おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

ライアのまど

2007年12月27日 23時04分20秒 | コラム・批評・エッセイ
 今日発売の「コミックバンチ」に、『ライアのまど』という北条司プロデュースの絵本が付録としてついていました。
 実はそれ目当てでコミックバンチを買ったんですが、それが良かった!
 『ライアのまど』、感動作です。
 あったかくて、人はひとりじゃないと思える素敵な作品でした。
 北条司、やるなー。
 『エンジェルハート』の単行本も売れてるみたいだし、ずっとヒット作書き続けてますよね。
 北条司作品群の中ではあまり目立たないですが、僕は『ファミリーコンポ』という作品も味があって好きです。『キャッツアイ』、『シティーハンター』は当然として。
 ただどの作品も僕は全部読んだというわけではないんですよね。アニメをときどき観たり、単行本を1冊だけ買って読んだり、週刊誌を時々読んだりして知っている程度。
 あまり縁がなかったのです。
 でも常に北条司には一目置いていました。絵柄がユニークで素敵だし、話もクセがなくって面白い。
 今回の『ライアのまど』では北条司のストーリーテラーとしての実力を垣間見た気がします。
 お暇があったらどうぞ!お薦めです。

地球って奥深い

2007年12月24日 18時33分09秒 | ニュース・報告
 今日埼玉の某公園まで、おさかさんのおっしょさんに太極拳を習いに行ってまいりましたあ!

 おさかさんと初顔合わせでしたが、あった瞬間、「イメージ通りっ!」叫んでしまいました( ̄▽ ̄;ゞ
 正直公園について携帯に電話して、声を聞いたときは「あれっ?イメージと違う、ちょっと怖いっ」なんて思ってたんですが、顔を見た瞬間ホッとしました。子供の頃の友達に似た人がいたような、懐かしい感じ。初対面ではなかったですね。

 それで、公園内でさ迷ってる僕を、長女さんが迎えに来てくれたんですよ。細っこくて可愛かったあ。
 ごめんね、僕小心者でさあ、向こうから子供がやって来るな、もしかしたらおさかさんの娘さん?とは思っていたのだけれども、こちらから声を掛ける勇気が出なかった。先に声を掛けてくれてありがとう。小さな声で、「…おさかの娘です」嬉しかった。
 息子さんは長女さんと雰囲気また違くて、丸顔で、とても活発そう。2人共じゃれてた。かわい。てかとても微笑ましかった。おさかさんが2人に言うことも 思い出しても笑ってしまう。
 僕大人になりきれてないからなー 頼りないでしょ?ごめんねー また会おうね。

 あぁ、そうそう、おっしょさん。
 着いた時は(遅刻しました。ごめんなさい)、もう振り(?)の稽古が始まっていて、見よう見まねで足上げたり体重移動したり腕ゆ~っくり回したりいろいろしてたんですが、面白かった。奥深い!あれだけでもやる価値あり。
 ただし僕は統合しっちょしょの薬を飲んでいるせいなのか足を上げるとフラフラで(太ってるだけ?)途中で足を上げるの諦めました。
 それで脱力というか、身体全体の骨(筋肉・脳も?)を弛緩させる時間に入りました。
 ここで期待の!おっしょさんのトークが始まりました!僕大笑いしてましたよね。面白い方だった。うん、力がいい具合に抜けてて、でも本物の空気をかもし出していて、あれは絶対只者でない!
 終わってからおっしょさんの連絡先いただきました。ありがたい。東京でもおさかさんが通っているような講座を開かれているそうで、僕は絶対通います。この出会いは運命です

