の関係を)聞かれても、2人の間のやりとりは、(Tの)事後報告でしか知らん」と答えると、野口だけでなく、書記官までもが「そんなことないやろ!」と声を荒らげたため、こちらも同様に声を荒らげて「事後報告でしか知らん!」と返答しといた。初めの調べはこれで終わった〉

 

ところが、それから数日後、野口の態度が〈180度変わった〉というのだ。

 

〈後日の調べでは、(付き添いの)刑務官がドアを開けて入ると野口と書記官が立って出迎え、野口はテーブルに両手をつき、頭を擦りつけるように下げていた。

 

〔中略〕この日からは、調べの度に野口は机に手をついて頭を下げ、書記官も立って出迎えるようになった。刑務官も「あの検事さんは頭が低いですなあ」と話していた〉

 

前号でも述べたが、単なる、“微罪”で当時、現役の大阪高検公安部長だった三井を逮捕した大阪地検特捜部に対し、メディアから「口封じ」との批判が起こることを恐れた検察は、三井の「悪質性」を強調する必要に迫られていた。

 

そこで検察が作り上げたのが、前述のTのメモに基づく、Tと三井との「贈収賄事件」だったのだが、三井を収賄で再逮捕し、起訴に持ち込むには、是が非でも「贈賄側」となるTや亀谷の、“協力”が必要だった。

 

ゆえに野口も、亀谷の機嫌を損ねるわけにいかなかったのだろう。野口の豹変ぶりからは、当時の高田明夫特捜部長(現・弁護士)や大仲土和主任検事(現・

岡山地検検事正)らの意向が透けて見えるようだ。

 

取り調べが進むにつれ、野口は亀谷に、釈放の可能性を〈パーセントで示し〉始めるようになったという。例えばこんな風に。

 

〈野口が調べの度に、「会長 (亀谷)の釈放は60%ぐらい」などといい始め、だんだん(そのパーセンテージが)上がっていった〉

 

そしてその、“見返り”に野口は、三井とTとの関係に関する証言を執拗に引き出そうとするのだが、亀谷は〈2人(三井とT)のことは2人に聞いてくれ〉という供述に終始したという。


当時、特捜部は、三井を収賄で逮捕するため、Tによる接待の見返りに、三井が捜査情報を漏らしたーというストーリーに合った供述を、Tや亀谷から取ろうと躍起になっていた。そこで目をつけたのが、亀谷の知人の暴力団幹部Yの依頼で、亀谷がTに命じてやらせた、三井への「捜査情報の照会」だった。

 

 当時の特捜部の捜査では、〈三井は01年7月中旬、当時、暴力行為事件を起こして逃亡中だったYについて、以前に有罪判決を受けた事件の執行猶予期間の満了日や捜査状況を教えてほしいとTから依頼され、組員の前科調書を部下に命じて不正に入手。調書に記載された内容などをTに伝えた〉

 

などとされていたが、実は、この「照会」についても、亀谷は手記にこう綴っている。

 (01年)7月16日、Yの弁当(執行猶予)切れの有無を(Tに命じて)三井に聞かせる。Yから弁当が切れているかどうか(知りたいと)、電話で依頼があり「(三井に)聞いてやる」と伝えた。またこの間、(Yは)2件の事件を起こしており、岡山の事件の時効と、2件目の大阪での事件が傷害になるかどうか、罰金で済まないか知りたいということだったので、Tにメールで、Yの件を三井に聞くように伝えた

 

 


続き。

2010年11月04日 15時57分48秒 | 日記

村木事件作ったブツ読みの天才

 

これだけでも検察が描いた事件の構図は最初から破綻していたといわざるを得ないのだが、三井の「共犯」として大阪地検特捜部から出頭を求められた亀谷は、自ら大阪地検に向かったという。

 

その時の様子を獄中手記の中でこう綴っている。

 

