おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

モノづくりに対しての考察

2016年05月18日 17時03分44秒 | コラム・批評・エッセイ
ご無沙汰しております。ブログの記事を書くは、凄く久し振りです。おっちーです。

さて、表題について。
その前に、この冒頭のイラストは、私が作ったものです。
『ペンペンの夢』というタイトル。

二子玉商店街青空アート&マートというイベントがあって、そこで展示をしました。



こんな感じで展示しました。

さて、改めまして表題について。

実は今、とても難しい話をしようとしています。

モノづくりを、何のためにやるのか。

自分の欲求を満たすためなのか、
他人を喜ばせたいからなのか、
お金が欲しいからなのか、
自分を知って貰いたいからなのか、
尊敬されたいからなのか、
気付いて欲しいからなのか、
表現したい何かがあるのか、
ストレス発散なのか、
コミュニケーションツールとしてなのか……

と、挙げていけばキリがありません。

皆さんはどれが当てはまりますか。

私は……

たぶん、全部、といえば全部、なのです。

一つを選べ、と言われたら、最後の、なのかな。

私は今、やや特殊な職種に就こうとしています。

あまり一般的、な職業ではありません。
似たような職業をされている方、というのもそんなに多くないはずです。

最終的には、イベントデザイナー、というものになりたい。

その為に、今はいろんな事に挑戦しています。

役者、
脚本書き、
イラストレーター、
作詞、
物語制作、
作曲、
歌うたい、
カホン演奏、
ワークショップのファシリテーター、
照明家、
イベント企画、
イベントのお手伝い、
動画作成……等々。

はっきり言って、やり過ぎだとは思います。
時間のやりくりは大変です。
けれども、やる価値はあると思っています。

何故、そんな苦労を買ってしているのか。

それは、私の人格形成から話せばなりませんが、それはまたの機会に回します。

それは、恐らく「自分の周りの出来る限り多くの人に、幸せになって欲しいから」です。

それが、私の最大の欲求です。

ですが、それとこれとが結びつかないかもしれません。

何故、イベントデザイナーと幸せが結びつくのか。

何故、色んな活動が、他人の幸せに結果づくのか。

意味が分からないかもしれません。

疲れてきたので、そろそろ終わりにします。
すみません。

簡単に言うと、発信することが、私が私の思っている事や空気感を放つことが、それを受け取った人の中で化学反応を起こして、その人が幸せに向かってベクトルを向けるキッカケになるのではないか、と思っているのです。

その為に、私はこの半生を賭けてきたし、その実現のために、毎日をそう思って生きてきました。
その為の、私の人生だと思っています。

とにかく、その為に私はこれからも活動を続けます。

パートナー

2016年02月13日 13時11分51秒 | コラム・批評・エッセイ
 この記事は、私のパートナーに対する気持ちを綴る。
 今現在、パートナーを持たない人は、読まないことをお勧めします。

 良きパートナーがいることは、私が一人でいる時も、良い空気を作ってくれている。
 一緒にいる時はもちろん気持ちが安らぐし、楽しい。
 けれどそれ以上に私にとってありがたいのは、彼女がいることで私の精神が安定し、一緒にいない時でも彼女を感じ、安心して自分の時間に没頭できることである。

 逆にそれが危うくなった時は、酷い事になる。
 ケンカした時などは、精神的に不安定になるし、何に対しても集中できなくなる。
 彼女の有難みが分かる瞬間である。

 人は一人では生きられない。
 人生は二人一緒にいることで動き始める。

ゲーム

2016年02月13日 11時01分59秒 | コラム・批評・エッセイ
 私は、テレビゲーム世代である。
 小学校高学年の頃に、任天堂のファミリーコンピュータ―が登場した。
 しかし私は、ファミコンは買ってもらえなかった。MSXという、パソコンとファミコンのアイノコみたいな、非常に中途半端な立ち位置のハードを手に入れた。
 だから私は、スーパーマリオすら友達の家以外ではやったことがなかったし、ドラクエも、リアルタイムではプレイ出来ず、相当経時間が経った後の、MSXへの移植版をようやくプレイした。
 ドラクエについては、今は携帯のアプリで移植版が出ているので、そちらでも遊んだ。ただ、携帯のゲームについては、操作性の問題で、ちょっとストレスが生じるのが気になっている。

