河村隆一主演のミュージカル『嵐が丘』
たとえば、色でいうと翳りを帯びてけれど烈しく燃える深紅といおうか・・・。
『嵐が丘』には、そんなイメージがある。
19世紀半ばに発表されたエミリーブロンチの小説は、少年のころ寝ることも惜しんで読み耽った。
激しくも切ない愛と復讐の物語だ。
幾度となく映画化もされたが、こんどはこれがミュージカルで登場。本邦初だという。
先駆の『オペラ座の怪人』はもとはB級ホラー映画だった。
これを純愛ドラマの切口でミュージカル化して成功した。
しかし『嵐が丘』は、荒涼たるヨークシャ地方の自然と風土を背景に、虐げられた孤児ヒースクリフの長年にわたる大河小説。
これを2時間程度の舞台に編むことが果たして可能なのか。
それは未踏の山に挑戦するようなものだ。
そこで、今回は荒野の中で可憐に咲く「ヒースの花」をキーワードに、ヒースクリフとキャサリンの「純愛物語」にまとめた。
いわば日本版「冬のソナタ」だ。
恋が狂気でないとしたら、そもそもそれは恋ではない
と言ったバルカの名言をおもいだす。
今回の舞台には”狂気”だとか”憎しみ”の片鱗さえ見えてこない。
登場人物の生き方が「嵐のように・・・」としか言いようのない愛憎劇を見たかったが、甘ったるい、安っぽい、ご都合主義の韓流ドラマにすぎなかった
河村隆一(←画像/左)のヒースクリフ。
さすが歌唱力は抜群。演技力は素人芝居並み。もう少し野性味が欲しい。
キャサリンの安倍なつみ(←画像/右)は、歌唱もよく、可憐だが、炎のような愛情に乏しい。
ヒースクリフといういちばん大切なものを失っても、心の溝を埋めるためにエドガー王子と結婚する心理が見ていてわからない。
なぜかさらさらと淡白で味が薄い。
杜けやきは、語り部とメイドの二役。
導入部の語りは宝塚調で、歌唱力もあり実にうまい。
こうした大河作品にはどうしても”筋売り”役が欠かせないものだが、序幕とラストにしか登場しないのはいささか疑問がのこる。
ヒースの荒野に建つ屋敷「嵐が丘」の主が、ミュージカルの大御所上条恒彦。
「嵐が丘」の主がどのような経済的背景をもってこの土地にくらしているのか、彼の人生がどんなものか、ほとんどホンに書き込まれていない。
おまけに出番が少なく、やりどころがなくて気の毒。
当時のイギリスの階級社会の歪みが、この一大悲劇を生んだドラマの重要なモーメントではなかったか。
なのに孤児ヒースクリフを拾ってきただけの役でおわっているのには閉口する。
『嵐が丘』けいこ風景 東京・ベニサンスタジオ
初演は東京・赤坂ATCシアター。大阪公演は梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ。
どちらもお世辞にも大ホールとは言えない。
この広大なヨークシャの荒野を舞台でどう表現するか。
さすが『モーツアルト』、『エリザベート』のミュージカルの美術を手がけた堀尾幸男の装置は、塚本 悟の照明と相俟って、ヨークシャの荒野をみごとに再現した。
いま流行のコンピューター画像を使わなかったことが良かった。
音楽は『冬のソナタ』の倉本裕基。
全体に短調のナンバーが多いが、暗い葬送曲のようでなく、あくまで”美しく哀しい”イメージを貫いた。
言葉に頼らずにメロディだけでも成立する音楽は、激しく、そして美しい。
(2011年7月28日 シアター・ドラマシティ所見)
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