文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

最終章。

2010年11月02日 17時04分54秒 | 日記

このレートが実現していれば、08年末段階で世界最大の保有国である中国の米国債の価値は2873億ドル(約25兆円)も目減りしたことになる。

 

中国の米国債保有額は今年8月末時点で、08年末よりも2割近く増えている。そのうえ円をはじめ世界的にドル安が進んだのだから、人民元が適正水準になれば「含み損」はふくらむはずだ。ドル安は人民元次第で中国の外貨資産にも大きな被害を及ぼすわけだ。

 

人民銀行は今年6月、「人民元為替レートの弾力性を強める」との声明を発表し、元高に向かいつつある。といっても、「中国人は漢方医学を好む」(周小川・人民銀行総裁)と、上昇ベースは非常に緩やかだ。

 

85年のプラザ合意後、日本は急激な円高による不況に苦しめられました。中国は、この再現を警戒しています」(清水准教授)

 

こんな見方もある。

「あまりに急激な元高は、輸出の足を引っ張って国内景気が悪化するだけではなく、米国債をはじめ外貨資産の8割を持つ政府が大きな損失を被ることになります。政府の一機関である人民銀行にとっては政治的にマイナスで、避けたいところです」(前出の研究者) 

 

いずれにしても、ドル安傾向が続けば、人民元が割安ならばインフレから抜け出せず、急いで切り上げれば景気が腰折れしかねない。どちらを選んでも、中国経済には「逆風」だ。

 

そんななかで、習近平国家副主席が次の最高指導者になることが確実となった。父は文化大革命で失脚した元副首相で、夫人は軍に所属する国民的歌手。自身も地方行政に25年間携わったほか、共産党中央軍事委員会の事務局にあたる部署に勤務したことがある。「地方の実情に明るく、大衆に近い存在だという評価があります」(慶応義塾大学の加茂具樹准教授)

 

12年にトップに就くとされる習氏の最大の仕事は格差の是正だ。だが、「今後、景気が減速局面を迎えることから経済成長を重視し、格差是正が多少遅くなるケースがあるかも」 (みずほ総合研究所の鈴木貴元・上席主任研究員)

 

厳しい環境の中で、習氏は、中国経済の「崩壊」を阻止できるのか。

     

本誌・江畠俊彦

 

 

 


続き。

2010年11月02日 17時02分42秒 | 日記

支出増は冒頭で紹介したインフレだ。比例して給料が増えればいいが、そうとも限らない。たとえばタクシー業界では、「公共料金」と受け止められている料金の値上げもままならず、ストライキが頻発しているそうだ。

 

収入減どころか失業率は経済成長にもかかわらず、ほぼ横ばいで推移している。そして若者の就職難も無視できない。この10年ほどで年間の大学卒業者数は4倍に増え、希望が集中する事務職に就くのがいっそう厳しくなったとされる。

 

温家宝首相は今年3月、「中国の失業者は2億人」と発言したと報じられた。農村で、作業が効率化されてI人あたりの耕作面積が世界的な平均水準にまで広がった場合に生じる「潜在的失業者」の数だという。

 

この半面、沿海部にある外資系企業の経営陣など改革開放の恩恵を十分に受けた層もあり、地域や職種による格差は拡大した。ある中国の著名エコノミストは、都市部の収入格差は中国政府の公式発表である9・2倍ではなく28・9倍だとする論文を発表した。

 

この違いは、公務員や国有企業の幹部などが得る合法とも非合法ともつかない 「灰色収入」のせいだという。前出の研究者によると、灰色収入には、公務員が許認可権を握る業界から受け取る盆暮れの祝い金などがある。I件あたり200~300元(約24003600円)は「黙認」され、合計すれば年間の給料収入と同じ規模に達することもあるそうだ。

 

先のエコノミストは、灰色収入は08年、総額5兆3千億元(約66兆円)にのぼり、灰色収入を含む、統計から抜け落ちた収入の8割以上を都市部の収入上位2割の層が受け取ったとしている。