 今度はコマンタさんも忙しくなかったらもちろんヴァッキーさんも交えてオフ会したいですね。
 コマンタさん連絡良かったらくださーい(こんなところで発表

 そういうわけで楽しい1日でした。
 午後からは母のお見舞いでした。
 相変わらずですが、起き上がるとき以外はギブスを外せるようになったので(ギブスを切ってもらった)、だいぶ楽そう…と思ったら、今度は動かないせいなのか膝とか手首とか肘とかが痛くなっちゃったんだそうです。
 せめてお正月は家に帰れるといいんだがなあ…かわいそうで…家がいい、と泣いていました。
 明日いろんな検査の結果をとりあえず聞けることになりました。帰れるかどうかも、その時訊くつもりでいます。

 この休日3日間はとにかくいろんなところに飛び回って、忙しかった!
 でも今は不思議と疲れはないです。楽しかった感覚だけ残ってます。充実してたな、うん。

 あと、おさかさんへ
 CDも聴いてみてくださーい
 本音を言うと実はあっちがメインでーす
 ヨックモックをあげたんですがあれはこういっちゃなんだが思い付き。
 僕はああいう音楽が好きです(!)
 有名なのとかそうでもないのとかごっちゃですが、気の向いた時、聴いてみてください。

 それでは、今後ともどもよろしくおねがいしまーす。

母入院、その後

2007年12月19日 00時57分36秒 | ニュース・報告
 今日母のお見舞いに行ってきました。
 前回に行った時とはうって変わって、明るかったです。
 先日までは、破裂骨折した腰骨を固定するギブスが中で当たって痛い痛いとしきりに訴えていたのですが、その痛みは治まった模様。
 病室の他の患者さんとも楽しそうに話していて、いい感じに見えました。余裕があった。

 腰と足の指の痛みも無いようで、少し安心できました。
 だって着いて早々、

僕「どこか痛いとこないの?」
母「頭」
僕「え?」
母「頭が、パーになっちゃった」

 だもの(笑)。余裕あるよ。具合の悪い隣の患者さんにも気を使う余裕があったようだし、今日は良かった。

 ただ、ギブスが固定した時に上にいきすぎたらしく、脇の下と胸が痛いと、帰り際に看護婦さんを呼んでいました。
 またトコズレみたいな皮膚の炎症に発展しなければいい、と願うばかりです。

 来週の火曜日にギブスがとれるそうで、その日が待ち遠しいと言っていました。コルセットになればだいぶ楽になるらしい。
 話していて、早く退院して、ドライブにでも行きたい、とも言っていました。
 だいぶ気持ちが前向きになってきたな。よしよし。

初恋(!?)~後編

2007年12月16日 00時43分54秒 | ふりかえり
 1年の浪人生活も、終わりにさしかかろうとしていた頃…
 AさんとMくんが一緒に食堂から出てくるのにバッタリ会ってしまった。
 2人は笑いながら話していた。そこにちょうど。
 それぞれ一瞬言葉がなくなった。でも普通に分かれた。それぞれが、行こうとしていた場所にそのまま足を運んだ。その時僕は、空虚な気持ちがしていた。

 Aさんと、Mくんと、僕はそんな関係。
 Hさんは、自分の恋に必死に悩んでいた。
 隣の席に座りあって、楽しそうに話はするものの、いざその未来を見ると、虚しい風が吹き抜けていた。
 だから僕は、春休み、一緒に遊ぼうという約束を守らなかったのだ。
 その先の日々が見えなかったから。
 きっと、4人とも同じようなことを考えていたのだと思う。だから誰も自分から声を挙げなかった。

 1年の僕の浪人生活は、そんな風に幕を降ろした。
 あっ、肝心の大学入試はというと、第1志望とはいかなかったものの、それなりの大学に受かることができた。まったく学力なんて身に付いていなかったのに。ただ自分が得意な問題が、その時出ただけ。本当に運が良かった。でも僕はその頃、プライドだけは高かった。ヘタに中学時代、成績が良かったから。自分が行こうとしていた大学に、その頃の学力としては相応なのに、納得をしていなかった。
 そのことはその後の学校生活に、大きな暗い影を落とすことになる。

<後日談>

 僕が大学に入った後の話。
 中高と6年間、同じ部活で仲間だったkazくんの一人暮らしの部屋に泊まりに行った。
 kazくんは、僕と同じ一浪で、T大学の1年生になっていた。
 部屋の片隅に、T大の入学アルバムを見つけた。それぞれの学部とクラスの、新入生全員の集合写真が載っている。
 それを眺めていた。
 「あっ、この子Aさんに似てる!」
 見つけてしまった。
 もしやと思い、アルバムの最後のほうのページに載っている、集合写真に対応した名簿を探す。
 あった。
 Aさんその人の名前だ。
 「お医者さんになりたいって言ってたけど、結局この学部に入ったんだな」
 医学とは関係ない学部。
 Aさんは二浪だった。そのことを僕が知ったのは浪人生活の後半で、Aさんから聞いたのではなかった。
 僕にとってそれは、とても大変な秘密を知ってしまったように思えて、Aさんとの話題の中で直接聞くこともできず、結局そのまま会わなくなってしまった。
 それにしても偶然って恐ろしい。運命すら感じる。
 その次の日、kazくんと一緒にT大に遊びに行くことになっていた。Aさんを訪ねてみようかとも思った。でも、まだ大きな意味で気持ちは繋がっているけれども、会わない。もう僕にとっては終わったことだった。だから会いには行かなかった。もう一度、写真でも、顔を見れただけで満足してしまっていた(ちょっと強がり?)。
 ただ、その写真が欲しくて、その入学アルバムをくれと、kazくんに頼んだ。いくらなんでも、くれるはずはなかった(笑)。
 その晩は、kazくんがT大で繰り広げている、恋の話題に花が咲いた。
 僕の恋バナも、もうあったんだけどね(笑)

今日は「初恋(!?)」はお休みで…

2007年12月13日 00時03分12秒 | 日々つれづれ
 僕が今年買った ipod classic(僕の持っている ipod のことを、この間発売された ipod touch と比較してそう呼ぶらしい)の画面が突然固まり、音も出なくなった。
 電源も切れない。画面が表示されたまま。どのボタンを押してもうんともすんともいわなくなった。
 これは故障かと思い、アップルに連絡をとるため、買った時に付いていた説明書類を探した。
 すると、カスタマーズサポートのホームページのアドレスを見つけた。
 どうせ故障なんだから、とりあえず連絡をとりたい。電話は面倒なので、メールを送るページがどこかにあるだろうと読んで、パソコンの電源を入れ、そのカスタマーズサポートのページに飛んだ。
 「トラブルシューティング」の文字が目に入った。ipod に関するほとんどのトラブルはここを見れば解決すると書いてある。
 どうせ故障なんだからそんなところを読んでも直るまい、そうたかをくくっていた。でも一応目を通しておくか。
 リンクからジャンプして1ページ目。リセットの仕方が書いてある。
 試してみた。ふむ、センターボタンとメニューボタンを同時に6秒以上押し続けるのね。
 画面が消えた。続いてアップルのマークが浮かんだ。直った…のか?
 ipod は USB ケーブルでパソコンに繋いであったので、パソコンの画面で、iTunes が立ち上がる。いくらアイコンをクリックしても、動かない ipod が繋がっているせいか、それまでは iTunes すら立ち上がらなかったのだ。
 僕の ipod は完全に直った。やりー

<教訓>:電気機器が故障かと思ったら、迷わずカスタマーズサポートセンターにログインすべし。そしてトラブルシューティングを試してみるべし。本当に故障とは限らない。簡単に直るかもしれない。


 もうひとつの話題。
 今日、『恋空』の作者、美嘉さんのブログをのぞいた。
 思った通りの温かい文章。。。
 同時に、『恋空』がノンフィクション作品であることを改めて実感した。
 また美嘉さんという人間が好きになった。
 いつか美嘉さんに感謝の手紙を送りたいと思っている。

初恋(!?)~中編

2007年12月11日 23時49分28秒 | ふりかえり
 今日は、Hさん編です(笑)。
 でも冒頭は、Aさんの話題から。


 Aさんには男友達がいた。
 昼休みになると、

男友達「ほーちゃん(Aさんのこと)~!一緒に昼飯食べよう~!」

 と、Aさんに大きな声を掛ける。
 あ、この人もAさんのこと好きなのかな…僕は直感でそう思った。
 でも付き合ってるとか恋人同士とか、そういう感じではないようだ。
 その人はAさんも入っている友達グループの中心的存在のようだった。
 「あ、勝てないな」すぐにそう思った。
 僕がAさんと知り合うずっと前からの友達。
 その人に対する、Aさんの自然な態度が僕の心を沈ませた。

 僕は、競争が苦手。
 勝つにしろ、負けるにしろ。
 競争は、最後にはどちらかが必ず悲しい気持ちになる。
 そんなことしなくていいじゃんか。みんな「勝ち」だよ。
 でも、そんな気持ちを持っている僕に、答は出るはずもなかった。

 だから僕は次第にその男友達を避けるようになり、Aさんとは、友達の関係でいることにした。

 そこで浮かび上がってきたのが、Hさんの存在。
 最初は、よく見ると可愛いよな、くらいに思っていた。
 Aさんとの関係がはっきりしない僕の心の隙間に、Hさんの存在はするっと入り込んできた。
 別の友達の後押しもあった。Aさん、Hさんとは反対の右側の席に座っていた男の子で、なぜか僕とHさんをくっつけようと、いろいろ応援してくれた。予備校の帰り道、僕のずっと前を歩いているHさんを見つけては僕のところまで飛んできて、わざわざHさんのところまで僕を引っ張ってくれた。
 そんな強引な作戦が成功するはずもなく、僕とHさんは中途半端な空気のまま、駅で別れた。
 「朝早く来て会わない?」僕はHさんにそんな言葉を伝えたこともあった。
 次の日本当に早く登校した僕に、例のお節介な友達は、その心意気を買って褒めてくれた。
 でもそんな作戦も、中途半端なまま終わった。別に特別仲良くなることもなく、嫌われるわけでもなく。
 そんな頃は、Aさんと僕の仲が良かった。頻繁にノートやカセットテープを貸し借りしていたのもこの頃。Aさんとはこの空気のままでいいや、と思っていた。
 例のハンサム、Mくんとも仲良くなった。彼はいいヤツだった。
 授業の合い間、4人でよく笑って話した。この頃の4人の間の空気は温かくて、今思い出しても仲が良かったな、と思う。
 お節介な友人は、自律神経失調症になって、もう予備校に来なくなっていた。

 僕にはもうひとり友達がいた。僕の右隣に座っている男の子で、内気な、目立たないヤツだったけど、僕とはよく気持ちが通じた。
 次の年に大学に合格してから、僕の学校に遊びに来てもらったくらい、仲が良かった。

 話は戻る。
 僕はその頃、Hさんと付き合うのだと躍起になっていた。
 高校の部活の友達と会うことになっていて、それまでには付き合って自慢するんだ、とか、ただひたすら、「恋人がいる」ということに憧れを抱いていた。
 そんな相手の気持ちを無視した小学生以下の僕に、Hさんがなびいてくれるはずもなかった。
 しばらくして、Hさんに彼氏ができた。
 僕はその時、とても悲しかったけれど、なぜか涙は出なかった。ただ呆然と信じられない気持ちでいた。僕は「絶望」に出合っていた。
 当たり前の結果だったと今では思う。
 僕は、「太平洋から昇る朝日を見るのだ」と、自転車を漕いでひたすら東に向った。なぜだか知らないが、それをしなくてはいけない、と思い込んだ。
 僕は地図も見ずに、自分が本当はどこにいるのかもわからずに、東…千葉の銚子岬を目指した。夜通し走った。真夜中、自転車がパンクした。地図もなく、土地勘も全くなく、真っ暗な道を、僕はただ歩いた。膝が痛くなって曲がらなくなった。でも、不思議と不安な気持ちはなかった。
 少し明るくなってきた。もう千葉県には入ったのだろうか。周りは畑と森ばかり。自転車のパンクを直したい。僕は太陽が昇るのが東だから、そっちに向えば海に着く、そう思って、太陽の方向に歩いた。
 僕は朝早い農家の軒先を覗いた。ひとりのおばあさんが起きていた。そのおばあさんに自転車屋の場所を訊き、パンクを直してもらった。
 そのあと見つけたモスバーガーに入って、久しぶりの食事をとり、そこで仮眠した。店員は、なんだろうこの人、という顔で僕のことを見ていたと思う。
 日が完全に昇ると、僕はもう、銚子岬に行くことはさっぱり諦めていた。
 今度は道路の上にある掲示の矢印を見ながら、東京に戻った。今度は特に迷わず、あっさりと家に着いたんだと思った、確か。
 母親に心配を掛けた。「海を見るの。それを今しなくちゃだめなんだ」それだけ電話で告げて、一晩帰らなかった。

初恋(!?)~前編

2007年12月11日 01時34分31秒 | ふりかえり
 初恋では決してないんですが、僕が高校を卒業して、初めて経験した、恋。
 気の多い僕は、いきなり2人の女の子の間で心を迷わせました。
 ダメダメですよね。
 ひとりはショートカットの似合うちょっとボーイッシュな女の子、Aさん。
 もうひとりは時々眼鏡をかけるけど、眼鏡を外したときの方が可愛いな、と僕は思った…Hさん。
 Aさんはいつも明るくて、可愛い、誠実な性格。
 Hさんは真面目で、少し性格暗いかも?よく悩んでいた。
 どちらも可愛い女の子でした。

 大学受験に失敗し、(滑り止めは受かったけど、蹴った)
 僕は春から予備校通いが決定。
 その初日。
 自分の席につくと、左隣の席には可愛い女の子が。
 ショートカットの似合う、Aさん。ムチャクチャ僕のタイプ。見た瞬間、心の中で、ガッツポーズを作ったものね!この人と、1年間隣の席なのだ。
 その向こう隣を見ると、これまた女の子。この子も可愛い。彼女がHさん。
 そしてその更に隣には男の子。M君とでもしておこうか。まつげが長くて、ハンサム。ううむ。

 Aさんとはすぐに仲良くなった。ノートや、授業中に先生の声を録ったカセットテープを貸し借りした。ほとんど僕が貸す一方だったけど。
 貸し借りをするようになってからすぐ、返ってきたテープに、手紙が入ってくるようになった。
 内容は、いつもノートとテープを貸してくれるお礼と、「勉強頑張ろうね!」というお互いを励ます言葉。その手紙は今でも残っている。彼女らしい読みやすい字体…

 彼女とは1度だけ、自習室で待ち合わせて、一緒に勉強をしたことがあった。
 正直告白すると、その頃の僕はただ予備校に通っていただけで、勉強の内容など、頭の中には全く入っていなかった。
 それでも、意味はわからなくともノートは真面目にとっていたので、Aさんの役に立てた。
 その頃の僕の頭の中にあったのは、恋愛のこと、友達のこと、音楽のこと…それくらい。
 頭の中はAさんのことばかりで、自習には全く身が入らなかったのを覚えている。
 むしろ覚えているのは、ランチでマックに2人で入った時のこと。
 デートみたいなシチュエーションに、僕はカチカチ。
 しかも周りは興味津々の女子高生達。
 その好奇の目を感じながら、僕たちは昼食を終えた。Aさんと何を話したかなんて、全く覚えていない。

 Aさん、Hさん、Mくんと僕の4人は、1年間で本当に仲良くなった。
 帰り近くの空いた時間に、4人でお互いの眼鏡のかけあいをしたりした。
 (眼鏡っ子:裸眼比率=1:1)