 私のNO.1ゲームといえば、セガサターンのRPG『グランディア』である。なんといっても戦闘システムがよく出来ていて、飽きない。ストーリーも、当時として秀逸だった。物語のヒロイン・フィーナが主人公・ジャスティンの元を去った後、はるばるジャスティンのことを励ましにやって来た、幼馴染みスーの「ジャスティン!」の台詞は、寒気モノで、耳を離れない。テーマも当時としては深いものだと感じた。人々を滅ぼそうとする、最後のボスのネーミングが、『ガイア』というのに、感慨を覚えたものである。

 私は昔から、ゲームを作りたいという夢を持っていた。
 ストーリーや、キャラクターは勿論、できたら絵も音楽もオリジナル。ゲームバランスを取るのが一番難しいことに、作り始めてから気付いたが、その話は置いておく。
 むかあし、恵比寿にあるゲームクリエイター学校に入ろうとしていた時期があった。結局、そこに入学することはなかったが、その頃の魂は、今も脈々と自分の中に息づいている。
 難しいプログラミングをすることなく、ゲームを作るアプリが、今は存在するので、それを利用して作っている。
 昔は、それこそ学校に入ろうとしていた当時は、ゲームのプロデューサーになるのが夢だった。ゲーム制作を、自分の仕事にしたいと思っていた。
 しかし今はその気持ちはない。アマチュアでいいと思っている。
 仕事と夢が一致することは、極めて稀であると考える。その話題については、また今後も触れていきたいとは思っているが。

『STAND BY ME ドラえもん』を見て

2015年02月13日 16時10分20秒 | コラム・批評・エッセイ
 映画館で観て、今、DVDでもう一回観ました。
 私のような、いわゆる子供時代ドラえもん黄金期の世代の人は、絶対に観て損はありません。
 合計20回くらい泣きました。
 もう映像が、物語が、目線が優しくて優しくて。
 この作品のすべてに、愛を感じます。
 なんというか、ピュアというか、人間の感情の基本というか、そういったものを思い出させてくれます。
 大人の世界の、いろんな汚れを洗い流して、よし、明日から頑張ろ。
 そんな気持ちになりました。
 是非お薦めの映画です。

「夢の万有引力」

2014年02月15日 19時48分01秒 | コラム・批評・エッセイ
意味もよく定まらないまま、使っております。

【対義語】:「希望の食物連鎖」

 人と人は引かれあったり、反発しあったりしながら、社会の中を生きていきます。
 大きな夢を抱く人は、人をひきつけます。唐突ですが、今が戦国時代の世の中なら、「野望」という言い方でもよいかも知れません。織田信長、豊臣秀吉、大きな事を成し遂げた人物は、多くの人をひきつけた人物は、大きな野望をその身にたくさん抱えていました。
 適用する言葉はどうでもよいのですが、社会に対する何かしらの強い「思い」を持つことは、その人が活動するエネルギー源になります。
 もちろんそれが、よこしまな「思い」であれば、それは何らかの形でその人に戻ってきます。行為に移さなくとも、強く「思う」ことは、その人の次の姿に強い影響を与えます。いわゆる仏教で言うところの、「因果応報」にあたる話です。
 私は、いきなり私の個人的な考えになりますが、なるべく「透明」でありたいと思っています。透明という言葉だけでは分かりにくいでしょう。「無我」と言いますか、私利私欲を挟まない、必要以上のそれを必要と思わない、もちろん表にも出さない、いわゆる「自然体」な自分。それが私の目指す、自分の姿です。
 その姿は、私の持つ「夢」と大きな関連があります。それは私の身には余る、大きな夢です。それを果たすには、私の言うところの「透明」な自分を形成する必要があります。
 なぜ「透明」であらねばならぬのか。それは、自分の意識外でも、社会を自分の理想に近付いていって欲しいと願っているからです。その唯一の「正しい」方法が、「透明」な自分を形成することでした。
 これに関しては、今の世を生きる人たちなら、似たようなことを思っている方々も多いのではないかと考えます。
 「無我」と自分を「殺す」ことは異なります。全く違う行為、思考です。自分を殺すことは、自分の存在を消そうとすることです。いるのに、いないふりをすることです。それは苦しい行為です。
 人の為と思って、それをする人がいます。あなたがそこにいるのに、他人に迷惑を掛けないようにと、あなたはいないのと同じようにと、そういう結果になるようにと、自分を殺すのです。それは繰り返しますが、辛い行為です。
 あなたは、わたしは、確かにここにいるのです。それを否定してはいけません。そこにいるだけで、私には、貴方には生きる権利が生じているのです。豊かな生を営む権利がそこに生きているのです。だれかれと同様に、豊かに生きてよいのです。私はそれを意識するだけで、元気になります。あなたはどうですか。
 誰かが、私たちを正しく「楽」な方向に引っ張っていってくれたらいいのに、と夢想します。それは救世主なのでしょうか。それほど末法の世とは言い切れない今の世、それを敢えて救おうなんて、そんな面倒なことを引き受けてくれる人はいるのでしょうか。