 

「格差の拡大に灰色収入が一役買い、しかもインフレときては、低所得層が不満を募らせないれけがありません」(別の研究者)

 

そもそもこのインフレを 「人災」とする見方もある。

「中国の通貨・人民元の相場を適正水準よりも安く抑えていることが、中国国内にインフレ圧力を加えたのは間違いありません」(横浜国立大学の佐藤清隆教授) 

 

人民元の相場は米ドルに対して、中国人民銀行が毎朝発表する基準値を中心に1日最大0.5%変動する仕組みだ。05年7月から徐々に元高に振れてきたが、

08年夏以降はlドル=6・8元台で事実上固定されていた(上のグラフ)。

 

一般的に経済への安心感が強いほど、その国の通貨が買われて高くなっていく。中国の経済成長とともに元高になっていないのは、人民銀行が巨額の「元売り・ドル買い」の市場介入をして、人民元を高くしないようにがんばったからだ。

 

米国債の価値が大きく「目減り」

 

経済産業研究所の研究メンバーである佐藤教授、清水順子・専修大学准教授らが米中双方の輸出製品の価格競争力が等しくなるように推計したところ、人民元の適正な水準は08年の時点で、00年と比べて65・3%高い。lドル=4・1元程度になる計算で、現実と比べれば1ドルあたり2・7元ほど安いことになる。

 


中国はドル安で「崩壊」寸前だ…「半日デモ」の正体

2010年11月02日 16時59分57秒 | 日記

週刊朝日が、どれだけ、日本の宝物であるか!…最初に書いた「砂の器」に匹敵する検証をアップするまで、まだまだ続くのですから…勿論、これは先週号です。

 食用油が高騰して買えなくなる!

そんなうわさが駆けめぐり、中国内陸部の大都市にあるスーパーでは、開店とともに数百人が安売りに殺到。客が将棋倒しになり、3人が死亡したー。
実はこれ、3年前の話だ。しかし、このところ同様の危険な芽が出つつある。

共通点は中国国内で急激に進む食料品のインフレだ。この事件当時、食用油は3ヵ月で3割ほど値上がりしたという。最近も9月第3週、キュウリが前週と比べて11.2%上がった。トウガラシやニンニクなど、投機が原因とみられる農作物の価格急騰が昨年暮れから繰り返されている。

9月の消費者物価指数をみても、前年比の上昇率が「非食品」で1.4%なのに対して、「食品」では8%にも達した。

低所得層では消費支出に占める食料費の割合が4割を超えるとされる。食料品の値上がりは「生活破綻」に直結しかねないのだ。
「食料品のインフレは中国を『崩壊』に直面させるほどの衝撃があります。1989年に起きた天安門事件の底流には、8687年の野菜の高騰に対する庶民の怒りもあるとされています」(中国に詳しい研究者)

今回も不気味なことに、1016日の成都などを皮切りに各地でデモが相次いでいる。これらは「反日デモ」と称されるが、参加者が叫んでいるのは、実は「反日」だけではないという。

複数の専門家が口をそろえて、こう指摘する。

「日本は『生けにえ』にされた側面もあります。庶民の間でさまざまな不満が蓄積していたところに尖閣諸島沖の漁船衝突事件が起き、デモの口実を与えてしまったのではないでしょうか」 

2005年の「反日デモ」は日本の大使館や総領事館かある北京や上海で起きたのに対して、今回はそれらと関係ない都市で続発している。これが「状況証拠」だとみる専門家もいる。

専門家の見方を総合すると、不満の背景は「支出増」と「収入減」、それに伴って拡大した「格差」にある。

 


最初の続き。

2010年11月02日 16時28分55秒 | 日記

 仁川が急成長したのは、着陸料などの空港使用料が成田の半分以下で、航空会社を誘致しやすいからだ。しかも乗り継ぎが便利で、欧米からの旅客をアジア各地へつなぐ国際ハブ空港としても注目を集めている。