〈(大阪中之島合同庁舎に着き)エレベーターで(特捜部の)指示通りの階に着くと、1人(の職員)が立っていて、その案内で野口副検事の部屋に入った。

 

正面の机に座っていた野口が立ち、「よく来てくれました」と対応。野口の机の前の椅子に座ると、野口が逮捕状を示した〉

 

亀谷を逮捕し、取り調べ担当検事となった〈野口副検事〉とは、現在、大阪地検刑事部に勤務している野口幸男副検事のことだ。大阪地検関係者によると、野口は大阪地検の検察事務官を長く務め、その後、副検事になった叩き上げのベテラン検察官だという。

 

「マスコミは今回の証拠改ざん事件で逮捕・起訴された前田恒彦・元主任検事を 『特捜のエース』などと持ち上げたが、野口こそが『真の特捜エース』だ。

 

ブツ(証拠)の読み込み方が半端じゃなく、そこから事件を組み立てるセンスもずば抜けている。このため野口は、歴代の特捜部長らから重用された。

 

刑事部にいても、応援という名目で特捜部に戻ることもしばしば。ただ、ブツ読みの天才ではあるんだが、取り調べはからっきしダメ」(大阪地検関係者) 実は、野口は今回の証拠改ざん事件の舞台となった「郵便不正事件」の捜査にも携わっていたという。

 

「郵便不正事件で、大阪地検特捜部は三つのルートを狙っていた。『民主党衆院議員ルート』と『東京都議ルート』、そして村木厚子・厚生労働省元局長を無実の罪で立件してしまった『厚労省ルート』だ。

 

これら三つのルートをいずれもブツ読みで拾い出してきたのが野口だといわれている。

 

その意味では、今回の村木さん逮捕から始まった大阪地検特捜部崩壊のきっかけをつくった人物ともいえる。

 

歴代の特捜部長と同様、大坪や佐賀の信頼も厚かったことから、最高検は、彼らから何らかの相談を受けていなかったか、野口からも事情を聴いたようだ」(最高検関係者)

 

その野口が、三井事件当時、亀谷の取り調べを担当していたのである。

亀谷の手記に戻ろう。

 

〈野口が(逮捕に際して)「何か言いたいことは?」と聞くので、「わしがTと三井さんに同居(三井が住民票を移動させたこと)を依頼したもので、例えば(Tと三井の)2人が道端で立ちションベンしてもすべてわしの責任や」と返答した〉 

 

いかにも取り調べ慣れしているヤクザらしい受け答えだが、言葉どおりに受け取れば、亀谷は逮捕直後、Tはもちろんのこと、三井をも庇おうとしたようにうかがえる。その亀谷に対する野口の取り調べは当初、極めて高圧的なものだったという。

 


 


続き。

2010年11月04日 15時43分00秒 | 日記

それにしても、かつての部下だった三井が暴力団とトラブルを抱えていると知ったら、まずは三井本人に問いただすのが、“通常”だろう。

 

にもかかわらず、なぜ荒川は、Tのメモの内容を、三井本人に確認することなく大阪高検に持ち込むという。異常”な行動をとったのか。

 

理由は簡単だ。

 

当時、三井は検察の裏ガネ問題について、「噂の真相」や「週刊朝日」などに匿名で証言していたが、その告発内容から、法務・検察幹部やOBの間では、証言者が三井であることは、“公然の秘密”だった。これには現職の法務・検察幹部だけでなく、荒川ら検察OBも頭を悩ませていたことだろう。

 

というのも、検察の裏ガネ=調査活動費の不正流用問題においては、現職もOBも同罪、いや、その流用した額においてはOBのほうがより悪質だったといえるからだ。その意味では、三井の口を封じたかったのは現職よりむしろOBのほうだったかもしれない。

 

そんな折も折、亀谷らからもたらされた情報は、三井を、“潰す”格好の材料となったのだ。

 

