北方領土の軍備を増強するソ連が色丹島にも軍を駐留させたと聞いて、朝日新聞の小型ジェット機で北上したのは1979年9月のことだった。
いよいよ色丹島に近づいて南の上空から目をこらすと、北の沿岸部で糸のような筋が数本光っている。あれはテントの列ではないか。確かめようと旋回して高度を下げ始めた時、根室の自衛隊から警告がきた。「ソ連の戦闘機が近づいている」
肉眼では見えなかったが、操縦席のレーダーもソ連機をとらえた。向こうの主張する領空には入っていないのだが、こうなれば逃げるしかない。おかけで同行のカメラマンは特ダネ写真を撮り損なった。
米ソ冷戦が厳しかった時代の秘話だが、こんなことを思い出したのは外でもない、ロシアのメドページェフ大統領が国後島を視察に訪れたからである。
折しも日中の間には尖閣諸島で事件が起きていた。そこにロシアの参入。しかも中ロの首脳は9月末に「第2次大戦終結65年記念」の共同声明を出す蜜月ぶりを見せたとあって、日本としても気になるところだ。
あたかも挟み撃ちにあった形だが、かつて毛沢東主席が北方領土の返還要求に「原則的に賛成だ」と語ったのを中国首脳はご存じか。64年7月、社会党の訪中視察団(佐々木更三団長)と会った際のことである。
毛発言について「千島列島全体が日本の領土だと言った。だからソ連が怒った」と回想したのは、72年9月に北京で田中角栄首相と会談した周恩来首相。
「四つの島を取り返すのは大変だ」 「日本の困難に同情する」などとも述べていた。
とはいえ、これは中ソが対立し、国境で中ソも領土争いをしていたころの話。その紛争も2004年に係争地を半々に分け合って片づけた。そんな中国首脳部には、もはや日本への「同情」はないのだろう。
北方四島と尖閣諸島。韓国では「日本は二つの領土戦争中」(中央日報)などと報じているが、もう一つお忘れではありませんか。「三つの」と書かないのは、自国が占拠する竹島(独島)に「領土問題はない」という建前からだろう。
かつてソ連が「日ソ間に領土問題はない」とにべもなかったころを思い出すが、目を尖閣に転じれば、島を支配する日本政府がいま「領土問題はない」と繰り返している。
日本は、なぜこうも島の領有争いで囲まれているのだろろか。アジア大陸と太平洋の間を遮るように横たわる日本列島の地形のせいではあろうが、それに加えて過去の戦争や植民地支配の歴史が大きな影を落としている。
尖閣諸島は日本が台湾の獲得に至った日清戦争のさなか、竹島は韓国併合に道を開く日露戦争のさなかに、それぞれ日本が自国に編入した。手続きに間違いはなかったにせよ、中国、台湾や韓国では「戦争のどさくさ紛れに」と見がちなわけだ。
この点、北方領土は日露戦争で得たのではないが、ロシアはこの敗戦で大国の面目を失い、樺太の半分をとられた屈辱感があった。第2次大戦直後、ソ連がそれこそ「どさくさ紛れ」に北方領土を占拠したのは、その報復だったのではないか。
ただし、それには経緯もあった。大戦末期の45年2月に米英ソの首脳が集まったヤルタ会談で、ソ連を対日参戦に誘ったルーズベルト米大統領が見返りとしてソ連に樺太と千島列島の領有を認め、それが秘密協定に盛り込まれたのだ。
同行したグロムイコ駐米大使(後の外相)の回想録には、会談前にこの条件を知ったスターリン首相が「よし、いいぞ」と喜んで部屋を歩き回ったと書かれている。ソ連は千島列島に四島も含まれると解釈した。
彼らにすれば米国のお墨付きを得た思いだったのだろうが、米国も戦後は大きく変わる。56年、日ソ交渉に臨んだ鳩山一郎首相が「二島返還」で片づけようとしたとき「四島返還を求めなければ、沖縄は返さない」と強く反対したのは米国だった。激しくなった米ソ冷戦の下、日ソの進展を警戒したのだが、いやはや、国際関係はあざなえる縄のごとし……。
さて、いまなぜロシア大統領が北方領土に乗り込んだのか。
理由はいろいろあれ、どうやらその一因が昨年の北方領土担当相に就任以来、「不法占拠」と強調してきた前原誠司外相にあるのは間違いなさそうだ。
ソ連の崩壊後、ロシアの軟化を求めて様々な誘い水を示してきた日本の首脳らは、実のところ「不法占拠」の言葉を禁句にしてきた。対するロシアも「領土問題はない」などと言わずに交渉に応じてきた。
その封印を解くように「60年以上も不法占拠が続く」と昨年の国会で繰り返しだのが麻生太郎首相。ロシアは強く反発したが、期待した鳩山政権でも大差なく、今度は前原氏を外相にしたのだから菅政権も本気で交渉の気はない、とみたのだろう。「不法占拠」が売り言葉なら、「国内視察に過ぎない」とは強烈な買い言葉ではないか。
外交は相手の腹と反応を読み合う知恵比べ。とくに領土交渉は難しい。正論だけで押せるのなら、誰も苦労はいらない。