 

「仁川での出入国審査の列は数人です。モニターで監視し、列が伸びるとすぐにゲートを増やす。国の姿勢の違いを感じます」(杉浦氏) 

 

路線別で見ると仁川の肉薄はさらに鮮明だ(図)。1週間当たりの出発便数は、中国・台湾や東南アジア線では成田より多く、欧州・中東線も成田に迫る。成田が優位なのは北米線ぐらいで、ここでも抜かれれば、東アジアのハブ空港の地位は仁川に奪われてしまう。

 

問題は、成田にとって生命線のこの北米線を、国際化した羽田が次々と受け入れていることだ。デルタ航空やアメリカン航空、全日空、日本航空などが1日計9便を羽田から出す。日航は成田発のサンフランシスコ便をやめて羽田へ移す。


羽田空港国際化で加速する日本の没落…ライバル仁川「漁夫の利」

2010年11月02日 16時26分13秒 | 日記

こんなに、中身がつまった=真実が一杯の週刊朝日は、たったの380円ですが、日本国民が、ただで観ていると…思っているテレビは…ただに相応しく…全くの空っぽです。

国際化目前の羽田空港に

 

「あの巨人機は、実は昼間は着陸できないんです」

 

今回、羽田の国際化を可能にしたのは4本目の滑走路が増設されたためだった。だが、この新滑走路は設計上、巨人機の重さに耐えられない。誘導路も、前後の航空機と十分な間隔がとれない個所があり、混雑している昼間は受け入れられないのが実態だという。

 

「あの日、着陸できたのは空いている早朝だったからです」(専門家)

 

問題点はそれだけではない。例えば、国際線旅客ターミナルビルは早くも容量不足で、開業前から増築を検討中▽4本の滑走路は離着陸コースが交錯し、機体の異常接近が心配▽国際線と国内線のターミナルを結ぶ滑走路下のトンネルの幅が狭く、乗り継ぎ客や乗務員を運ぶ車両が渋滞に巻き込まれ、間に合わない恐れがある▽出発ロビーなどのデザインが5年前に開港した中部空港とそっくりで進歩がない……等々、枚挙にいとまがないのだ。

 

羽田は長らく国内空港で、首都圏の国際ハブ(拠点)空港は成田空港だった。羽田にとって、国際線を飛ぶ巨人機の飛来や、多数の国際旅客便の行き来は想定外。新ターミナルは少数の近距離国際便向けに設計されたに過ぎない。

 

にもかかわらず、昨年誕生した民主党政権は、本格国際化へ大きく舵を切った。都心に近い羽田の国際化はたしかに魅力的だが、十分な設計変更をしないまま、なし崩し的に国際化したツケが回ってきている。

 

しかも、中長期的にはさらに深刻な問題がある。羽田の国際化で成田の国際線が脅かされ、「東アジアのハブ空港」の地位が危うくなりそうなのだ。

 

航空アナリストの杉浦一機氏はこう指摘する。

「都心に近い羽田が国際化すれば、航空会社は今後、就航先に、まず羽田を選びます。その結果、成田の就航先が増えず、韓国の仁川空港や中国の上海、北京空港など、東アジアの大規模空港との実力差が縮まる恐れがあります」

 

特に仁川は成田を猛追している。01年に開港した仁川は成田より1本多い3本の滑走路を持ち、就航都市数は177と、97の成田より相当多い。便数も1日平均548便と、成田の512便を上回っている。

 

09年度は、航空貨物が246万と成田のI・25倍に達した。航空旅客も成田の9割の2963万人で、逆転は時間の問題だ。

 

1015日、世界最大の旅客機、エアバスA380が降り立った。翌日に菅直人首相が出席する祝賀会を控えての飛来だったが、国土交通省の専門家は、苦笑交じりにこう打ち明ける。

