おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

未練

2019年09月29日 22時34分30秒 | メモ
毎晩、仏壇に手を合わせている。

今日、その際に
「早く死ねますように」
と何のためらいもなく自然に言葉が浮かんできたのでビビった。

その思いに対しての反対する言葉も浮かんでこない。
ああ、これは本当に自分はそう願っているのだな、と。

眠っているのが一番楽である。

そう思うが、一日中寝ているわけにもいかない。

起きると、心配事や、悩みが頭の中を賑わせる。

また、嫌になって横になる。
朝はその繰り返しだ。

寝ている時は、嫌なことを考えなくていい。

自分、何のために生きてるのかと自問する。
今の答えはこうだろう。

生きるためだけに生きてんじゃない?

そこには夢も希望もはさみこまれない。

何か動き出せば、変わるのだと思う。
でも無理に、努力して動き出そうという気にはならない。

時が来たら、また何かに巻き込まれて、何かが変わっていくだろう。

それを待つ。

今、昔解いたテレビゲームをまたプレイしている。
その夢に溢れた物語に、瑞々しい気持ちになる。
求めているのは、こういうことなんだろうなあ、とは思う。

でも、ゲーム以外でそのような気持ちを見つけられそうなのは、映画くらいか。
当たり外れ激しいが。

音楽もやっている。
パートは、カホンとボーカルだ。

今日も練習はしたけれど。

なぜか、声が出ない。

前に良かった頃に比べると、声を出して歌っても気持ちが悪い。
心地よく、声が出ない。

もちろん、持ち合わせているものはたくさんある。

一部のスポーツなど以外は、大抵のものは平均点以上の結果を出せるらしい。

文章、イラスト、デザイン、音楽、ゲーム作り、卓球、バスケ、水泳、などなど。

いざやってみれば、大体はうまくやってみせることができる。

多趣味とも言える。

だから、傲慢なことを言っているのはわかっている。
もっと、すべてを失っている、もしくは持ち合わせていない人はたくさんいる。

その人たちには、なんて言い訳すればいいか。

贅沢なんだよ!

そう言われるだろう。
心の底から。

けれど、だからと言って今から、無理して頑張って輝いて生きようとは思えない。
いくつも似たような失敗をしてきたから。
その人たちのために、、、というのはどこか違和感を感じる。

何を拠り所にして、生きていけばいいか。

それに対する答えはいくつか知っている。

せっかくここまで行き着いたのだから、それらとは違う答えを、自らの力で見つけてみようか。

それが、生きがいになる可能性だってある。

求道者。

かっこよく聞こえるけれど、そんな楽なもんじゃない。

とりあえずは、そっちに向かって歩いてみるか。

よし。

ひとを思い遣るということ

2019年08月15日 01時26分35秒 | メモ
他人のことを大切にしたいというのは、誰しでもが思うことで。

じゃあ、どの時点での、どの距離での、相手を尊重することが、いちばんその人を思うことになるのか、ということ。

それは非常に難しい判断でして。

例えば僕は、未来のその人が幸せになれるように、相手を思うことにしている。
というか、勝手にそうなっている。

けどこれって、全く報われなくって。

その時点では誰にも?理解されないし、感謝されるわけでもない?

なんとなく、尊重はされるような空気にはなるけれども。
「実績」には全くならないものでして。

じゃあ、その時の相手を尊重する態度を取ろうとする。
そうすると、自分の中でわざとらしくなっちゃって、悪い意味で寒気がする。落ち着かない。

これが私自身の適正であるらしい。
そうなんだから、それが事実なんだから、受け入れてやっていくしかない。

今日思ったこと、反省、ふりかえり。

2009年09月19日 03時13分15秒 | メモ
 今日は、Just4Uさんと、タロウ(ハンドルネーム勝手につけた)さんと、パーカッションのみの現代音楽のコンサートを聴きに行ってきました。
 なかなか良かったんですが、このコンサートの舞台照明をやるかもしれなかったかと思うと、かなり大変になっていたんじゃないかなあ、と少しホッとしてみたり、やりたかったなあ、という残念な気持ちも、少しはあり。


 帰りに、原宿のジョナサンで食事をし、三人で話に花が咲きました。

 そこで話したことをふりかえって、これは自分の為に、今思っていることを書き記しておきます。

 いろんなことを話したので、どこから手をつけたらいいか分からないのですが、とりあえず、論の道筋は考えないで、思い出した事から。

 まずは、Just4Uさんがおっしゃってたんですが、「目先の事にとらわれず、五年十年先を見て行動をする」という事。
 そしてそれに加えて、視野を広くとる、という事。

