私が再入院したという発表は、1週間後にようやくなされた。もちろん、癌であるということは発表されないままだった。ボルマンは、急な入院を指示した自分が、私に責められるのを予想していたようだが、私が、何の痛みも、何の不満も、何の疑問も訴えないのを不振に思い始めていた。もちろん私が本当に何の痛みも感じていなかったわけではなかった。私は、昔ハーシェルにリンチを受けた時と同じやり方をしたのだった。私は小さい頃から、痛覚と感情を精神力でコントロールすることができた。私がナチスの一員になった時もこの能力は変わらず、今の道に進んでこれほど役に立った力は無かった。感覚というものは、それに対して脳が下した判断によってそのように感じるのだ。自分が癌に侵されていることに神経を集中させなければ良いのだ。体を解し、痛みを忘れること、それで大半の痛覚は麻痺してしまう。ただし今回は、ここから先ボルマンの思惑通りに、私の治癒能力が私の意志で発揮されることは無いだろうが。
ボルマンは、はっきりとした病名も明かされないまま入院させられ、自分に泣きついて退院を迫る私の取り乱した姿を見たかったのだろう。彼は1日1回は私の顔色を見に病室に寄った。しかし、私が全てを知っていることを知らない彼は、徐々に私に警戒心を強めていった。私が、自分の病名も、彼が私をモルモットに仕立てていることも、全て知っているのではないかと不安になってきているようだが、それを気のせいだと決め付けることもできず、党の公務も手に付かない様子だった。
(つづく)
ボルマンは、はっきりとした病名も明かされないまま入院させられ、自分に泣きついて退院を迫る私の取り乱した姿を見たかったのだろう。彼は1日1回は私の顔色を見に病室に寄った。しかし、私が全てを知っていることを知らない彼は、徐々に私に警戒心を強めていった。私が、自分の病名も、彼が私をモルモットに仕立てていることも、全て知っているのではないかと不安になってきているようだが、それを気のせいだと決め付けることもできず、党の公務も手に付かない様子だった。
(つづく)