最終章。

2010年11月02日 16時22分17秒 | 日記

こうした事態に、成田空港はどう対抗するのか。

「来夏にも格安航空会社を誘致したい」成田国際空港会社の森中小三郎社長は力説する。羽田国際化を受け、成田は14年度にも空港容量を現在の約1・5倍に拡張して迎え撃とうとしている。しかし、かつて46力国が乗り入れを待っていた状況はすでにない。格安航空会社の誘致だけで仁川に対抗するのは無理がある。

 

「格安航空会社を呼んでも既存の路線とダブるだけ。早く未就航のロシア東部や南米、アフリカに路線を開くべき」(前出の杉浦氏)

 

しかも、航空会社の誘致には、政府間の航空交渉が必要だ。国交省の幹部はこう打ち明ける。「政府は、日航や全日空の就航要請がない国との航空交渉に消極的だが、日航は更生中で、全日空も路線拡大に慎重。その余波で成田は路線を広げられず、外国人観光客の誘致も進まない悪循環に陥る恐れがある」 

 

杉浦氏も指摘する。

「課題は羽田との競争ではなく、相乗効果のはず。そのためには両空港のすみ分けを明確にして、それぞれの強みを伸ばすべきです」 しかし、馬淵澄夫国交相は今のところ「成田と羽田を一体運用する」と言うだけで具体策は示さない。

 

「日本は羽田をさらに増強して成田に代わる国際ハブ空港にするのか、しないのか。ここをあいまいにしておくと共倒れになる」

海外の航空会社の担当者からもそんな指摘が相次ぐ。

 

経済失政が続く菅政権は、羽田国際化を最大限に演出している。しかし、重要なのはそうしたパフォーマンスではなく、日本全体の競争力が落ちないように、成田の補強を含めた国家戦略を打ち出すことだ。

     

本誌・三嶋伸一

 

 


羽田空港国際化で加速する日本の没落…

2010年11月02日 16時20分59秒 | 日記

では、羽田が成田に代わってアジアのハブ空港になれるかといえば、前述のとおり課題山積だ。

 

羽田の国際線便数は今後最大に増えても成田の3分のIほどしか割り当てられない。全日空は羽田の豊富な国内線を使って、地方客を羽田発の国際線へ集める「内際ハブ」を目指すが、韓国の航空会社は、「地方空港には仁川からの直行便が入っている。羽田経由便より安く飛ばせる」と余裕しゃくしゃくだ。

 

羽田国際化で、日本人の海外旅行はたしかに便利になる。しかし、アジアの空港間競争では、成田と羽田がバラバラに便や就航先を食い合い、仁川などの海外空港がアジアのハブ空港になる好機を与えている。

 

すみ分けをする国家戦略が不在

 

その兆候はすでに出ている。大韓航空は毎日、羽田-仁川便を出す。日系航空会社の担当者が解説する。「大韓便で朝6時25分に羽田を出発すれば、午前9時半以降に仁川を出発する便に乗り継げる。成田から直行便のない天津や煙台など中国の地方都市やカトマンズなどへ、手軽に行くことができます」

 

さらに、ウラジオストクへの成田便は夕方着だが、仁川経由便なら昼間のうちに到着できる。

 

これまでも仁川は日本の二十数力所の空港から日本人客を集めてきたが、羽田の国際化がその競争力をさらに高める皮肉な結果となりつつあるのだ。

 


梅棹忠夫語る…。

2010年11月02日 15時39分51秒 | 日記

日曜日の朝日新聞・読書欄に掲載された、横尾忠則氏の、前章の本に対する書評です。


梅棹忠夫語る

梅棹忠夫〈著〉聞き手・小山修三

 

生前、今西錦司さんと対談した際、「あんたは学者と違うさかいに今日は遺言のつもりで何でもしゃべるでえ」と言って今西弁の放談が始まったが、本書を読みながら梅棹さんと今西さんがダブってならなかった。

 

というのはこの書が出る前に梅棹さんが亡くなられたので、最後の言葉が現在の日本人に対する遺言に聞こえるのだった。だとすれば心して拝聴せなあかん。

 

梅棹さんの底の抜け方は今西さん同様、尋常ではない。痛快の一言につきる。冒頭から全編、日本のインテリに対する批判が作裂する。「インテリというものはサムライの後継者」で「オレたちが知識人だ」と町人民衆をバカにしているとー。

 

例えばこんな調子だ。「こんなあほらしいもん、ただのマルクスの亜流やないか、…何の独創性もない」と著名な学者の実名を挙げて痛烈にこき下ろす。他人の本を読んでいるだけでは独創性は認められない、独創は思いつきから生まれるもので、[悔しかったら思いついてみい」と、頭で学問をする人間への舌尖(ぜっせん)はとどまるところを知らない。

 

学問からは思想は生まれないので自分の足で歩き、自分の目で見たものを自分の頭で考えた文章を書くべきで、他人の本を引用する文章家を「虚飾や」と一刀両断に切り捨てる。

 

そして自分の人生を究極的に決定したのは「遊びや」と主張し、ついでに思想も遊びにしてしまう。このことはまさに芸術にも一脈通じ、人生の無目的性へと昇華していくが、こんな発想を裏づけるように自らを老荘の徒と呼び、無為、自然の道を重んじた老荘思想の実践者であった。

 

未練も物欲も享楽に溺れることも捨てた「痛快なる無所有」者は齢90という長命のせいではなく、元来がニヒリストで「明るいペシミスト」(本人弁)として、人類全体の一個体として消えていく存在と自覚しておられたようだ。

 

かつて今西錦司さんをリーダーとして学術探検に出かけるなど、すべて自前の足と目で学んだ梅棹さんの人生観に触れてみたら如何(いかが)やろ。


評・横尾忠則 画家


残り。

2010年11月02日 15時11分07秒 | 日記

小山 いま、コンピュータの世界が、ウェブだとかITだとかいって、ものすごく複雑になってきているんですよ。責任の所在がまずます不明瞭になってきています。若い連中が、この革命をどう乗り切るのかということに興味があるんですけれどね。

 

梅棹 興味はあるね。おもしろいやろうね。しかし、もう理解できない。

 

小山 興味はあるけれど、自分でやらないからですか。

 

梅棹 もう理解を超えた。

 

続き。

2010年11月02日 15時05分55秒 | 日記

テレビは思想の媒体ではない

 

小山 梅棹さんは感性的にものを言っているんじゃなくて、かちっと論理的に構成するから出演をやめたのかなと思うんです。放送、テレビの収録では、考えていたことが時間の都合で全部とばされたりしますね。そういうのがたえられないんじゃないですか。

 

梅棹 とにかく、活字人間には、放送みたいな雑な仕事はたえられんな。

 

小山 それから、何よりも記録に残らない。無責任。だけどいまはビデオとかDVDとかがあって、本人は不満足でも、作品が残っちゃうんです。

 

梅棹 切ったり貼ったりの編集が、発言者の最終確認をとらないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。

 

小山 その発言も、梅棹さんなんかであれば、話すときには、ちゃんと予稿をつくって演説するでしょう?

 

梅棹 あれは思想の媒体ではないな。

 

小山 無礼だとかいやだとか、おれの趣味に合わんというのでは理由にならないんだ。「放送は思想の媒体ではない」。ああ、いい言葉だ。これが聞きたかったところです。新聞社でも、電話インタビューは全部断っていましたね。

 

梅棹 断った。これも責任が持てないから。

 

小山 すると梅棹さんが書いていることは、全部責任を持って書いている。

 

梅棹 あたりまえやろ。全部自分の言ったことを確認している。それができない媒体には責任を持てない。

 

小山ずいぶん厳しいなあ。

 

梅棹 わたしは、別な言い方したら、芸能化するのをひじょうに嫌った。

 

小山 芸能化というのは、同じことの繰り返しですか?