 僕は思うに、当たり前なんですが、自分くらいの才能の人は、世の中に五万といる。
 それを忘れちゃいけない。
 ちょっと誉められても、このくらいの人はざらにいる、だから向上心を忘れたら絶対に駄目だし、それから、いい結果をもし残せたとしても、それは自分だけの努力でできたと思ってはいけない。
 いろいろな方々との縁……助言や、協力、参加があったからこそ、実現したことである。
 それは決して、自分だけで成し遂げたことではない。
 それを忘れてはいけない。
 だから、縁を大切にしたい。

 「向上心」について。
 満足したら駄目なんだと思います。
 そして同時に、自分を知らなければ、駄目なんだと思います。
 広い視野を持って、その時に見えてくるものも充分に認識すべきです。
 井の中の自分を、知るべきです。
 自分は最終的に、何を目指しているのか。
 目標の為に、絶対必要なものは何か。
 今やってる事は、その目標達成の為の一つのステップなのか、それとも人間的な向上を視野に入れた「お遊び」なのか。
 それによって、技術的な学習をするかしないかという選択肢が、変わってきます。
 ま、結局人間的にも技術的にも、上げてかなきゃ世間には通用しないわけです。

 また、これは僕の大好きな國府田マリ子さんという方もおっしゃっているし、僕も感じていることなんですが……自分にとって、大切な人が増えていく……そういう時、大事な人が増えるほど、一人一人への愛情の密度が薄くなってしまうと誰かは考えるかもしれない。
 しかしそれは違う。
 愛情は無限に体の中から生まれるらしい。
 いくら大切な人が増えても、彼らひとりひとりへの「愛情」は変わらず大きいものだし、そして逆に、大切な人達が増えるほど、自分の中で生まれるパワー・活力は、どんどん大きなものになっていく。
 それが、宇宙の法則(?)である。
 僕はそう思います。

 それから、なにかものを作る世界で、人がひとかどの実績と信頼を得る為には、どこかで普通とは違う「ウリ」を身につけなければならない。
 それを実現する最短距離は、自分の個性を100%発揮する事だと、僕は思っています。
 人は、一人一人が違う。
 だから、その違いが、「オンリーワン」につながる。
 意外と、本音のまま・本能のままでやった事が、ユニークな活動になっていたってのは、よくあることだし、もの作りでは、それが理想の形なのではないかと思う。

 最後に、人と人の距離は、バランスであり、自分をいつわっても、過剰に主張しても、うまくいかない。
 太極拳のおっしょさんが言われてたんですが、「人は『思い』にとらわれてはいけない」のだそうです。
 これだけ言うとうまく伝わりませんね。
 人は、最初に生まれた曇り無き心の動きをそのまま行動に移せばいいのに、偏った「思い」にとらわれて、「バランス」の悪い行動をとってしまう。
 ……ここはやはり、おっしょさんの書かれた言葉を、そのまま記しておきます。
『「心」本来のあり方とは、過去の記憶によって作り出されている「思い」に囚われず、目の前に展開しているすべての現象を今一瞬一瞬で感じ、その感覚を基に最も的確で調和のとれた関係がもてるように判断できることなのでしょう』
 その通りだと思っています。
 その、「心」本来のあり方である時に、その人の個性も最大限発揮できるのだと思うし、ストレスもなく、また他者への影響も良好なものになるのだろうと考えます。

 本当は、もっともっと書きたい事があったはずなのですが……思い出せないし、もうこんな時間です。
 今、キリンの缶チューハイを飲みながらこれを書いています。
 「氷結」です。
 味は、それなりです。

 頑張ります。
 応援よろしくお願いします。

 ではでは。

新顔。

2008年12月22日 01時17分27秒 | メモ

 僕の家族は父方の伯父と同居しているんですが(玄関は違う)、その伯父は猫好きで、5、6匹の半野良猫が常に伯父の部屋の中の椅子の上や、あったかい場所なんかを占拠しています。

