もともと今まで計2回お電話をいただいていて(たぶん同じ人から)、1度目は「パンフレットお送りします。読んでください」という電話、2度目は「もう届いたと思うんですが、ご覧いただけましたか?」という電話であった。
2度目の時はパンフレットが届いたその日に電話がかかってきたのでパンフレットが届いていたことは知っていたがまだ読んでいず、先方は「そうですか、ではまた改めて」と言い残して電話は数分で終わった。
保険といってもいろんな保険があるが、今回のは「医療保険」という分類らしい。
けれどもこの保険は「医療補償」と「損害補償」により「入院」「手術」「健康ボーナス(これはどーでもいい)」、「賠償責任」「弁護士費用」「犯罪被害」をワイドにサポートする、とパンフレットには書いてある。
なぜ僕がこんな保険を勧められることとなったかというと、僕が勧誘の電話に出て、「自分は今通院している。病気を持っている」ということを担当の方に話したからだ。
そこで、その保険屋さんは医師の審査が不要、というこの保険を勧めてきたのである。
今日電話をいただいた時には、僕もパンフレットを軽く読んでいた。
その際、いくつか引っかかる点があった。今度電話があったらその点については質問して、クリアにしておこう、と思っていた。
正直、現時点での「保険」についての知識は、僕はほとんど無い。
なんで必要なのかもわかっていない。
お金が急に必要になるんだったら、それに備えて貯めておけばいいじゃん、くらいに思っていた。
でも保健がなぜ必要か、ということについては、今、これを書きながら理解した。
つまりこういうことであろう。
人生生きていたら、いつ高額のお金が必要になるかは判らない。
それには、備えなければならない。
じゃあ、自力で貯めればいいじゃん、という考えもある。
それについての答えはこうだ。
『貯められなかったらどうするの?』
その理由はたくさんある。
人間は弱い。意志薄弱である。
貯めようと思っても、小さな散財を沢山して、いつの間にか全部使っていた、なんてこともある。
また、ある程度貯めても、「これだけ貯めたんだからちょっと使っちゃおう」なんて誘惑に駆られて貯金を半分くらい一気に使ってしまうことがあるかもしれない。では、ちょうどその使った時点で多額のお金が必要になったらどうするか。
またこういう場合もあろう。
貯金が貯まる前、若い時分に大きな出費が必要になった場合。
これはいかんともしがたい。
こう考えたらどうか。
『保険は借金の返済の前払いである』
お金が必要になった。でも借金はしたくない。
じゃあどうするか。
事前に保険に入っておけばいい。
こういう理屈ではないか。
保険に入っておくことは、社会人として立派(「スマート」とも言える)に生きるための1つの方法(知恵)である、と言えるのではないか。
以上で「なぜ保険に入らねばならない?」という問いに対する自分なりの答えを終える。
まだこの記事を書こうと思ったきっかけにはたどり着いていない。
もう少し書く。
保険は買い物である。
僕は買い物は、信頼の置けそうな人物・そういった証明のある事物、からしかしない。
高い買い物なら尚更である。
保険は決して安い買い物ではない。
だから僕は今回、疑問があったら徹底的に担当の方に質問しようと思っている。
そういうつもりで、電話に臨んだ。
パンフレットを読んだ後、僕の中には前述の通り、いくつかの疑問が挙がっていた。
その内容をここに記す必要は、とりあえずないと考える。のでとりあえずは書かない。が、必要に応じて書き記すこともあろう。
僕は、計2点の質問を担当の方にした。
ところが、その答えは、いずれもパンフレットの内容以上のものは返ってこなかった。
「もう一度ここに書いてあることを読んでください」
2人で、その内容の確認をしただけだった。
正直な話、僕がパンフレットを読んだのは数日前で、その内容を僕はだいぶ忘れていた。
だから、うまくいかなかった。
とりあえず、僕がこの後もう一度パンフレットに目を通し、また両親にも保険のことを相談しておく、という約束をして電話を切った。
そこで父が帰ってきた。
「今日保険屋さんから電話があって…」
という話をさっそく僕は切り出した。
「でもこうこうこういう疑問があって、それを質問してもなんかはぐらかされてるみたいで、いまいち信用できなかったんだよねー」
と言った。
ここで告白すると、僕は保険の勧誘というのに良いイメージを抱いていない。
だから、電話をしながら、話しながら、僕は保険屋の粗探しをしていたのかもしれないということに、この後あと出てくる父の言葉を聞いて気が付いた。
「何の保険?」
父が訊ねるので、
「いちおう名目は医療保険なんだけど、幅広い補償がついてくるみたい」
冒頭で述べたとおりである。
「生命保険なの?」
「死亡保障もあるみたいだよ。ほらここ」
『損害補償』の欄に『被害事故』―『死亡されたとき』―『ウン百万円』とパンフレットには書いてある。
「で、誰が貰えるの?」
同封の「重要事項説明書」には、
『本人の配偶者、本人または配偶者と生計を共にする同居の親族、本人または配偶者と生計を共にする別居の未婚の子』
とある。
「要は家族が貰えるんじゃん?」
「ふーん」
「でもこの『生計を共にする』って引っかかるなあ」
「なんで」
「だって僕いちおう今収入あるじゃん」
「でもオレの給料で食ってるんだろうが」
「そうだけど、こういう言葉ってこわくない、あとで?」
「……」
「他にも……」
僕は父に、保険屋に質問してもいまいち反応が悪かったことを話した。
「だってヤじゃん、ちゃんとしないと。やっぱ信用できないかなあー」
ここで父はいいことを言った。
あのな、そりゃ質問すればなんでも答えられるしっかりした方が担当ならいいけれど、そういう人ばっかというわけにはいかない。
質問する時は、きちんと質問状を作って、これについて答えてください、と渡す。
質問ってそういうもんだよ。
おぉお。
僕は質問について答えられないことを、そのままあちらに信頼が置けない、という答えと結び付けていた。
人間は万能じゃない。
知らないのは罪っていうけれど、本来は罪ではない気がする。
きちんとした社会人としての心掛けは、相手の良心を信頼することかもしれない。
決め付けちゃだめだ。
めんどくさがらないで、相手を信じて、大人の対応をしようと思った。
そしてもうひとつ。
信じれば相手の対応も変わってくる。
もうちょっと頑張ろう。
ちゃんちゃん。
おしまい