梅棹それから、ウけるということ。それがいやだった。だから芸能人とちがう。

 

小山そこのところの境界線をどう越えるか、それがよく言われるけれど、やっぱり梅棹さんはきちっとやった。

 

梅棹 わたしは厳しいよ。芸能と区別する。しかし、これはかなりむつかしい。

 

小山 カメラの前に立たされたら、自分のやりたくないことも要求されるでしょうね。

 

梅棹 そや。

 

小山 そうか、思想の媒体ではないと切り捨てるのは、すごいなあ。すると梅棹さん、「学術をポケットに」と、一般の人が読めるような文庫、講談社文庫にまとめて載せましたよね。それから『文明の生態史観』も中央公論ですね。全部、学界みたいに、自分の世界に閉じこもっちゃって、小さな世界で情報発信して受け取ってやっているというのは…

 

梅棹 そうではない。

 


以下の文章は「梅棹忠夫 語る」聞き手・小山修三 からの抜粋です。

2010年11月02日 15時03分56秒 | 日記
 

以下の文章は「梅棹忠夫 語る」聞き手・小山修三 からの抜粋ですが、

以前に、芥川賢治の頭脳は、梅棹忠夫大人(たいじん)と同じものであると書いた…その章を御参照下さい…ことを証明している文章です(笑)

 

ですから、どうぞ、読者の方がたは、芥川賢治は、本物のGiftedであると、確信して頂いて、僕の文章をお読みください(笑)…戦後、最も重要な作家の一人が誕生している瞬間に立ち会っているという、幸福を持ってお読みください。(呵々大笑)

 

 

小山 そのあと、ジャーナリズム側でも藤木高嶺さんや本多勝一さんのように記者が登場し、新聞社が自前で出すようになったんですね。それまでは記者をそんなところへ派遣するなんてなかったでしょう?

 もとは、探検してきた学者の書いたものが必要で、これだけの資金を提供するから帰ってきたら書くようにと。梅棹さんは朝日新聞の係で、中尾さんが毎日新聞とか、手分けしていたそうですね。

 

梅棹 そうやったなあ。

 木原均先生が当時、学術は朝日新聞、スポーツは毎日新聞と区別して、自分の息のかかった人を振り分けた。「お前は朝日」「お前は毎日」と。

 

小山 その後、テレビ、ラジオから離れてしまいましたね。

 

梅棹 いっさい放送に出演はしない。電波には乗らない。その点はひじょうにはっきりした。民博の開館のときにもさんざん言われたわ。「館長が出演しないとはどういうことだ」と。

                                         

小山 一番売れてたのに。花形スターが出ないというんじゃ、マスコミもつらいでしょう。でも「遠くから撮られるのはしかたがない」つて言ってましたね。

 

梅棹 ニュースとして撮られるのはしかたがない。しかし、出演はしない。

 

小山 でも、一時は脚本まで書いていたわけですからね。脚本っていったらおかしいけれど、さっきの国語講座とか。一時はそこまで深入りしているわけだから。

 

梅棹 電波を嫌うわけじゃない。出演はしないというだけや。

 

小山 なんでそう決めるのか。むなしさみたいなものを感じるんですが。

 

梅棹 具体的ないきさつとしては、一緒に出演した子どもがひじょうに悪くなっていく。これは放送は人間を悪くする。子どもはまるで英雄みたいになっていくんやね。ひじょうに悪くなった。それで、こういうものは人間を悪くするから、自分はもうやめやと。

 


「復讐するは我にあり、我これを報いん」

2010年11月02日 14時24分55秒 | 日記
 

さっきの文章のタイトルは「復習するは我にあり、我これを報いん」の方が良いな、と、程なくして浮かんだのですが、「十戒…」も、良いと思っているので、暫くは、このままにしておきます。