      *

 今、料理を勉強しようと思っています。オレンジページ、という料理雑誌があります。それに、「忙しい人のための作り置き」という特集があって、この記事をうまく活用できないかと、策を練ろうとしております。
 明日は日曜日。買い出しをして、料理の作り置きの、練習と実践を、やってみようかな、と。

0の平野

2014年02月11日 22時23分19秒 | コラム・批評・エッセイ
 二日、ブログ更新を休みました。
 先日の日曜日に、映画『永遠の0』を観てきました。
 今一番の話題作とも言えます。ご覧になった皆さんの評判を見ると、(エンタテイメント)作品としては素晴らしい、でもテーマ的なところに疑問が残る、といったものが代表的なところと言えますか。
 私の感想をお伝えします。まず、あんなに映画を観て興奮したのは初めてでした。感動しました。エンドロールが流れたところで、呼吸が苦しくなるほどでした。
 皆さんが苦言を呈する、テーマ的なところ、特に特攻隊を美化しているのではないか、という件についての個人的な見解を述べます。私としては、それは感じませんでした。むしろ、それを踏まえて、あの戦争期の歴史を、じっくりと勉強してみたい、という欲求が生まれました。よいきっかけを頂いた、という感謝の気持ちがあります。
 もちろん、観る人によっては、危険な思想のきっかけとなる可能性もあるのかもしれません。そこは、私は専門家でないので、プロの評論家さんや、有識者の皆さんに議論と対応をお任せします。
 けれども、私は今、その時代の日本や、それまでに至る世界の歴史を、勉強してみたい、と思えています。映画や、本、演劇、テレビドラマなどの娯楽作品は、時々、私たちを深い知識の世界に誘うことがあります。ある作品と出会って、感銘を受け、それに関する世界にのめり込んだ、という例は世の中にゴマンとあるでしょう。作品を享受する側、受け手が、そこから刺激を受けて主体的に動く、いわば受動から能動に切り替わるようなケース。私たちは、そういった場面にたくさん遭遇したいと、思うべきだと、私は思います。それは、歓迎すべきドラマです。
 エネルギーがないと、人は動けません。そのことが起こる理由がないと、結果は起こりません。だから私たちは、現実の世界の様々な刺激の中に、積極的に身を投じてもいいのではないかと思います。
 もちろん、そんなことは余計なお世話だ、という人もいると思います。でも私は今、そんなことを考えるのです。怪我をしたり、病気になったり、亡くなったりしたらどうするのだ、と考える人もいるでしょう。そうならない為に、人は生きる上で技術や、知識を身に付けなくてはなりません。
 もちろん偶発的な事故はあります。でも、恐れていたら何もできない。元々人は古来、大自然の中で、素っ裸で生きていたはずです。いきなり何の話をし出すのか、と思うでしょう。しかし、時代が変わっても、生きることに含まれる危険は、リスクは変わらない。私の言いたいことは伝わっていますか。原始時代の人の生き難さと、現代人の背負う生き難さが全く変わっていたら、現代の人が何の心配もなく、楽に生きることができる存在までになっていたら、それは地球のバランスが大きく崩れるのも当たり前です。我々はもっと自然を畏れて、環境を畏れて生きねばなりません。力は何も生みません。大切なのは、和、の心。調和。その実現の為に、私たちは多くを知らなければならない。そんなことを考えるきっかけをくれたこの映画に、キャスト、原作者等を含む全制作者に、私は感謝をしていますよ。
 話がすっ飛んだところまで行ってしまいました。失礼しております。もしこの記事が、誰かが何かを考えるきっかけになれば、嬉しいと思っています。