 Aさんとは、予備校の壮行会が終わって、予備校に通わなくなった後で、1度、手紙のやり取りをしたことがあった。
 4人が仲良くなったことが本当に良かったと書いてあった。
 最後に、受験終わったらみんなで遊ぼうね!とあった。
 僕は返事の手紙に、「春休みに遊ぼう!」と書いた。

 でも、4人が、予備校以外で会うことはなかった。

 4人の仲は、微妙なバランスの上に成り立っていたのだと思う。

ただ今、『恋空』に夢中です(^^;ゞ

2007年12月10日 01時14分04秒 | コラム・批評・エッセイ
 はい。そーゆーことです(笑)

 2週間前の日曜日に映画を見て、そのときもひっくひっく泣いたのですが、何日か後に小説を手に入れて読んで、色んなシーンで、じーん・ウルウルとしています。
 今日は恋空の公式サイトを総ざらいして見て、またうるうるとひたっております。
 なにが良いんだろうなー?悲しい話も多いんだけど、心に残るのは、温かくて切ない気持ちなんですよねー。
 小説は上下2巻なのでそれなりのボリューム(実はまだ全部読んでいない。全部読んでからこういうのは書けって?我慢できなかったんだもん)。
 映画ではラストのシーンで、2時間強の間に心で受け止めた様々な場面、出来事が駆け巡って、嗚咽を漏らしそうになってしまいました。
 小説読んでいても、そんな感じです。映画より密度が濃く、起こる出来事・登場人物も多いので、駆け巡るものは、映画の数倍。

 思うのは、僕ってあんまり楽しい青春じゃなかったなあ、という事。
 中高一貫性の進学校で、男子校だったし、まずそこから夢がなかった。高校出て、予備校に入り、大学入った後も、恋にも人生にも、偏見を持った性格が災いして、今から考えても、あまりよくわからない、すっきりしない青春だったなあ、と思い返しています。

 でもね、この『恋空』が僕の人生に現われて、僕とは別の青春を、自分が疑似体験してみて、頑張っている主人公・作者の美嘉さんに出逢って、もう一度自分の青春に向き合ってみる気持ちになった。
 あの時自分と相手は、どういう気持ちだったのか、どういう気持ちであんな事を言ったのか、伝えたのか。答えのない詩たちに、解釈を与えてもいいかな、という気持ちになっています。
 今となってはどうやってもわからないことも多いけれど、せめて、自分の心の中に置いておく位置を決めてあげてもいいかな、と。今まで宙ぶらりんで、忘れよう、忘れよう、としていたことも多かったので。それじゃあ、前に進めないことも、ある。心の中を、整理しようと思っています。
 そんな中で、昔好きだった人に連絡をとってみようかな、という気も、起こってきたような、怖くて出来ないような、でもそんな変化が、僕の中で起きています。

 でも、基本的にはあまり後ろを振り返る気はありません。今までの話と矛盾しているようですが。今を生きるつもりです。
 これからのために、必要ならば、過去を整理してみよう、という気持ちになっただけです。

 「恋空」、ありがとうよ。お前のために手に入れたものはたくさんある。
 作者の美嘉さんは、いろんなものを失ったけれど、いろんなものを、何千万人という人間に与えてくれた。その「見返り」が、美嘉さんにも巡ってくるといいな、と思ってやみません。美嘉さんも書いているけれど、みんなが、幸せになれればなあ。本当にそう思います。



<『恋空』という作品について>

 「真実の」ラブストーリー、という点がすべてです。
 作者の美嘉さんが体験した、信じられないような様々な体験を、書き綴っている、リアルな、物語です。
 文学的に高い価値を持つような表現や、技法などは一切使用されていません。
 けれども、ひとりの若い女性の書いた文章。手作りの、飾り気のない真っ直ぐな文体に僕は好感を持ちました。
 登場人物たちの、一見矛盾するような言動や、筋の通らない出来事が、この物語の中では多く現われています。でも、僕は読みながら、それをすんなり受け止めることができました。むしろ、そこにリアルを感じ、本当に本の中の世界に身を置いているような、錯覚を覚えました。