 

さて、昨日、日本有数の読書家である弊社専務が、とても良いものを、幾つか教えてくれました。

 

今日は、最後に…明日は休日ですから…映画の「砂の器」に匹敵する様な、読後感を持たれるはずだと思うものを、アップします。

 

それまで、弊社専務からのプレゼントを、皆さま方にも贈ります。

 

 

…一ヶ月ほど前の朝日新聞の読書欄に掲載されたものです。

 

そこに見るのは私たちの姿

画家 安野光雅さん

 

このごろ、玩具のような弁当が流行っているらしい。黒豆の目鼻、工夫を凝らした野菜の人形など、お母さん苦心の弁当をテレビで紹介していることがある。しかしそれを学校へ持っていくと弁当のコンクールになる恐れがある。今は弁当を持ってこない子や、母のない子はいないのか、羨む子はいないのかと思う。

  

『一〇〇年前の女の子』の主人公テイの母は、里方に戻ってお産をした。それっきり嫁入り先には帰らなかった。赤ん坊だけが生後一ヵ月で届けられた。テイはもらい乳で生きた。そういう時代だったのだ。

 

テイが学校へ上がるようになり、弁当の時間がくると、そこには村の縮図が展開された。鉄の地金にホウロウをかけた弁当箱はひびが入りやすく、蓋に孔があく。蓋はコップのかわりだから、ゆびで孔をふさいで、お茶を入れてもらう。子どもたちは華麗な弁当の自慢をするどころか、弁当の蓋でおかずの部分を隠して、泥棒猫のようにこそこそとたべた。「いいかテイ、べントウ箱に口つけて食べてる子は、行儀が悪いんではないんだヨ、だから見るものではないゾ」とおばあさんがいった。

 

百年とは言わないが、戦後の食糧事情の良くない中で、子どもたちはこそこそと食べた。そのころデモシカ先生だったわたしは、それが見ていられなかった。弁当を持ってこられない子がいるというのに。おかずを隠して食べたりして親にもうしわけないと思わぬのかと怒鳴った。わたしは怒っているうちに涙が出た。怒ったのは、彼らの中に、わたしの昔の姿を見てしまったからだ。そして『一〇〇年前の女の子』の中にも、わたしたちの姿を見てしまったのだ。

 

テイより少し年上の壷井栄の小説『二十四の瞳』のマツちやんは、母親が死んで学校に行けない。大石先生は家にアルマイトの弁当箱を置いていく。アルマイトは梅干しに強くて孔があかない。マツちゃんは町に働きに出され、木下恵介監督の映画では雇い主の浪花千栄子の因業ババあが、蝿をビシツと叩きながら見張る目を逃れて、修学旅行の同級生の一団が見え隠れするのを横町の路地から見送る。

 

ラフカディオーハーンはギリシヤにうまれた。四歳のとき母がどこかへ行って帰らず、以後二人はあったことがない。彼はめぐりめぐっだ放浪の末、松江の学校に来て、小泉八雲になった。松江に来てから百二十年、今年は記念の年である。

 

その名著は山ほどあり、詩人としての感性は、今のわたしたちに力を与えてくれるが、ここでは「おばあさんの話」という小品のあることが言いたい。他人のためだけに生きて、忍従、犠牲の化身のようなその人は。この世から直に無上菩提の光の中に成仏し、もう生まれ変わることはあるまい、と皆が口をそろえる。

 

八雲は書く。

「私はおばあさんがこれから先、少なくとも五万年ぐらいの間は生まれ変わってこないような気がする。この人を作り上げた社会の条件はとうの昔に消え去っている。そして次に来る新しい世の中では、どのみち、このような人は生きていけないだろうから」と。

 

 

十戒…。

2010年11月02日 12時20分14秒 | 日記

読者の皆さま方も、立て続けの出来ごとに、大いに気分が良くないことでしょうが、こんな事になった原因は一体何だったのか…日米関係と言うのは、極論すれば、変わり様のない関係。