後に三井事件の公判で 「荒川メモ」と呼ばれることになる、Tがまとめたこのメモはその後、約80日にわたって大阪高検に保管される。

 

ところが02年4月、三井が実名でメディアに裏ガネ問題を告発するとの情報を検察がキャッチした段階で、メモは急に大阪高検から地検に送られ、大阪地検特捜部はここに記されたTからの情報を頼りに三井を逮捕したとみられるのだ。

 

だが、前述のとおり、亀谷が荒川のもとを訪れたのは、マンション買い戻しについて三井と交渉してもらうためにほかならない。にもかかわらず、荒川はこの件について〈消極的〉で、その後も荒川が動いた形跡はなく、結局、亀谷は02年2月5日、マンションから退去させられた。

 

この荒川の対応は亀谷も腹に据えかねたようで、後の三井事件公判の証人尋問でこう証言している。

 「荒川先生の場合は、そんな(Tのメモを検察に流す)ことしたらあかん言うてんのに、黙って断りなしにしとんやからけしからん」

 

前号でも報じたとおり、三井の最初の逮捕容疑は、〈競売で落札した神戸市内のマンションに住んでいるように装い、登録免許税の軽減措置を受けようと、区役所に虚偽の転入届を提出した〉とする電磁的公正証書原本不実記録・同供用と 〈区役所から登録免許税約47万円の軽減措置を受けるための証明書をだまし取った〉とする詐欺-というものだった。

 

亀谷が荒川に対して怒りを露にするのも無理はない。というのも、亀谷は、この三井事件の端緒となる情報を、荒川を通じ、検察に提供したにもかかわらず、その検察から三井の詐欺の 「共犯」として逮捕されたからだ。

 

興味深いのは、獄中手記には約20ページにわたって、マンションを巡る三井との攻防の経緯が克明に記され、そこからは亀谷が逮捕前から、そして釈放後も三井に対し悪感情を持ち続けていたことがうかがえることだ。

 

ところが検察が描いた三井事件のストーリーでは、それまで激しく対立していた2人がある日突然、お互いの立場を慮るようになり、さらには〈共謀〉して〈登録免許税の軽減措置を受けるための証明書をだまし取る〉のである。

 


続き。

2010年11月04日 15時40分42秒 | 日記

本誌先週号(1029日号)では、今回の証拠改ざん事件で逮捕・起訴された大坪が、この「三井事件」で、暴力団関係者の供述をでっち上げた疑いがあることを、その口封じ逮捕に利用された五代目山口組「二代目佐藤組六甲連合」会長(当時)の亀谷直人受刑者(63・現在、別の殺人事件で服役中)の「獄中手記」から明らかにした。

 

とはいえ、大坪は、“組織の歯車”の一つに過ぎない。

 

「三井事件」は、大阪地検特捜部、さらには当時の検察幹部やOB、すなわち「ヤメ検」弁護士を含む、“検察一家”が、総出で作り上げたものだからだ。

 

事件の発端が2001年、神戸市内のマンションを巡る亀谷と三井の金銭トラブルだったことは前号でも述べた。亀谷の事務所だったマンションを三井が競売で落とした一件である。

 
亀谷は買い戻そうとするのだが、金が工面できず、立ち退きを迫られていた
02年1月30日、複数の知人を介し、ある大物ヤメ検弁護士に面会した。〈マンション買い戻しの支払期限を延長する〉【獄中手記より。以下、〈 〉のゴシック部分はいずれも手記からの引用】ために、三井と交渉してもらえないかと相談したという。

 

その大物ヤメ検弁護士とは、荒川洋二・元大阪高検検事長(75)のことである。

 

荒川は大阪地検検事正、高松高検検事長など要職を歴任し、「関西検察の頂点」である大阪高検検事長で退官した。「関西検察の首領」といわれる土肥孝治・元検事総長や逢坂貞夫・元大阪高検検事長らと並ぶ関西検察の大物OBで、三井の大阪・高松地検、大阪高検時代の上司でもあった。