 僕は、映画と原作とでは、というと、原作の方が好きです(まだ全部読んでませんが)。
 でも映画は、原作のダイジェストという感じで、音楽もいいし、思い返すには、いいきっかけをくれるものです。

 今、ミスチルの「旅立ちの唄」を、カラオケのレパートリーに入れようと、歌詞を覚えています。
 今、みんなの前で、カラオケでこの歌を歌ったら、泣いちゃうかもしれません

母が入院しました。

2007年12月02日 19時39分12秒 | ニュース・報告
 今日は日曜なんですが、僕が映画を観ている間に父と母は病院に行ったらしく、そのまま入院することになったそうです。
 まだ母に会っていません。相当辛かったのだと思います。
 父と母は、金曜日にも病院に行っていて、その時にも入院させて欲しいと医師に伝えたのですが、ベッドに空きがなく、空いたら即入院という約束で帰ってきたのです。
 それも待てないほど腰が痛かったのでしょう。
 金曜日にもらった痛み止めの新しい座薬も効果が無く、逆に副作用で気分が悪くなり、食事も喉を通らないという有様でした。ほとんど何も食べられないで1日が過ぎたので、父はかなり心配していました。

 とりあえずは良かった――というのも変ですが――と思っています。
 点滴で栄養が摂れるし、母は家の事(掃除とか、食事とか)を心配する必要がない。
 腰が痛くならない体勢は寝ている時だけなのですが、入院しているなら、ほとんど一日中、その姿勢でいて構わない。
 何があっても世話をしてくれる看護婦さんや、主治医だって近くにいる。

 僕は、前回、3~5月くらいだったかに、母が三度連続で入院した時には、出来る限り毎日、病院にお見舞いに行っていました。
 入院の原因が、心不全や、持病の膠原病、強皮症だったからです。
 強皮症の影響で血液が足先まで回らなくなり、自分の抗体で皮膚や足先を攻撃してしまい、足の指が1本真っ黒になってしまって、その周辺に強烈な痛みを感じるようになってしまっていました。
 医師には、足を切断することになる、と言われていました。
 指先だけではありません。指先だけを切っても、傷口のあたりまで血が回らず、また同じことの繰り返しになってしまうので、切るなら、切っても傷口がふさがる、足首の上までを全て切断する、と言われてしまったのです。
 僕は母を心配しました。そんなことを言われたら、本当にショックです。義足をつければちゃんと歩ける。口では言えますが、自分の足が無くなってしまうという心の傷は、ちょっとやそっとのことで治るものではありません。
 実際、母は落ち込んでいました。とても。その頃からでしょうか、僕が母の涙を多く見るようになったのは。
 だから僕は、いくら仕事が忙しくても、スクールがあっても、母のもとに向かいました。

 けれども今度はその時とは少し様子が違うと思っています。
 「腰痛が治れば家に戻れる」。しっかりとした目標があります。
 だから僕は、今回に限っては、母の世話は父に任せて、家の方を守ろうと思っています。
 守ると言っても、別にセキュリティーを高めると言う意味ではなく(笑)、家事の全般をやってみようと思っているのです。
 母が帰ってきても安心できるように。逆に驚くくらいに。ピッカピカに家を保とうと思うのです。

 別に自分を殺す気はありません。自分のやりたいこともやります。その為に、母の世話を父に任せるのです。
 あぁあ、でもたまには母の様子を見には行きますよ、そりゃあ。
 自分の中のバランスを少し変えようと思っているということです。

 皆さんにはいつも応援していただいています。ありがたいと思っています。
 いつか恩返しができるような自分になるために、僕は精進したいです。
 頑張ります