優先順位

2014年02月07日 00時48分11秒 | コラム・批評・エッセイ
 仕事をしていると、よく上司が「優先順位」という言葉を使って指示をしてきます。大抵、その優先順位というものは、自分が生理的にやりたい仕事の順番とは違っていて。
 困るのは、上司がいない時に、以前その上司が言っていた「優先順位」の決め方を使って、仕事を消化していかなければならないとき。こういう時って、ストレスたまるんですよね。おまけに仕事の効率、スピードも悪くなる。自分が生理的にこなしたい仕事の順番と、恐らくは上司がして欲しいであろう、今の仕事の優先順位が、頭の中でカチ合うんですな。この順番でやれば、一番速くこなせそうだけど、もし上司に見つかったら怒られる。だから、ビクビクしながら仕事しなければならない。結局効率が悪くなる。そこで、上司の指示通りであろう仕事の優先順位に従って仕事をこなしてみる。すると、そういう時って大抵は、すぐ終わるのに後回しにしている仕事があるので、そっちが頭のどこかで気になって、やはり仕事をこなす集中力が落ち、効率が悪くなる。
 だから、私は上司の良い部下管理法として、仕事の結果には、評価・意見の伝達を下すけれども、やり方は任せる、というのを理想だと思ってしまうんですね。でも、なかなかそんな人はいないんだなあ。
 そうそう、腸炎はすっかり治りましたよ。ご心配お掛けしました。どっちにしても明日は有休を頂いているので、ゆっくり出来ます。最近忙しかったからなあ。年度末、年度始めに向けて、仕事場は更に忙しくなっていくので、体調管理をしっかりしなくちゃ。有休の上手い使い方も、そろそろ覚えないといけませんね。
 話は変わりますが、最近、『東京バンドワゴン』という小説を読み始めました。小路幸也という作家さんが書いた、ドタバタホームドラマ、らしい。彼女に借りたものなので、大切に読んでいこう。って、実は借りてから1ヶ月くらい手を付けてなかったんですけどーね。ようやく読む心の余裕ができてきました。
 さて、では、また、次回に。

理由

2014年01月26日 22時02分12秒 | コラム・批評・エッセイ
 全ての行動は、根拠がないと出来ない。根拠は、辿り辿ると人間の持つ「欲」にぶち当たる。
 物を食べること、人と話すこと、仕事する、歌う、奏でる、頭を撫でる、生む、教える、手を繋ぐ、正しい事をする、修行をする、経を唱える、祈る、笑う、泣く、叫ぶ、怒る、物を作る、生きること。それら全てには、それらの事が起こった、理由がある。逆に言うと、理由のないそれらは、有り得ない。
 しかし、世の中には、限りなく理由のないそれらが存在する。空虚なことがある。
 欲がそれらの源泉であるならば、欲が満たされれば、人は生きる理由を失くすということにはならないか。
 物を深く知る、ということがある。人は生きることに於いて障害が限りなくゼロに近付いた時、人は、物を深く知らなければ生きていけなくなる。
 何故なら、それを知らなければ生きる理由を見失うから。そんな場面を、私はよく目にしてきた。
 自分を敢えて苦境に追い込む人がいた。生きる理由を、自分に与える為だろうか。
 私は明るくいきたい。必ずしも前向きでなくていいから、笑っていたい。周囲に、笑いを与えたい。
 それが私の夢であり、希望である。
 まあ、自分が潰れない程度に。

SEKAI NO OWARI

2012年11月18日 14時11分13秒 | コラム・批評・エッセイ
いいですねえ。
みなさんご存知でしょうか?
『眠り姫』や『Never Ending World』が秀逸ですね。
彼らとの出会いは、『世界平和』という曲だったのですが、あれを最初聴いたときは、衝撃でしたねー。
思わず、知り合い誰かれ構わず、聴かせまくったものでした^^;。
彼らのキーワードは、「あやうさ」ですかね。
Vo.のはかない感じ。
アレンジの、壮大ながらもポップでエンタテイメント性豊かながらも、なんというか、今にも崩れてしまいそうな不安感。
正直僕は、彼らの『Earth』というアルバムを聴いた時は、彼ら、一発屋で終わるかと考えてたんです。
確かにアイデアはすごいけど、音楽性に伸びる雰囲気を感じなかったのです。
ところが、あれよあれよという間に彼らは成長し、武道館ツアーを終え、トップアーティストになってしまったわけですな。
で、私は一度、彼らを見限った訳なのですが、自分の中で。もう一度彼らの音楽を聴いてみたいと思い、アルバム『ENTERTAINMENT』を手に取った訳です。
そしたら、なかなかに素晴らしい。音楽を聴いて鳥肌が立ったのは、久々のことでした。
確かに彼らの武器はその秀逸なアイデア。だったわけなんですが、そこにしっかりとした音楽性を備えている。
そしてもう一つの武器、独特の世界観を持った歌詞も、相変わらずに素晴らしい。
なにしろ「世界の終り」ってグループ名持っちゃったわけですから。これから何をしても、それがついて回るわけです。
しかし今回のアルバムは、その名前に負けてない。大したものです。
そして彼らは、アルバム名に、更に自分たちを追い込むべく、「エンターテイメント」と名付けた。
いやいやその気概、全くもって大したもの。
もう少しの間、彼らの足跡を、追い掛けてみようと思っています。

