昨日、仕事から帰るとキヨちゃんは炬燵で横になっていた。お風呂を観に行くと溢れる寸前でかなり熱めのお風呂。
「母さん、お風呂かなり熱いけん、私が先に入って湯加減しようか?」
そう言うと、
「ほな、ほうして。母さん続いて入る。」
と寝たまま答えていた。最近はずっと足が痛いので、よく横になっている。
お風呂から上がってキヨちゃんにお風呂を勧めるが、なかなか起き上がり出来ない。そのまま横になってもらって血圧を測ったが、特に高すぎるわけでもない。
そこで再チャレンジ。何とか起きたが今度は歩けない。ふらついて前へ後ろへ倒れそうになる。
「母さん、お風呂止めよう。ちょっと休もう。」
そう言って炬燵に逆戻り。
この前の酩酊事件があるので、
「母さんなんか飲んだ?」
と聞くが、
「酒や飲んどらへんわ。」
と言う言い方は嘘ではなさそうだった。
しかし、その後しっかりしたように見えたキヨちゃんが、今日の来客の話を始めたのだが、その話の途中で、
「今、お風呂に誰が入っとん?」
など言う。
「母さん、私と母さんがおって、くりりんがまだ仕事なのに誰がおるん?」
そう言うと、ぼーっと考えてから、
「くりちゃんのお母さん来とる?」
!!!!!
「母さん、くりりんのお母さんが一人で来られるはずないだろ。今どこにおる人?」
「知らん。」
「しっかりしなよ。滋賀だろ?」
「くりちゃんのお母さん編み物しよった。」
「母さん、生年月日言うてみな。」
「・・・昭和~12年?あれ12年?」
キヨちゃんは昭和6年生まれである。そうこうしているうちに座位が保てず後ろに倒れて行く。くりりんの帰るメールに、
気をつけて、でも早く帰って。母さん何だか変。
と返信した。そして親友ナースに、
「どうしよう。母さん変。」
と電話。二人が到着するまでの僅かな時間、私はひどく心細く、涙がにじんだ。
くりりんの帰宅と親友ナースの到着がほぼ同時。親友ナースの顔を見ると、
「あ、Kちゃん。」
と分かりはしたが、
「おばちゃん帰らないかんの?」
など聞く。
「う~ん、ここはおばちゃんの家じゃけん帰らんでいいよ。」
そういいながら脈を取って血圧を測った。どちらも正常範囲。しかし生年月日を聞くと、
「昭和24年8月30日。」
・・・・って、誰だよ。何一つかすっていない。
そこから救急車を要請した。一過性のものかもしれないが、まず歩けないのも失見当も心配だ。
ほどなく救急車が到着。その頃には少ししっかりして、生年月日は答えられた。私が救急車に同乗し、くりりんと親友ナースは別々の車で追いかけてくれた。
しかし、緊張と心配とが重なったせいか、初めて救急車に同乗したわけでもないのに、私は車中でひどく車酔いしてしまった。
「すぐ降りる必要はないですから、車で休んできてください。」
救急隊員にそう気遣われたが、数分で車を降りた。しかし、搬入口は救急隊専用で同乗者の入口は無い。また、救急病院は建て替え中で、今入口などが煩雑になっているのだ。迷子状態で雨の中、建物の外周を半周してようやく入口にたどり着く。病院にはすでにくりりんたちが着いていた。
キヨちゃんはあらゆる検査をしたが特に問題は無かった。その間私は吐き気と闘い、水を飲んでは胃を洗ったが、出てくるのは水だけ。検査の間うなだれている私は、キヨちゃんよりも病人の風情だった。
キヨちゃんは一度歩いてみたがふらついて支えないと歩けない。MRIも撮ってみようと言う事になった。その辺りで、次の日があるので親友ナースには23時に帰ってもらった。本当に彼女には世話になり通しだ。彼女が帰る頃にはキヨちゃんも彼女を気遣うほどになっていた。
キヨちゃんがMRIに行っている間、うなだれて座っているとナナちゃんママが夜勤で入ってきた。(たわしのナナちゃんのママは看護師なのだ)
「すず姉ちゃん、夜勤前に車がないと思ったら・・・。」
MRIから戻ったキヨちゃんもナナちゃんママを見つけてハイテンションで昨日の話などを始める。言っていることは本当の話だし、おかしい事もないのだが、このシチュエーションで話す内容でないだけに、これはこれで心配だった。
結局特に問題は見つからず、何とか歩けるようになったので帰路についた。家に着いたのは2時だった。キヨちゃんには寝てもらい、私はとなりの居間で横になった。くりりんはそれから遅い夕飯。キヨちゃんは点滴したし、私は吐き気で夕飯抜き。
朝、何とか6時に目覚めた。身支度をしに離れに行き、戻ってみるとキヨちゃんは起きて炊飯と前の日出来なかった洗い物を済ませていた。
「お前らなかなか起きてこんし、ことうないんか?弁当は?」
・・・って、覚えてないのか?
