おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

保険屋さんへの対応

2009年01月29日 22時52分22秒 | 日々つれづれ
 さっき保険屋さんから「保険に入りませんか?」という電話があった。

 もともと今まで計2回お電話をいただいていて(たぶん同じ人から)、1度目は「パンフレットお送りします。読んでください」という電話、2度目は「もう届いたと思うんですが、ご覧いただけましたか?」という電話であった。
 2度目の時はパンフレットが届いたその日に電話がかかってきたのでパンフレットが届いていたことは知っていたがまだ読んでいず、先方は「そうですか、ではまた改めて」と言い残して電話は数分で終わった。

 保険といってもいろんな保険があるが、今回のは「医療保険」という分類らしい。
 けれどもこの保険は「医療補償」と「損害補償」により「入院」「手術」「健康ボーナス(これはどーでもいい)」、「賠償責任」「弁護士費用」「犯罪被害」をワイドにサポートする、とパンフレットには書いてある。

 なぜ僕がこんな保険を勧められることとなったかというと、僕が勧誘の電話に出て、「自分は今通院している。病気を持っている」ということを担当の方に話したからだ。
 そこで、その保険屋さんは医師の審査が不要、というこの保険を勧めてきたのである。

 今日電話をいただいた時には、僕もパンフレットを軽く読んでいた。
 その際、いくつか引っかかる点があった。今度電話があったらその点については質問して、クリアにしておこう、と思っていた。

 正直、現時点での「保険」についての知識は、僕はほとんど無い。
 なんで必要なのかもわかっていない。
 お金が急に必要になるんだったら、それに備えて貯めておけばいいじゃん、くらいに思っていた。

 でも保健がなぜ必要か、ということについては、今、これを書きながら理解した。
 つまりこういうことであろう。

 人生生きていたら、いつ高額のお金が必要になるかは判らない。
 それには、備えなければならない。

 じゃあ、自力で貯めればいいじゃん、という考えもある。
 それについての答えはこうだ。

『貯められなかったらどうするの?』

 その理由はたくさんある。
 人間は弱い。意志薄弱である。
 貯めようと思っても、小さな散財を沢山して、いつの間にか全部使っていた、なんてこともある。
 また、ある程度貯めても、「これだけ貯めたんだからちょっと使っちゃおう」なんて誘惑に駆られて貯金を半分くらい一気に使ってしまうことがあるかもしれない。では、ちょうどその使った時点で多額のお金が必要になったらどうするか。
 またこういう場合もあろう。
 貯金が貯まる前、若い時分に大きな出費が必要になった場合。
 これはいかんともしがたい。

 こう考えたらどうか。

『保険は借金の返済の前払いである』

 お金が必要になった。でも借金はしたくない。
 じゃあどうするか。
 事前に保険に入っておけばいい。
 こういう理屈ではないか。

 保険に入っておくことは、社会人として立派(「スマート」とも言える)に生きるための1つの方法(知恵)である、と言えるのではないか。

 以上で「なぜ保険に入らねばならない?」という問いに対する自分なりの答えを終える。


 まだこの記事を書こうと思ったきっかけにはたどり着いていない。
 もう少し書く。


 保険は買い物である。
 僕は買い物は、信頼の置けそうな人物・そういった証明のある事物、からしかしない。
 高い買い物なら尚更である。
 保険は決して安い買い物ではない。

 だから僕は今回、疑問があったら徹底的に担当の方に質問しようと思っている。

 そういうつもりで、電話に臨んだ。
 パンフレットを読んだ後、僕の中には前述の通り、いくつかの疑問が挙がっていた。
 その内容をここに記す必要は、とりあえずないと考える。のでとりあえずは書かない。が、必要に応じて書き記すこともあろう。

 僕は、計2点の質問を担当の方にした。
 ところが、その答えは、いずれもパンフレットの内容以上のものは返ってこなかった。
「もう一度ここに書いてあることを読んでください」
 2人で、その内容の確認をしただけだった。