今日、思った事

2012年11月15日 20時06分35秒 | コラム・批評・エッセイ
本日は、人がなぜ生きるかについて問いたいと思うわけで。
なあんてのは大嘘でし。
でも、私が今人生をやってく上で、大きな転換点となるような考え方を思い立った日でありました。
そんな大袈裟な話ではないのですが、私は、今まで人のコミュニケーションを、自分から見て放射線状に張った関係しか考えていなかった。
要は演劇用語でいうところの、縦のコミュニケーションしか考えてこなかったわけなんです。
自分と、相手。私と、彼。私と、先生。私と、あなた。
人は集まると、自分中心の時間なんてほとんどないわけです。
だから、第三者同士のコミュニケーションを、円滑にする、というか、応援する、というか、とにかく活性化し、楽しいものにする為には自分はどう心掛ければよいか。
どういう発言をし、態度をとっていれば、その自分のいる場が和やかで楽しく、また機能的(?)なものとなるか。

ある集団において自分の存在が適当なものであるために、いろいろ考えました。
そのための要素、挙げていきませう。

○まず、自分が穏やかな平和な幸せな気持ちである
○その集団の構成要員が、なるたけ多くの割合で、穏やかで平和で幸せな気持ちである
○その集団が集まっている存在理由は何か、そのために集団が機能しているか

まず思い付いたのがその辺りでした。
(3つ目を思い付いたのがミソだったかな)
これを一人の人間が果たそうったって無理な話なんですわな、そりゃあ。
一人の人間が居るか居ないかでそのへんが変わったら、そら凄いですう。
歴史上に名を残す人物になるでしょう。
でも、少しでもそのあたりに近付いていきたいと頑張りたいわけです。
話を進めましょうか。
ひとまず、私が関わっている集団といえば。
一つは、いわずもがな仕事場です。
もう一つ、福祉施設のフリースペースでの人間関係。

仕事場はあ~、難しいので後回し。
という訳で福祉施設の集会所における、人間関係を円満に進めるにはどう心掛けたらよいか。
そのあたりを考えていこうかな。
おう、その前に、なぜ私がそんなことを考え始めたか。
そこから話しを進めていこうか。
集団の中に、気になる人がいたわけです。
その人は、あまり幸せそうに見えなかった。
全くもっておせっかいな話ではありますが、私はその人を楽しませてやりたかった。
ある時、その人と2人っきりになりました。
その時は、その方を楽しませようと、躍起になってはしゃぎました。
で、その時はその方、楽しそうに笑ってました。
ああ、良かったなと。
思った訳なんです。
で、集会所に人が入ってきた。
すると、暫くしてその人の表情が変わった。
その時思った訳です。
ああ、これは、この場所をその人にとって、楽しい、居心地の良い場所にしないと、その人は「幸せ」になれない。
その為には、この場所の構成員全員にとって、この場所を楽しくて居心地の良い場所にしなければならん、のだと。
構成員のコミュニケーションがまさに網目状に、円滑に繋がり、活性化し、その場所が楽しく心地良い空気になる。
それを目指したいと思ったのです。
私は今まで、幸せにする、ひとりの人を探してきました。
でも、私はその人を見付けてしまった。
ちゃんちゃん。
終わり。
ってわけにはいかなかったわけなんです。汗
そこからも人生は延々と続くのです。
一人の人を幸せにする使命を帯びながら、それを叶える努力をしながら、やはりどんどん生まれてくる自分の好きな人達を、やはり少しでも幸せにしたい、という欲求は底を尽きることがなく、むしろ溢れ溢れ溢れ、人の形では処理しきれないばかりにならんとしとるのです。
一人の人を幸せに、本当の意味で二人が幸せになるためには、なんと、考えられる限りの人が幸せになってくれないと、それは果たせない!ということに気付いちゃったわけなんですな。
わあ、キリがない。
とも思うわけです。
でも、それをやっていくのが人生じゃないかと。
想いを果たしていくのが、描いたものを実現していくのが、それが私の生きる道。
そんな格好良いことでも言っとらんとやっとらんないのです。
つづく。