 それで、最近それらの猫の中に新入りが現れたようで。

 まだ子猫です。
 好奇心旺盛。
 しょっちゅういろんなとこの臭いを嗅ぎに行ったり、じゃれ付いたりしてます。

 伯父や、それから僕にも、部屋に入ると足に身体をこすり付けてきます。
 僕が座っていると、ぴょんと膝の上に飛び乗ってきます。

 ただし、慣れて調子に乗ってくると爪を立てるので痛いのです。

 デジカメを買ったので、よし、このデジカメには『ペット』というモードがあることだし、写真にこの新入りを写してやろう、ということになりました。

 とある夜、伯父の部屋から子猫を誘い出し(というかドアを開けたら勝手に入ってきた)、カメラを向けます。

 あら、、、失敗
 このカメラ、ボタンを押してからシャッターが切れるまでにタイムラグがあるのだな。

 ここ!っという時にシャッターを押すと、ワンテンポずれてしまう

 もう1回シャッターチャンスでシャッターを切る。

 あらっ? 今度は隠れちゃった。。。

 うまくいかな~い。

 正面から撮りたいなあ。

 今度こそ。。。

 おしっ!

 でもちょっとピントがずれてるかな?

 ひたすら子猫を追い掛け回す。

 この子動きすぎ!

 あっち行ったりこっち行ったり、ベッドの下もぐったり

 こっち向いてじっとしてろ!

 あ、そっぽ向かれた

 でも全身撮れた。

 ほんとちっちゃいんですよ。

 うまくいったかと思ったら、今度は目がコワイ~
 片目だけ光ってるって……なあ。

 

 子猫は僕の部屋に侵入しております。

 あっちゃこっちゃ駆けずり回っております。
 元気だな~

 でも電気コードが危ないかなあ、もしかしたら。

 僕のマンガ専用本棚の前でパシャリ。

 前に積まれているのは、学生時代関わった芝居の台本の一部です。

 

 なんか可愛いポーズとかしてくれないもんだろうか。

 ひたすらシャッターチャンスを狙う。

 よし!

 ってケツをこっちに向けるなあ~

 ……あぁ失敗失敗。

 今度こそっ

 う~ん可愛いったら可愛いポーズかな?

 ちなみにこのあと右手に引っ掛けてたキーボードの譜面台が落ちて、そしたら飛び上がってびっくりしてました。( ̄◇ ̄*
 その様子が一番可愛かったかな、笑えたかな。

 

 他の猫を撮ってもいいんですが、みんな人に懐かない猫なんですよ。

 かわいくないんで、撮る気起こらない。ふん。


'96.1.26.

2008年02月14日 23時15分21秒 | メモ
 …ねえ、…一度、何にも「No」とは言わないで、すべてのものを受け入れて、生きてみようよ。(…心の中で)



 昼間は、僕を厳しく鍛え込み、
 夜は、僕を、大きくする。
 いつも、いつも、そうだった。



 メモたちの続きで~す。

1995年12月17日

2008年02月14日 22時43分39秒 | メモ
 12月くらいに上野で停まっている(たぶん)東北からきた列車の一番前のところに真白な雪が固まってこびりついていた。(ちなみに車両の色は赤)
 こっち(東京)は、全然雪なんか降りそうな気配もないのに…。
 なんか感動してしまった。



 一組のペアで、いつも一人分のセリフをしゃべる二人(男女)。いい感じ。



「今、~のこと考えてたでしょ?」
「だって私もそのこと考えてましたから。」



 何かのキッカケで好きな人の人格が、(言葉使いも)変わってしまう。



 守らなくてはいけない人に頼っていたという、大きな間違い…。



 なんでクリスマスになると街中カップルばっかになるんだろ。
 きっと、この街の地下には秘密のカップル製造工場があって、クリスマスになると、街中にそれがバラまかれるのだ。



 あなたの思い描く夢の仲に
 私の姿は
 今もありますか?



 たとえれば、人にとって、仕事や学問に対する夢は食べ物であり、
 そして周りにいる仲間達は、O2である。



 バカにしてクスッと笑った目が、
 僕の中の同じものとはじけ合った



 みんな、もっとやりたいように生きてりゃいいのに
 環境とか、昔の自分とか、ポリシーとか、いろんなものにムリヤリ縛られて、苦しんでる。
 苦しくて、それでも無理してそれを続けてる自分…
 否定されてしまったら全ての価値はなくなる。
 それって死ぬことよりおそろしいことなのかも知れない。
 だから、愛情とか、学問とか、親子とか、夢とか、宗教とか
 いろんなすうこうな名前をつけてみる。
 ロマンスにひたってみる。…あー、私って頑張ってるな、
 心からそう思う。



 今書いてる『ONE EYES』の次に書こうと思っている、『サキシュクラウド』の過去に書いた設定資料やメモを探すためにいろいろノートを引っ張り出して読んでいたら、この「メモ。(いろいろ)」を見つけました。
 せっかくなので発表!

 ではでは。