文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

最後の一言が、心に残った…昨夜の朝日夕刊から。

2010年11月27日 09時38分16秒 | 日記

…前略。

シャーウィンは名古屋出身。東京女子大を卒業後、60年に渡米、ハーバード大などで文学、歴史学を学んだ。米国で結婚。91年にスイスに移り、99年から英国南部バース近郊に住む。
「英国に来て、日本人に対する人々の態度が、どこか冷ややかなことに気づきました」
 
その背景に、戦中、日本軍の捕虜となった6万人近くの英兵が、激しい虐待を受け、ときに死に追いやられた歴史の記憶があった。元捕虜の父をもつ近所の家族と知り合ってわかった。

その後、シャーウィンは英国各地に元捕虜を訪ねく。その1人に、エリック・ロマックス(91)がいた。
42~43年、日本軍はタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道を建設した。過酷な労働、栄養失調、病気などで連合軍捕虜と、アジア各地から動員された労働者が多数死亡した。
 
タイ西部の現場で働いたロマックスは、同僚がラジオを作るのを手伝ったことなどが発覚、日本軍から拷問を受けた。仲間2人が殴られて死んだ。
  
 そのロマックスに会うため、盛岡市に住む駒井修(73)が英国を訪れたのは2007年6月だった。駒井の父光男は1943年、陸軍少尉としてタイに渡り、捕虜収容所の副所長を務めた。
 
戦後46年3月、駒井は母に部屋に呼ばれた。自分と姉を前に、母の兄が何事か告げようとしたとき、「やめて!」と母が泣きながら止めた。
 
父が戦犯として処刑されたことは高校卒業後、教師に教えられた。しかし、父が何をしたのかは分からなかった。
 
父の戦友会に何度か出た。
「みなさんは、知っていることを私に教える義務があるのではないですか」
 戦友たちは黙った。
 
99年、英国の戦犯裁判資料を目にした。父がロマックスらを虐待して重傷を負わせ、捕虜2人を殴打し死なせた、と判決にあった。
 
謝罪に訪れた駒井に向かってロマックスが語った。
  
「私は裁判であなたの父親を指して『こいつにやられた、死刑にしろ』と言ったんだ。その息子がわびに来るなんて……」 ロマックスも苦しんでいたことを駒井は知った。
  「父に代わって心から謝罪いたします」
駒井の言葉をロマックスは黙って受けとめた。やがて緊張が和らぎ、ロマックスが言った。
  「ホテルにもう1泊、していかないか」    (上丸洋一)


郵政民営化なぞは、「失われた20年」に何にも関係がなかった。

2010年11月27日 08時39分56秒 | 日記

今朝の朝日の社説にはあきれた。小泉純一郎元首相の言葉を引用して論説を締め括るとは。

 

靖国神社に参拝する事が日本人の本質だと思っていた様な人間をだ…彼が他国との関係悪化を招いてまでもの情熱と同じ物を持って、自ら進んで、ヒロシマ・ナガサキに行った等とは、芥川は一度も見聞した事がない。

 

何よりも、「郵政民営化YESNOか」ほど、低能な、幼稚園児のレトリックには、それまで、お目にかかることはなかった。…この台詞は、イジメの原型のようなもの…最低レベルの話…こんな幼稚な二元論がどこにある?

 

彼も福田派の人間であるのは、偶然ではないだろう…こんな論理の行くつく先は、戦争やetc.愚かなものでしかないとしかないと僕は思う。

 

心と頭が腐る話は、止めて、昨日の夕刊の記事を次章に。

 

今日は、僕は嵐山に最後の紅葉を観に出掛けるのだから…芥川のような文章を見たかった(笑)