本日思うに

2012年11月14日 20時58分57秒 | コラム・批評・エッセイ
頑張ろうと思うんですが。
なかなかきかない。
社会のことを知るのが大事なのかな。
情報社会と申します。
情報を多く仕入れた者の、勝ち、なのかな。
それも生きた情報なんでしょうな。
死に体の情報じゃ、駄目なんでしょうな。
そして大切なのは、懸命に生きること。
大それたことを言っとるようですが、皆していることであります。
ただ、幸せにそれを行うためには、自分を知ることなんでしょう。
そして、自分らしく、というと語弊もあるのですが、自分が求める生き方を、懸命に模索する、とでも言いますか。
自分を見付けて、自分と対話し、自分に正直に、驕らず、謙虚に、しなやかに、自然に、力まず、でもサボらず、生きる、と。
そういえば森光子さん亡くなったそうで。
驚きました。お歳を伺ったら、大往生なんですが、なんか、自分の親戚のばあ様が亡くなったかのようなショックで。
お隣の古くから見知ったばあちゃんとか。
いやいやいや。人はいつか亡くなります。
人じゃないものになるのですなあ。
なんと言いますか。ご冥福をお祈りします。
穏やかに亡くなられたならば、個人的にはよかったか、とか思うわけです。
人は社会の中で揉まれると、どうしても変化するわけです。
そのままの、生まれたまんまの自分じゃ生きていけないわけです。
それを人は成長する、と呼ぶ人もあるようです。
でも、明らかに生きる事をサボったり、億劫になったり、傲慢になったりした結果の変化を見受けられる方もあるわけなんですな。
それは成長したとは、呼べません。
常に自分をモニタリングしないといけない。
第三者の目で、自分を見る。
それには手っ取り早いのは、他人と本気で対話することです。
嘘偽り無い本音で、ひとと話すことです。
そうすると相手が見えると同時に、自分の有りのままの姿も浮かんでくる。
そしたら、大抵は恥ずかしくなります。
俺ってこんな風に見えてるか。
他人様に、こんな醜態を晒しているのか。と。
だから、少しはマシになろうと思うのです。
そんなことの繰り返しでやって参りました。
もちろん私、自分を見失ったことありますし、どうしようもない醜態を世間様に見せたこともありますわ。それは。
でも、私は今の自分が、許せないか許せるかというと、まあ許せる範囲におるのです。
でも、出来れば、明日の自分は、今日よりマシでありたいと願う。
そしてずっとそうありたいと願うのです。
まあ昨日と今日がトントンな時もあります。人間だもの。
でも、二歩下がったら、三歩進みたいというのが、人情じゃねえでしょうか。
頑張らないでダラダラ生きるより、頑張ってしゃきしゃき、それは疲れるにしても自然体ですわりすわりとやっていきたい。
気分良く、心地良くやっていきたいのです。
ずっとね。
私には相方がおります。
だからあヤツと、ずっと、つかず離れずと、おざなりにもならず、切磋琢磨し合いながら、まあ疲れない程度にですが、やっていきたいですなあ。
相方とおると、自分が見えてくる。
自分の虚像でなく真の像が、なんとなく見えてくるんですな。
そうして、方向修正をします。
自分の生きる道の、向かう方を少しずつ、ずらしたり、戻したりして、遊んでます。
いやいや遊んではいないか。一所懸命に生きております。
奴なしの人生は考えられません。
奴もそう思っとるといいなあと。
こんな究極に公の場でのたもうてるわけなんです。
そういえば、言葉について、今日思ったことがあったな。
言葉は、万能じゃありません。
言葉で、すべてを伝えられると思ったら、大間違いです。
行間という言葉がありますな。
時々、この人は言ってることはすべて正しい、間違ったこと言っていないのに、どっか違う、って人がいる。
これは、多くの場合、行間を含めて喋っていないのです。
言い直すと、行間に意味を込めて、魂を込めて?、喋っていない。
良い論文は、言葉の間に含んだ魂が、正しい、ということが多い。
私、論文の評価はしたことないのであやっしい見解ではありますが、言葉だけが正しい論文は、あまり魅力を感じません。
ですから、今例に挙げたのは論文ですが、小説だろうが、詩だろうが、クリエイティブなものは、形そのものでなく、その影に魅力を映す。とでも言いましょうか。
よく、余韻という言葉がありますよね。
あれは、正に言葉等々形のあるものの残した、「影」の味わいなんですよね。
ただ今、論文を例に挙げたのは間違いだったかもしれないな。
学問と、クリエイトは分野が違うのかもしれない。
でも私は、人の形作るものとして、同等に扱いたい、という野望を持っているんですね。
実は、政治も、マスコミも、経済社会も商売も、同じ視点から、見渡したい。
人の作りしもの、をすべて一つの視点から論じたいと思ってるんです。
エンタテイメント、ってのはそのキッカケになる視点かもしれない。
人の作りしもの、エンタテイメント、パフォーマンス、、、面白いのでは?
まあ、頑張りますわ。