 

荒川との面談にこぎつけた亀谷は、荒川との間をとりもった知人から事前に 〈三井との事を個条書きにしたメモを用意しといてくれ〉と要求されていた。

 

そこで亀谷は、後に三井との贈収賄事件で贈賄側となる舎弟分のTに命じ、それまでのマンションを巡る亀谷と三井とのトラブルや、Tによる三井接待の経緯などを個条書きにしたメモをまとめさせ、荒川のもとに持参したという。

 

ヤメ検が渡した三井潰しのメモ

 

その時のことを亀谷は獄中手記にこう記している。

 【( )内は筆者。なお、できるだけ読みやすくするため、文意を変えない程度に加除修正した」

 〈1月30日 荒川弁護士事務所へ行く。(大阪の)十三で知人らと待ち合わせし、4人で荒川弁護士の事務所へ行った。〔中略〕知人がTへ、三井の(ことを書いた)メモを荒川へ渡すよう促し、Tが荒川に渡した。〔中略〕荒川とTの2人は椅子へ並んで座り、話し込んでいた。

 

荒川はTと色々やり取りした後、マンションのほう(支払い延期の件)は「日にちがない」と消極的な口ぶりで、(午後)3時に(大阪の)福島へ行かなあかんからと云い、大塚次席検事宛にTELをし、「今から行く」と伝えていた。

 

荒川が先に事務所を出た後、続いて(亀谷ら)4人も出た〉 ここに出てくる〈大塚次席検事〉とは大塚清明・大阪高検次席検事(当時、現・弁護士)のことだ。

 

荒川は、Tがまとめたメモを受け取るや否や、その日のうちに後輩の大塚のもとに持ち込んだのである。荒川の一連の行動は、その後の三井事件の公判でも明らかになり、荒川本人も証人尋問で事実関係を認めている。

 


「砂の器」…2010年リメイク版、上映開始。

2010年11月04日 15時25分52秒 | 日記

一番、多くの方に読んで頂いているだけではなく、他のサイトを遥かに圧倒するアクセス数…平均1,000回を頂いていたgooでの読者の方々に対して、

幾ら、FC2で、ストンと入ったからとはいえ、そちらで見て下さい、等と

恩知らずなことを書いたせいか、昨日は、アクセス数が680回程に、ガタンと落ちていた。誠に申し訳なく、6~7回、連続上映となりますが、上映開始します。

 

「砂の器」

 

製作者:週刊朝日、監督:週刊朝日、脚本家:ジャーナリスト・西岡研介(ピュリッツアー賞世界版ノミネートの噂あり)

出演者:大阪地検特捜部他、

協賛:記者クラブ加盟各社

エキストラ:日本国民。

インターネット用、段落調整者:芥川賢治

 

誌上封切り日:20101026日。ネット上映日113日。

 

 

大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、大林宏検事総長は 「前代未聞の事態」とお詫びした。しかし、検察が抱える闇は、そんな程度では済まない。本誌が先週号で報じたように、検察は「裏ガネ問題」をもみ消すため、現役からOBまで動いて「三井事件」を作り上げたというのだ。事件のキーマンたった元山口組系暴力団組長「獄中手記」の第2弾-。 ジャーナリスト西岡研介・本誌取材班

 

大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、法務省は、犯人隠避の罪で起訴された大坪弘道・前特捜部長(57)と佐賀元明・元副部長(49)を懲戒免職にし、当時の上司らを処分した。今後、全国規模の人事異動を行うという。法務・検察としては、「体制刷新」「人心一新」を世間にアピールし、事件の早期幕引きを図りたいのだろう。

 

が、長きにわたって、“絶対権力”という魔物にとり憑かれた組織の、“絶対的腐敗”は、「お役所の人事異動」レベルで一掃できるようなものでは到底なく、ここで膿を出し切らなければ、法務・検察組織が壊死することは必至だ。

