とにかく「ほおずき」が好きである。
その可憐な小花を愛す。その半ば朱を刷いた果実を愛す。そして、その風情を愛す。
いつもなら「浅草寺の『ほおずき市』に行ってきました!」と記すところだが、今年は「震災の夏」とやらで行けなかった。
自宅近くの園芸店で恰好の「ほうずき」の鉢を見つけたので購うことにした(←画像)。
ほおずきは、鬼灯、酸漿などと漢字で表記する。
つまり鬼灯はちょうちんのこと。ほおずきをお盆の精霊棚に供えてご先祖さまをお迎えするちょうちんに見立てたものらしい。
ほおずきの果実を鳴らして遊ぶ子どもたちの「頬突き」と呼ばれたことからきたともいう。
そういえば子供のころ、口の中でタネを抜いてクチュクチュ鳴らす。これが実にうまい子がいて羨ましかった記憶がある。
ほおずきの花は2センチほどの素朴で可憐な花です(←画像/左)
これが一つ一つ受粉してほうずきの実になる。ほうずきの朱い実はよく知られているが、初夏に咲く白い花を知らない人が多い。
いまの品種は朱色が美しい。かつての実の色は青かったそうだ。
梅雨が明けて夏本番に突入する時分、関東では浅草寺をはじめ各地でほおずき市がひらかれるようになった。
関西は古寺名刹が多いがほおずき市のあるのを聞かない。
四万六千日の暑さとなりにけり
久保田万太郎の句である。
「四万六千日」、7月10日は観世音菩薩の結縁日である。
その日に観音様にお参りすると4万6千日分の御利益があるとされる。
そして、この日にあわせて「鬼灯(ほおずき)市がたつ。
むかしは雷よけの赤トウモロコシが売られたらしいが、いつしかホオズキの市となった。
ことし東京・浅草寺境内では「ほおずき市」が開かれたのが9日~10日で、のべ50万人の人出があったそうだ。
何年前であったか、浅草寺の「ほおずき市」に出かけたことがある。
たまたま雨上がりの境内はあかあかと灯され、その灯の下にほうずき市は人を呼んでいた。
仁王門から二天門にかけて、浅草寺の境内にまでその鬼灯の店は拡がっていた。
店の若い衆の多くは素肌にさらしの腹巻、紺の法被をひっかけ、同じ法被の女性もいた。
鬼灯は多く大粒の「丹波酸漿(たんばほおずき)」である。
その丹波酸漿は半ば朱を刷いていた。
「ほおずき市」は夏の夜の風物詩だとおもった。今も下町の風情が息づいている。
鬼灯市が済むと浅草の夏はいよいよ深まってゆく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます