『一本刀土俵入』は、新国劇の島田正吾の代表的な演目の一つ。
かつて島田の駒形茂兵衛は人情味あふれる演技で、男の哀歌と色気がにじみ出ていた。
この『一本刀』で、島田は一代の名優を実証したばかりか、新国劇「一本刀」の”型”を完成させたといえる。
そして今回は、新国劇の継承者である笠原 章が、お蔦に歌舞伎の市川亀治郎丈を迎えて、この名作に挑んだ。
昭和59年だった。
島田の茂兵衛で、『一本刀』を浅草公会堂で観ている。
その時の船印彫辰三郎が、いま劇団「若獅子」を率いている笠原 章であった。
ちなみに当時は笠原 明という芸名である。お蔦は三浦布美子。
ずいぶん昔のことで、あまり記憶にないのだが・・・・。
「島田!!芸が細かい!!」
二階席から、そんな大向うがとんだことだけはよく覚えている。
普通なら「島田!! 大島田!!」だが、あとにも先にも、このような大向うはこの時が初めて。
場内から「ウワッ!!」とジワがきたのはいうまでもない。
さて今回、新国劇から受け継がれた魂を揺さぶるような舞台を期待した。
残念ながら、意外の不出来であった。
「新国劇」の精神とか長谷川伸の持つ情感などはさておいても、あっさりしすぎた「ちらし寿し」の感がある。
具は揃っているのだが、味がない。
お酢が効いていない物足りなさを感じた舞台だった。
新国劇を「懐メロ」に終わらせたくない。
それが、私の率直な感想です。
亀治郎(←画像/上)のお蔦は2度目。
2年前の浅草歌舞伎(←詳しくはコチラ)とはガラリと変わった演技。
前回はあばずれであることを見せようとして、芸が荒っぽくなったが、今回は「しっとり型」の役作りである。
濁った口跡、序幕のすさんだ感じはよかったが、あえて細かい芝居をしない、おっとり型。
それだけに大詰とあまり変わりばえがしなくなる。
そうなると「十年後の人生」が感じられないという問題が残る。
序幕「安孫子屋」で、茂兵衛との二人芝居にもしっとりした情感に欠ける。
歌舞伎役者と新国劇との初めてのドッキング!!
いかに公演の宣伝文句とはいえ、二人のイキが合っていない。
これがあるがゆえに、大詰で「十年後の芝居」があるのだから。
さらにいえば、お蔦の「おはら節」がまずい。
こうだと生活感も情も出ない。
序幕の幕切れは、取手宿の夕暮れの景で、木の葉が散ってゆくのが定式だが、これを夕立に変えている。
これも新国劇流か。
笠原 章(←画像/右)の駒形茂兵衛は、衣装から鬘(かつら)にいたるまで島田の茂兵衛を踏襲している。
例えば、後半では島田と同じく”むしり”でやる。
取的のときの衣装は、相撲の幟(のぼり)を縫い合わせるという凝りよう。
島田正吾は駒形茂兵衛で、島田ならではの独特のせりふ回し、トーンをかもし出していた。
序幕の取手の宿は、破門された取的茂兵衛が江戸に帰るところだが、従来の多くの茂兵衛役者は、ただ空腹の足どりだけに熱中していた。
島田には、これに道を急ぐ旅人の心を盛り込んだ写実美があった。
笠原の茂兵衛は、序幕の取的では若さがなく、暗い感じだけが残る。
後半もイマイチ。
十年後は三度笠に長脇差、合羽の旅ごしらえ。
花道(←サンケイホールでは客席通路)をサッサツと歩いて出のイキも冴えない。
新国劇には、リアルな中に”型”があり、せりふにも新国劇調がある。
「島田!!芸が細かい!!」の大向うがあったように、独特のリアルな場面が随所にある。
笠原は島田先生の『一本刀』を教科書に使ったというくらい、すべての演技を継承しょうとしていることは見ていてわかる。
しかしだ。
そのすべてが、見ているものに迎合しないのが今回の舞台であった。
最後にひとこと。
大詰のせりふ「十年前に、櫛、簪、意見を貰った姐(あね)はんに・・・・・・」といったのは大阪公演だからであろうか。
「十年前に、櫛、簪、意見を貰った姐(あね)さんに・・・・・」が本当だろう。
ほかに酌婦の南条瑞江がうまい。人間国宝級である。
昭和59年の浅草も同じ役だった。
桂 広行、細川 智の元新国劇座員も付き合ってはいるが、両人とも生彩に欠く。
亀治郎の清元『保名』、澤田正二郎 立案の殺陣『田村』が他の出し物。
(2011年4月24日 千穐楽 サンケイホールブリーゼで所見)
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