すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

老後から終活を思う時

2016-08-18 21:24:24 | ひとりごと
 歳を取るに従って、キヨちゃんは余計に「自分の死んだ後」の心配をするようになった。死んでしまった後の事をあれこれ心配しても仕方ないじゃないか・・・と思っていたものの、この仕事をしていて老後の色々を観ていると、自分の将来に付いて考えない事もない。
 以前友人が、
 「自分たちには子供もいないし、姪っ子が小さいときから『お姉ちゃんのお墓はお願いね。』と頼んでいる。」
と話していた。偉いもんだなあ・・・と思っていたが、現時点では子供だった姪っ子もお嫁に行き、流石によそへ嫁いでしまった以上、実家の伯母の事までは頼めないのだろうな・・・という状態らしい。
 私にしても、今までビジョンとしてあったのは、親の介護だけである。父を見送り、後はキヨちゃんを介護する事になるのか、元気で最後までいてくれるのか分からないが、とにかくそういう事しか考えてなかった。
 キヨちゃんを送った後、孤独な老女が残ると言う不安な思いは、幸せな事にくりりんと出会って払しょくされた。けれど、今度は3人の、そして順番から行けばその後の2人の老後に付いて、最近特に考えてしまう。
 キヨちゃんに付いては覚悟はある。認知症になったとしても、寝たきりとなったとしても、もちろん今のままで元気でいてくれれば言う事ないが、看とるのは私しかいない。
 それが、徐々に自分が歳を重ねると、その後の事を考える。
 くりりんと手を取り合って年老いて、
 「せーの」
と一緒に天寿を全うするなんて出来るはずもない。
 くりりんは1日でも良いから私に残って見送って欲しいと言う。私もくりりんを残すのは心配だ。けれど、それより前に、色んなパターンの『困りごと』が出てくる事を、仕事を通して知っている。
 その時、私はどうだろう。くりりんはどうだろう。いや、そもそも、その判断が出来る状態でいられるかどうかである。
 死んだ後の事を心配するより、もし二人が日常生活を送れなくなった時の事を考えれば、友人ではないが甥っ子や姪っ子に、今後の事を託す事も相談していかなくてはならないのかな・・・。

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コメント
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