 

そして、今回の「検察史上最大の不祥事」を生みだした腐敗の、“原点”が8年前、検察の裏ガネ=「調査活動費」問題を実名告発しようとしていた三井環・大阪高検公安部長(当時)を、組織ぐるみで、“口封じ逮捕”した「三井事件」=メモ参照=にあると本稿に入る前に改めて断言しておこう。

 


満月。

2010年11月04日 15時21分35秒 | 日記

今、弊社専務は、「科学者としての宮沢賢治」斎藤文一著。という本を読んでいるそうで、さっき、ネットで、文中とそっくりの北上川の写真をみせてくれたのですが、芥川は、故郷の風景と一緒だなぁ、と感じた。

 

既述した様な、神様が、最初の試練として与えた家で、苦しんでいた少年時代、僕は、夜に、しばしば家を抜け出して…海に続く一級河川の川べりに立っていたのです…向こうには芥川が青年時代を過ごした…本当に素晴らしかった級友たちが440人もいた…永遠に愛する母校が在る…東北一の大都会の街灯が遠くに見える…両岸は、北上川の、その写真と同じように緑が続いているのです。

 

今、Feistの♪Past in Present♪が脳裏に流れてきた…書きながら…慟哭しそうですが。

 

真実の人生には終わりがなく、真実の本にも終わりが無い(ル・クレジオ)頑張って、最後まで書きましょう。

 

芥川が暗い夜の岸辺に立っていた川は、万葉集にも、その川の埋もれ木で作られた木の細工物は、当時の第一級の作品と詠われています。

 

岸辺に立った僕は、幾度となく、金色に輝く満月を見ながら、ハイネが、ライン川に立って詠んだのであろう…金色にわななく満月の夜…を想ったり、夜のしじまを歌った古今東西の詩人たちのことを想っていた。

 

 

 

全く、予定になかったことですが、青年時代の一番の親友たち…お互いの家も行き来した…の中で、分けても親友だったS君は、美男子の中の美男子だった芥川に(笑)「満月」などとあだ名することがあったなぁ…とんでもないやつだ…川向かいの女子高生たちの、噂の美男子だったというのに(呵々大笑)

 

©芥川賢治


「グレン・グールドは語る」の書評を読んで。

2010年11月04日 00時43分47秒 | 日記

今週号の週刊朝日の読書欄で、小さな紹介があった。

グレングールドについてだった…彼を含めた20世紀最高のピアニスト達については、後日か、本の中で書きますが。

 

僕は、皆様がたが想像しえないほど、彼について思っていることがあるのですが…この小さな書評は、全く、僕の知らなかったことを教えてくれた…晩年愛読した漱石の「草枕」を自ら読む朗読番組も制作している。その時使った山口五郎の尺八演奏も(ついでに「魔笛」も)ボイジャーに搭載され、未知との遭遇を期して今も宇宙を航行中だ…温水ゆかり氏の書評より。

 

もう、この歳ですから、何のてらいもなく言います…GiftedGiftedに会った時、一瞬で同調する…既述した、芸術家が登場したドキュメンタリーフィルムの中で…生きて在ること、と、死すること、に於いて…これは芥川が、やがて書き出す、ある本の、本当のテーマになるものでもありますが…彼ほど、映像を通して僕に語りかけてきた人間はいない。

 

ですから、今のテレビの有様は、即刻、止めるべきなのです。世界中の本物、本当の天才たちを、毎日、テレビに必ず登場させるのです。

 

何故?子供は、本質的には、皆、天才の要素を持っている。

 

だから、阿呆な芸人や、お茶らけテレビ人間を見せてちゃ、駄目なんです。

 

無言で、子供たちを触発させること…それが映像に与えられた役割だってことに、いい加減、気付かなきゃ…テレビ局関係者は、もう救えない、許されない存在として地獄の業火に向かうしかない。

 

 

©芥川賢治