文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本のディーセンシィは…。

2010年11月24日 18時19分01秒 | 日記

日本のディーセンシィは、昨日、今日つくられたものではなく、1,000年超の積み重ねなのだ…それこそが本当の体制なのである。

 

なにものかに属した呑百姓というのは、常に、真実を怖がるのである…何故かは言うまでもないだろう…自分が属しているなにものかが、全くの虚構であること…真実に反したものであることを暴かれるのが怖いのだ。

 

僕のFC2におけるサイトパワーは伊達ではなく、今は、もっと上がっているのではないかと思う…アメリカの知識人層に伝わっていると芥川は確信している。

 

週刊現代が紹介していたCNNの一週間にわたる日本特集だって、芥川の「文明のターンテーブル」の影響がないとは言えないぞと思っている(笑)

 

首相が、ころころ変わる事についても、言えば良いのだ…私たちの国を作って来たのは庶民であり、どこかの一家族でもなければ、マスメディアでもないし、自民党でもない。

 

私たちは、その結果として終身雇用制を採用してきて、戦後の奇跡、世界に名だたる技術大国を作り上げてきたのだが、あなたがた20世紀資本主義が生みだした…愚かな商業主義の結果としての…マスメディア全体主義が作り出した「失われた20年」の過程で…何もかも貴方たちの有り様に合わせた。

 

結果至上主義…分けても経営者は任期中=単年度に業績アップを為さなければ失格…短期的な視野での経営を…それが正しいとの声が大きくなったのが、この20年であるとも言える…ほぼ100%受け入れた結果、

 

世界有数の単一民族である我々は、あなたがたより遥かに、皆で、その方向を向くのであるから、半年経っても結果を出せない首相には、NOを突き付けるだけのこと。至極当然のことで卑下する事でも何でもない。

 

世界の誰よりも、短期的に結果を出す資本主義を実践しているだけのこと。

 

「日本は世界一厳しい…半年の間に目に見える結果を出さなければ、駄目なんですよ」と、世界に告げれば良いだけの事。

 

 

ある種の人間たちは、事実をとことん検証する事を、何故か恐れるが…日本人のディーセンシィは、昨日、今日作られたものではない…隠しておかなければならない何かが在る様な、脆弱なものではないのである。

 

このような国で、事実や真実を隠しておきたいと考える者は、国民の労働のおかげで、自分たちの生活が成り立っていながら…その国民の財産をかすめとり続けている事を隠しておきたいと思う様な者たちだけだろう。

 

©芥川賢治


2010年11月23日の芥川の視線。清水寺

2010年11月24日 16時50分24秒 | 日記

そして僕はカメラと化すのだ。

mou bokuno kokoroha tomaranai

カメラマンにもなれると芥川は思ってる(笑)

そう思いませんか(笑)

heishasenmuha  koregaiitoiu iu すすきが良い。と

ここにも芥川の「宇宙の塵」は在る。

kotoshiha kono aka ni miserareta

rinntoshita tatazumaino kikoyouno youna hanadatta  sasagawamiwasann

rainennha isshoni kyoutowo sannsakushimashou

帰りに、いつも、気になる鴨を、誰も映さない角度から。


大混雑も厭わずに、京都という町…わたしたちのディーセンシーの故郷に、何度でも会いに行くのである。

2010年11月24日 16時11分40秒 | 日記

管氏とぬえについて…僕は管氏を全く否定してはいない…戦前や、僕が何度も指摘する自民党の田舎政治屋たちに比べれば、ずっとマシなのだ。

問題は、彼のぬえ性…他者の意見を、翌日には平気で自分の考えであるかのように言う所…政治家は、そういうものだというレベルを超えていると芥川は代表選の時に感じた。政治家であれ、学者、芸術家であれ、他者の意見や哲学を、無断で剽窃してはいけない…というよりも、己の確固たる哲学、思想がなければ、どの分野でも一流にはなれないだろう。

 

管氏は、そういう思念の人の補佐役に廻って、十二分な研鑽を積んでから、首相になるべきだった…政治は、生やさしいものではないから余計にそうなのだ…政治に、世間的な若さの概念なんかは全く関係がないことを、この2カ月は、日本中に知らしめもした…政治の世界では、昔から言われて来たように、5060は洟垂れ小僧なのだ…今の低能の極のようなマスコミ…若けりゃ阿呆でも良い、見栄えさへ良けりゃ、口が達者であれば良い等と言う世界の、対極にあるのが、真実の世界であり、政治の世界なのだから。

 

僕が星氏について、一体、何様だと思っているんだと言及するのは、小沢一郎氏、或いは、氏に投票した200人超の議員たちは、民主党への期待と共に、国民に選挙された訳である。

 

一度も、選挙の洗礼を受けた訳でもない、主に記者クラブを自分の人生としてきた人間が、かれらの意見を全く無視して、除名しろ、それが嫌なら出て行け等と言う論説をなすとは、一体、何様のつもりだ、と言う事なのだ。

 

それに、僕は、彼に、明瞭に言ってやりたいのだ…日本は、あんたなんかでは全く成り立っていないこと…あなたが無視している民…一人ひとりの民…休日に、日本中から、その美を愛でるために京都に集っている無数の人達の暮らし…そのディーセンシィで成り立っているのだという事を。

 

付け加えれば、この人達の年収は、一生働いて五百万円。貴方の様に、軽く年収1,000万円超の人間ではないのである。

 

人混みが嫌だから京都には行かない、だとか、行く時は、しかるべきインテリ達と一緒に行く、或いは、そこに居る、結構なお仲間たちと歓談する…そのような結構毛だらけな人生とは全く無縁で、ただ、自分のそばにいてくれる、いてくれた人間たち…友人であったり、恋人であったり、家族であったりしてくれている人間たちと…皆、同じ気持ちでいることを知りぬいて、大混雑も厭わずに、京都という町…わたしたちのディーセンシーの故郷に、何度でも会いに行くのである。

©芥川賢治


僕は、伊達に、京都を再・再発見し、例えば、この季節には…。

2010年11月24日 16時03分54秒 | 日記

僕は、伊達に、京都を再・再発見し、例えば、この季節には、矢も盾もたまらず、週末ごとに京都に、憑かれたように行っている…行きたいと思う訳ではないのである。

 

終に、今朝…二人の大人(たいじん)が出会う様にして…芥川は、今は亡き、或る大人と出会った。

 

このことは、ここで書くことではないので…いずれ本の中で書きます。

 

なにものかに属した呑百姓の精神について。

 

なにものかに属した呑百姓の精神は、emperor-banzai-fascismであれ、共産党一党独裁であれ、ちんけな独裁主義であれ、裸の王様になるだけなのだ。

 

ジャーナリストは、事実の検証をとことんやれば良いのだ。

 

管直人氏は、ぬえの様な人間であることを、代表選挙の時に、嫌と言うほど国民に見せつけた訳だが…そんな事にも気が付かないほへの頭脳構造。

 

それが、これまでの日本のジャーナリズムの正体だろう。日本が世界第二の超経済大国に成って、カームラや、その他の人達の様に、何のしがらみもなく…出世欲や権力欲、エリート意識とエゴイズム…これらには全く無縁の…事実を、真実を追求する女性たちがジャーナリズムの世界に現れたのである。