Google Chrome

2011年01月15日 01時41分37秒 | コラム・批評・エッセイ
 えっらいサクサク動きます。
 Google Chromeを使い始めて、3日目。
 特筆すべきは、余計な、ゴテゴテした操作システムを排した、とてもシンプルで分かりやすい、快適な操作性。
 必要な操作を、色んなところに散りばめないで、無駄なく整理して配置してあります。
 例えば、URLの表示されるボックスが、内容をデリートすると、そのままGoogle検索のテキストボックスになります。これは分かり易い!
 そして、新しいタブを開いても、完全に開くまで1秒かからない動作環境も、今までのブラウザからの大きな改良点であります。
 あとはメニュー・ツールバーといったものが最小限しかないので、Webページの表示範囲が、ほぼ画面全体になるのも嬉しい改良点でありやす。
 と、いうワケで、満を持して発表された、『Googleのブラウザ・Google Chrome』今のところお薦めです。

重松 清

2010年04月06日 09時09分54秒 | コラム・批評・エッセイ
 今、図書館で借りてきた本を読んでいます。
 金曜日に返さなければいけないのですが、残りの頁数からすると間に合いそうです。

 重松 清『霧の中のエリカ』

 という小説です。

 はっきり言って官能小説なんですが、なかなか勉強になるし、面白い本です。

「男と女の哀しい性を描く」

 と本の裏表紙に書いてありました。

 そもそも重松清と出会ったのは映画のDVDでありました。
 大林宣彦監督の『その日の前に』という映画。
 その映画の原作を書かれていたのが重松清さんでした。
 『その日の前に』は印象が強烈で、はっきり言って感動しました。
 ストーリーの中でひとつ素晴らしい台詞があって(永作博美が言うのですが)それが今でも忘れられません。

 その影響で、図書館で文庫本を物色していた時に「重松清」の名前が目に留まったのです。

      *

 いや、本当は『ONE EYES(21)』を書こうと思ったんですけどね……家を出なきゃいけない時間まで30分ちょっとしかなかったので執筆は無理と判断し、それでも記事を更新はしたいのでこんな内容になってしまいました……

 今日も僕のつたない記事を読んでいただきありがとうございました。

 それでは、会社に行ってきます。

 ではでは~

映画『色即ぜねれいしょん』を観ました!

2009年08月25日 20時12分58秒 | コラム・批評・エッセイ
 『色即ぜねれーしょん』でなく、『色即ぜねれいしょん』でした。失礼。

 全体を見て、意外と普通の映画でしたね。
 普通といいつつも、フィルムの中全体に流れる空気はあまり普通ではなかった。独特のものでした。

 内容はほんと自らの色欲に従順な男子高校生達のセックスを求める毎日の記録なのです。
 起こることもまあそんなに特別な事は起こらんし、安心して観れる内容でありました。
 どうだったか、と言われるとまあ面白かったです。
 観ていて退屈な瞬間はありませんでした。

