すずりんの日記

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小説「ある男の物語」2、老人の遺書Ⅰ⑪

2005年10月06日 | 小説「ある男の物語」
 私がいつものように、朝、病室を訪れ、和子の足元を通り過ぎて、カーテンを開け、朝日とともに冷ややかな空気を入れるために窓を開けると、その光と空気の流れを、和子が感じ取っているような気配がした。私は最初、それがどういうことなのか気づかずに、いつも通り、和子に、一言二言話しかけていたが、今見ている和子の姿が、いつもとどこか違っているような気がして、改めて彼女を凝視した。すると、彼女のまぶたに、ゆっくりと強く、ぎゅっと力が入った。和子は、自分の体の細胞の1つ1つが、5年前と変わらず、そこに存在しているのを確認していくかのように、少しずつ少しずつ、筋肉を小さく痙攣させていった。私は、「無」と信じていたそこから生まれる「生」を、瞬きもせず見つめていたが、ついに、和子が目を開き、微かな声を発する直前になって、震える手で、ナースコールを押した。
 医者と、2人の看護士が飛んできて、和子が覚醒したことを確認した。特に、2人のうち、若い方の看護士は、涙を流しながら、私に飛び掛らんほどの勢いで抱きついてきて、言葉にならない奇声を発していた。もう1人の看護士と医者は、和子の名を呼びながら、てきぱきと、計器の数値などを確認していたが、その声は、興奮ぎみに震えていた。
 私は、ただ、腰が抜けたようになっていたが、どうにか、彼らの邪魔にならない病室の片隅に避難した。


(つづく)
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