 

一方、中国、ロシアとの関係は、そうではない…前者は、今でも共産主義の国、後者も、共産主義から100%脱却したとは言えない国…民主主義との相克が常に存在する国…しかも隣接する大国…こことの絶えざる外交関係=人間関係の構築が絶対的に必要であることは自明の事。

 

例えば、自民党政権時代からずっと、最も票に成りにくい…票と結び付かないと言われ続けて来たロシアと…最も有効な関係を築いて来た政治家、或いは官僚…これまた外務省のエリートコースではない…は誰だったのでしょうか。

 

芥川も、当時は思った…あの頃の、彼の話し方は、仕立て上げられた役割を自ら完璧に演じてしまうような早口で、降りかかった火の粉に対して、絶対に引かないと、彼が強く出れば出るほど、こちらは、すっかり、仕立て上げられた悪役ショーの、じゅんさいな観客となっていた事を。

 

今は、思うのです…自分が生涯を賭けて為して来たこと、為し続けて来た事に対して、思わぬ論難を浴びたら、自信のある者ほど、そこに自分の人生を賭けてきた者ほど、激しく反駁、反発するものだろうな、と。

 

彼は、北方領土が眼と鼻の先に在る…北海道選出の代議士…ペエペエではなく、連続当選を果たしていた有力代議士だった…日本随一の、ロシア人脈を持っていたはずだろうが…40年超続いて来た、わたしたちの、世界情勢等とは何の関係もない、内向きの虚構…高給取りの官僚とマスコミが演出した、全国民が神様で、正義漢の悪役ショーで、向こう5年間の政治生命まで奪われてしまった。

 

心ある弁護士は、無罪だと言及するような案件で。

 

中国については、ついこの間のことですから、幾ら忘却が得意な我が国のマスコミ、及び、それに踊らされ続ける国民であっても…60数年前の事ではないのですから、明瞭に記憶しているはず。

 

この悪役ショーという虚構…偶然ではなく、東京からもたらされ続けたものです…その度に、彼らを選出した地方は、逆の答えを出し続けたにも関わらず。

 

彼らの声は、東京に集った3万人超の…自分たちこそ民主主義の守護神として、もはや人間であることも忘れ…一皮むけば、自分たちが、神の振る舞いが出来る人間どころか、おどろおどろしい、出世欲、権力志向、己の高給、己の安泰志向の、醜いエゴイストに過ぎない事も、すっかり忘却した「正義」の声にかき消され続けた。

 

これだから、地方は、どうしようもない…民度が低いなどとの傲慢を続けて、私たちの40数年が過ぎた。

 

今、目の前に在る、立て続けの「国難」は、その様な私たちに対する、神の罰の様にして、降りかかっていると、僕は思う。

 

一番、最近の事は…今も、その虚構を、恥ずかしげもなく、やっているのだ…国会喚問だとか招致だとか…政治家に取って最も大事なことである、予算編成についての議論を、人質にしてまで。

 

演出者で在ったから、その事を糾せない、だから一緒に成って、「そうだ、そうだ」などと大新聞やマスコミが追従するのなら、それこそ言語同断。

 

芥川は、わたしたちの、この40年超の虚構が完璧に糾された後なら、今すぐにでも、アメリカの、中国の、ロシアの心臓を抉る、一文を世に出す。

 

彼らに対する怒りを表明するのは、わたしたちの虚構を糾してからの話だ。

 

そもそも、自民党の罪は深いのだ…その末期に、月替わりの様に、総理大臣の交代劇を演じたから…2か月前、「代わってばかりいるのもなぁ」と言う、世界情勢とは何も関係のない理由で…でっちあげられた政権。

 

この政権に、肩入れして…今、短絡的に、怒りを表明する気に、どうしてなれようか。

 

©芥川賢治