机に両手をつき頭を擦りつける
〈野口が突っ込んだ(Tと三井の)共謀性を問うため、「ひとつ、ひとつ(Tと三井の関係を)聞かれても、2人の間のやりとりは、(Tの)事後報告でしか知らん」と答えると、野口だけでなく、書記官までもが「そんなことないやろ!」と声を荒らげたため、こちらも同様に声を荒らげて「事後報告でしか知らん!」と返答しといた。初めの調べはこれで終わった〉
ところが、それから数日後、野口の態度が〈180度変わった〉というのだ。
〈後日の調べでは、(付き添いの)刑務官がドアを開けて入ると野口と書記官が立って出迎え、野口はテーブルに両手をつき、頭を擦りつけるように下げていた。
〔中略〕この日からは、調べの度に野口は机に手をついて頭を下げ、書記官も立って出迎えるようになった。刑務官も「あの検事さんは頭が低いですなあ」と話していた〉
前号でも述べたが、単なる、“微罪”で当時、現役の大阪高検公安部長だった三井を逮捕した大阪地検特捜部に対し、メディアから「口封じ」との批判が起こることを恐れた検察は、三井の「悪質性」を強調する必要に迫られていた。
そこで検察が作り上げたのが、前述のTのメモに基づく、Tと三井との「贈収賄事件」だったのだが、三井を収賄で再逮捕し、起訴に持ち込むには、是が非でも「贈賄側」となるTや亀谷の、“協力”が必要だった。
ゆえに野口も、亀谷の機嫌を損ねるわけにいかなかったのだろう。野口の豹変ぶりからは、当時の高田明夫特捜部長(現・弁護士)や大仲土和主任検事(現・
岡山地検検事正)らの意向が透けて見えるようだ。
取り調べが進むにつれ、野口は亀谷に、釈放の可能性を〈パーセントで示し〉始めるようになったという。例えばこんな風に。
〈野口が調べの度に、「会長 (亀谷)の釈放は60%ぐらい」などといい始め、だんだん(そのパーセンテージが)上がっていった〉
そしてその、“見返り”に野口は、三井とTとの関係に関する証言を執拗に引き出そうとするのだが、亀谷は〈2人(三井とT)のことは2人に聞いてくれ〉という供述に終始したという。
当時、特捜部は、三井を収賄で逮捕するため、Tによる接待の見返りに、三井が捜査情報を漏らしたーというストーリーに合った供述を、Tや亀谷から取ろうと躍起になっていた。そこで目をつけたのが、亀谷の知人の暴力団幹部Yの依頼で、亀谷がTに命じてやらせた、三井への「捜査情報の照会」だった。
当時の特捜部の捜査では、〈三井は01年7月中旬、当時、暴力行為事件を起こして逃亡中だったYについて、以前に有罪判決を受けた事件の執行猶予期間の満了日や捜査状況を教えてほしいとTから依頼され、組員の前科調書を部下に命じて不正に入手。調書に記載された内容などをTに伝えた〉
などとされていたが、実は、この「照会」についても、亀谷は手記にこう綴っている。
(01年)7月16日、Yの弁当(執行猶予)切れの有無を(Tに命じて)三井に聞かせる。Yから弁当が切れているかどうか(知りたいと)、電話で依頼があり「(三井に)聞いてやる」と伝えた。またこの間、(Yは)2件の事件を起こしており、岡山の事件の時効と、2件目の大阪での事件が傷害になるかどうか、罰金で済まないか知りたいということだったので、Tにメールで、Yの件を三井に聞くように伝えた