 一つ、忘れられない台詞がありました。
「お前無茶苦茶カッコ悪かった」
「でもすげー面白かった」
「それがロックだ!」
 みたいな内容で。
 あぁ、そういうのつくらにゃならんのかもなあ。と思いました。
 カッコ付けててもイカンですね。
 バカみたいに全力でやるのも面白いかなあ。
 やっぱタマシイの震えを描き付けるか、みたいな。
 頭で考えてちゃいかんのかなあ。
 あ、わかった、作る前に考えなきゃいけない事は納得いくまで考え抜いて、作る時は夢中でやればいいんだ。違うか?
 役者でも作家でも(音楽家でも)、基本はおんなじなんじゃないかと思うんです。
 だから、いいや、カキツケよう。

 ちなみに『色即……』を観たのは昨日で、今日は家で昔の実写版『時をかける少女』を観ました。
 なんか書こうと思ったんですが、なんと、ラストまでの一時間半は問題なく観れて、最後の10分、DVDが古くて擦り切れて、観れませんでした。
 マジカよっ、って感じ。
 ほんとラストシーンだけ見れないでやんの。
 ストーリーはアニメと似てました。原作も機会があったら読んでみようかな。
 ていうかDVDもう一度借り直すか。ディスカスだし。

 でもって明日は照明の本番があります。
 今度はベリーダンスの公演の照明です。
 ほとんどぶっつけ本番。
 大丈夫かしら。
 頑張ります。
 ではでは。

DVD『魔法遣いに大切なこと』を観ましたあっ!

2009年08月21日 22時25分18秒 | コラム・批評・エッセイ
 これまた面白かったです。
 最近ようやく実写の映画を、途中で寝ないで観れるようになった自分が嬉しい。
 そうです、僕なんかそんなレベルです。

 元々このタイトルは昔から知っていました。
 マンガとか小説とか、OVAとかで大分前から人気のあったお話(シリーズ?)なんですね。
 最初に『魔法遣いに大切なこと』に出会ったのが数年前。渋谷TSUTAYAのビデオレンタルコーナー(アニメ)でウロウロしていたところでこのビデオのジャケットと出会い、その線の細い優しげな絵に一目惚れしてしまった訳でした。

 お話としてはOVAも映画も一貫していて、田舎(北海道?)で育った、魔法遣いの血を受け継ぐ女の子が、魔法を世の中の為に公的に使う、いわゆる公務員になるための勉強をしに上京するところから始まります。
 そこで、公の魔法遣いである指導員達の教育を受けたりしながら、魔法を使うことの本来の意味を少しずつ学んでいく、というストーリーです。

 今回観た劇場版は、OVAではあまりなかった恋愛の要素が含まれていたり、アッと驚く新しい設定が物語に大きく絡んできたりして、それが作品をありがちなものにしてはいるんですが、まあ面白いです。結構泣けます。

 今回で思い知ったのは、「あー僕は日本映画が好きなのだなあ」という事でした。
 やっぱり僕って、分かりやすいハリウッド映画みたいなのって、嫌いじゃないんですけど、もっと微妙なものを描いた映画の方が好きらしいです。
 そして僕は、やっぱり日本人なんです。そして現代人なんです。
 日本の、今の映画が好きなんだなあ。
 世界の中の日本の、現在の空気がそこに流れている映画を観たいと思います。
 ということらしいです(ビミョウな苦笑)。

 そういうワケなんで、来週は『色即ぜねれーしょん』をきっと観に行きます。
 あと宣伝を見たDVDも借りて観てみます。最近の日本映画です。大林監督っス。
 今さらですがいろいろ吸収したいと思っています。
 やっぱり観たいと自分が思うものを観るのが、いいのかな、と最近悟りました。それでいきます。

 音楽は今アンジェラ・アキを一通り聴いて、次に矢沢さんを借りるところです。もちろん永吉さんっす。
 一貫性無し。訳分かりません。
 でも気になったものをチェックしていくって、当たり前の事だけど、自分は今までしてこなかったのかもしれないって、思い当たりました。

 遅過ぎるのかもしれないけれど、これから全力で走り抜けます。
 適当にダラダラはするんですが。気分的には全力で。

 そうそう、『魔法遣いに大切なこと』、実は去年OVAも再発売されていて、それも借りて観ているところです。
 今んところ恋愛の要素は無いっぽいんだけれど、劇場実写版を観て、これからどうなるのか楽しみになってきました。
 主人公・鈴木ソラの行く末はっ???
 楽しみです。


 急にまめに更新されるので驚かれた方もいるかもしれません。
 これから少しヒマになるので、ちょくちょく更新します。たぶん。約束はできませんが(笑)。
 というわけで。
 ではでは。