おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

新しい社会って?

2019年08月15日 01時59分45秒 | 気づき
例えばだけどさ、就職活動をするとき。

「就職活動用の自分」で、「成功するための行動」をする。

就活相手の会社は、その就活生を見て、それを本当の彼だと「判断」して、就職に結びつける。

こんなおかしいことあるか!!??

それってだって「作った自分」なんでしょ??

「本当の、素の自分」でないものを表に出して、それを本来の自分とする。

その自分のまま、社会に出て、感じてしまう自身との食い違いに悩む、、、ってそりゃあ悩むに決まってるじゃん!!!

私は今の、「タテマエ社会」に警鐘を鳴らしたいです。

ぶっちゃけでいいじゃん、って思っちゃう。
常に本音で生きればいいじゃん、って思う。

全員がそれを始めたとき、新しい社会構造が生まれると思うよ。

どっちがいい、悪いじゃなく、僕はそうなって欲しいと思っちゃうな。

ひとを思い遣るということ

2019年08月15日 01時26分35秒 | メモ
他人のことを大切にしたいというのは、誰しでもが思うことで。

じゃあ、どの時点での、どの距離での、相手を尊重することが、いちばんその人を思うことになるのか、ということ。

それは非常に難しい判断でして。

例えば僕は、未来のその人が幸せになれるように、相手を思うことにしている。
というか、勝手にそうなっている。

けどこれって、全く報われなくって。

その時点では誰にも?理解されないし、感謝されるわけでもない?

なんとなく、尊重はされるような空気にはなるけれども。
「実績」には全くならないものでして。

じゃあ、その時の相手を尊重する態度を取ろうとする。
そうすると、自分の中でわざとらしくなっちゃって、悪い意味で寒気がする。落ち着かない。

これが私自身の適正であるらしい。
そうなんだから、それが事実なんだから、受け入れてやっていくしかない。

いつか僕は死ぬのだろう

2019年08月15日 00時33分16秒 | ふりかえり
昼間生きている時と寝ている時に見る夢の中で「生きて」いる時は、感覚的には「生きる」ということにおいて変わらない気がする。

これは重要なことで、主観的には、現実にも夢の中でも感じる感覚に変わりはない、ということである。

こんなことを話すことに、意味はない、と考える輩もおるかもしれん。

しかし、そんな輩の考えていることも、角度を変えてみれば私の考えていることと本質的に変わらんと思われる。
だから、自信を持ってこの考えを進める。

ブログ文化、SNS文化が進むことで、文章の書き方も大きく様変わりしてきた。

段落の最初は一文字開ける、なんてのは文章を書く基本であったが、横書き中心、一文字分スペースが一文字でない今の時代に、その考えは馬鹿らしい考えとなりつつある。
なんか納得はいかないのだが、奔流に飲み込まれるいま、細かい考えは簡単に押し流される。

それはそうと、「夢」「生」「死」に対する考え方についてである。

いまこの文章を書いている時点での心理状態があまり健康的ではない気がする。
なので話半分に聞いて欲しい話ではある。

結論から言うと、人は死んだら夢の中の世界に放り込まれるんじゃないか、ということである。
これはあくまで当然だが仮説であり、何の根拠もない。
根拠はないこともないが、絶対的なものでは当然ながらあらず、あくまでこの仮説は「楽しむ」ためのものであることを強調したい。

僕は一度大怪我と大病を同時に負った。
その時の経験が、この仮説を形作っている。

あの頃の状況は、とても自身としてはもどかしいものであった。

まさに夢うつつで、暗黒の世界に突入したかと思えば、急に意識が現れ、自分の行動も認識できる。
しかし行動を制御する理性の力はか細い。

全くもって、自身の行動に自信など持てるはずもなくその前段階の問題で、何の責任を持つこともできそうにない。

ある時を境に、「集中力」が戻ってきて、現実へのアプローチに適格性が復活し、自分の行動に責任の持てる状態になってきた。

いま、僕は一日のの半分以上を睡眠で過ごしている。

そういうサイクルに入ったらしい。
もうこうなったら、腹をくくって自分自身の性質に付き合ってみるしかない。

そんな中でも、何かを残したい、もしくは自身として生きたい、そういった思いから、この文章を書いている。

夏という季節、気候もそのサイクルの到来を後押ししたのかもしれない。

それはそうと、いまはいろんな生き方をする人がいる。

僕は最近関わっているコミュニティの性質上、芸能人的な、ファンを持つ人種と、そのフォロワーに関わることが多くなっている。

そこで僕は、いろんなことを思いながら、その人たちと接している。


ものを書くということは、やはり良い。

自分の考えが形になるし、自分の持つぼんやりとした考えを、深めるきっかけになる。