どうやら病院に着いてからの記憶はあるが、失見当のあたりの記憶はないらしい。
(続く)
ここをクリックしてお立ち寄りください。
「母さん、お風呂かなり熱いけん、私が先に入って湯加減しようか?」
そう言うと、
「ほな、ほうして。母さん続いて入る。」
と寝たまま答えていた。最近はずっと足が痛いので、よく横になっている。
お風呂から上がってキヨちゃんにお風呂を勧めるが、なかなか起き上がり出来ない。そのまま横になってもらって血圧を測ったが、特に高すぎるわけでもない。
そこで再チャレンジ。何とか起きたが今度は歩けない。ふらついて前へ後ろへ倒れそうになる。
「母さん、お風呂止めよう。ちょっと休もう。」
そう言って炬燵に逆戻り。
この前の酩酊事件があるので、
「母さんなんか飲んだ?」
と聞くが、
「酒や飲んどらへんわ。」
と言う言い方は嘘ではなさそうだった。
しかし、その後しっかりしたように見えたキヨちゃんが、今日の来客の話を始めたのだが、その話の途中で、
「今、お風呂に誰が入っとん?」
など言う。
「母さん、私と母さんがおって、くりりんがまだ仕事なのに誰がおるん?」
そう言うと、ぼーっと考えてから、
「くりちゃんのお母さん来とる?」
!!!!!
「母さん、くりりんのお母さんが一人で来られるはずないだろ。今どこにおる人?」
「知らん。」
「しっかりしなよ。滋賀だろ?」
「くりちゃんのお母さん編み物しよった。」
「母さん、生年月日言うてみな。」
「・・・昭和~12年?あれ12年?」
キヨちゃんは昭和6年生まれである。そうこうしているうちに座位が保てず後ろに倒れて行く。くりりんの帰るメールに、
気をつけて、でも早く帰って。母さん何だか変。
と返信した。そして親友ナースに、
「どうしよう。母さん変。」
と電話。二人が到着するまでの僅かな時間、私はひどく心細く、涙がにじんだ。
くりりんの帰宅と親友ナースの到着がほぼ同時。親友ナースの顔を見ると、
「あ、Kちゃん。」
と分かりはしたが、
「おばちゃん帰らないかんの?」
など聞く。
「う~ん、ここはおばちゃんの家じゃけん帰らんでいいよ。」
そういいながら脈を取って血圧を測った。どちらも正常範囲。しかし生年月日を聞くと、
「昭和24年8月30日。」
・・・・って、誰だよ。何一つかすっていない。
そこから救急車を要請した。一過性のものかもしれないが、まず歩けないのも失見当も心配だ。
ほどなく救急車が到着。その頃には少ししっかりして、生年月日は答えられた。私が救急車に同乗し、くりりんと親友ナースは別々の車で追いかけてくれた。
しかし、緊張と心配とが重なったせいか、初めて救急車に同乗したわけでもないのに、私は車中でひどく車酔いしてしまった。
「すぐ降りる必要はないですから、車で休んできてください。」
救急隊員にそう気遣われたが、数分で車を降りた。しかし、搬入口は救急隊専用で同乗者の入口は無い。また、救急病院は建て替え中で、今入口などが煩雑になっているのだ。迷子状態で雨の中、建物の外周を半周してようやく入口にたどり着く。病院にはすでにくりりんたちが着いていた。
キヨちゃんはあらゆる検査をしたが特に問題は無かった。その間私は吐き気と闘い、水を飲んでは胃を洗ったが、出てくるのは水だけ。検査の間うなだれている私は、キヨちゃんよりも病人の風情だった。
キヨちゃんは一度歩いてみたがふらついて支えないと歩けない。MRIも撮ってみようと言う事になった。その辺りで、次の日があるので親友ナースには23時に帰ってもらった。本当に彼女には世話になり通しだ。彼女が帰る頃にはキヨちゃんも彼女を気遣うほどになっていた。
キヨちゃんがMRIに行っている間、うなだれて座っているとナナちゃんママが夜勤で入ってきた。(たわしのナナちゃんのママは看護師なのだ)
「すず姉ちゃん、夜勤前に車がないと思ったら・・・。」
MRIから戻ったキヨちゃんもナナちゃんママを見つけてハイテンションで昨日の話などを始める。言っていることは本当の話だし、おかしい事もないのだが、このシチュエーションで話す内容でないだけに、これはこれで心配だった。
結局特に問題は見つからず、何とか歩けるようになったので帰路についた。家に着いたのは2時だった。キヨちゃんには寝てもらい、私はとなりの居間で横になった。くりりんはそれから遅い夕飯。キヨちゃんは点滴したし、私は吐き気で夕飯抜き。
朝、何とか6時に目覚めた。身支度をしに離れに行き、戻ってみるとキヨちゃんは起きて炊飯と前の日出来なかった洗い物を済ませていた。
「お前らなかなか起きてこんし、ことうないんか?弁当は?」
・・・って、覚えてないのか?
どうやら病院に着いてからの記憶はあるが、失見当のあたりの記憶はないらしい。
(続く)
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