 正直な話、僕がパンフレットを読んだのは数日前で、その内容を僕はだいぶ忘れていた。
 だから、うまくいかなかった。

 とりあえず、僕がこの後もう一度パンフレットに目を通し、また両親にも保険のことを相談しておく、という約束をして電話を切った。

 そこで父が帰ってきた。
「今日保険屋さんから電話があって…」
 という話をさっそく僕は切り出した。
「でもこうこうこういう疑問があって、それを質問してもなんかはぐらかされてるみたいで、いまいち信用できなかったんだよねー」
 と言った。

 ここで告白すると、僕は保険の勧誘というのに良いイメージを抱いていない。
 だから、電話をしながら、話しながら、僕は保険屋の粗探しをしていたのかもしれないということに、この後あと出てくる父の言葉を聞いて気が付いた。

「何の保険?」
 父が訊ねるので、
「いちおう名目は医療保険なんだけど、幅広い補償がついてくるみたい」
 冒頭で述べたとおりである。
「生命保険なの?」
「死亡保障もあるみたいだよ。ほらここ」
 『損害補償』の欄に『被害事故』―『死亡されたとき』―『ウン百万円』とパンフレットには書いてある。
「で、誰が貰えるの?」

 同封の「重要事項説明書」には、
『本人の配偶者、本人または配偶者と生計を共にする同居の親族、本人または配偶者と生計を共にする別居の未婚の子』
 とある。

「要は家族が貰えるんじゃん?」
「ふーん」
「でもこの『生計を共にする』って引っかかるなあ」
「なんで」
「だって僕いちおう今収入あるじゃん」
「でもオレの給料で食ってるんだろうが」
「そうだけど、こういう言葉ってこわくない、あとで?」
「……」
「他にも……」
 僕は父に、保険屋に質問してもいまいち反応が悪かったことを話した。
「だってヤじゃん、ちゃんとしないと。やっぱ信用できないかなあー」
 ここで父はいいことを言った。

 あのな、そりゃ質問すればなんでも答えられるしっかりした方が担当ならいいけれど、そういう人ばっかというわけにはいかない。
 質問する時は、きちんと質問状を作って、これについて答えてください、と渡す。
 質問ってそういうもんだよ。

 おぉお。
 僕は質問について答えられないことを、そのままあちらに信頼が置けない、という答えと結び付けていた。
 人間は万能じゃない。
 知らないのは罪っていうけれど、本来は罪ではない気がする。
 きちんとした社会人としての心掛けは、相手の良心を信頼することかもしれない。
 決め付けちゃだめだ。
 めんどくさがらないで、相手を信じて、大人の対応をしようと思った。
 そしてもうひとつ。
 信じれば相手の対応も変わってくる。
 もうちょっと頑張ろう。

 ちゃんちゃん。
 おしまい

ONE EYES(1)

2009年01月29日 12時01分25秒 | 小説『ONE EYES』

プロローグ



 3年振りの町並み。
 ブロック塀。屋根の瓦。黒いアスファルトの道。ねずみ色のマンホール。
 舗装の隙間から覗かせる黄色い花。
 かわいい。
 でもこの町は、古惚けている。

 このアパートの階段を上るのも3年振りだ。
 急な階段。
『あたしは50になったらこのアパート出てくよ! だってお婆さんになってもこんな階段上り下りするなんて、考えられない』
 愛奈さんがよく言っていた。
 みどりの口元に思わず笑みが覗く。
「ほんとにキツい……」
 階段を上りきると、右手2つ目のドアが絵画教室の入り口だ。
 借りてきた鍵をドアノブに挿し、カチャリと回す。
 ドアを開け、懐かしい光景に心を奪われる。
「本当にそのまんまなんだなー」
 玄関を入るとすぐ台所になっていて、教室で使われていた部屋は、またその奥だ。
 『教室』のドアを開いた。
「懐かしい……」
 部屋の右奥に黒板が置いてある。このアパート同様、大分使い込まれて、くたびれている。
 チョークも置いてある。
『カッ』
 手にとって何か書いてみる。
 けれどみどりには何も思いつかない。
「あ……」
 『あ』と書いた。
「い……」
 みどりは『い』と書いた。
 そこまで書いて、傍らの黒板消しで書いたものを全部消す。
 ついでに黒板全部をきれいに拭いた。
 部屋の中に乱雑に並べてあった椅子と机を丁寧に並べ直した。
 そのあと無言で『教室』の隣の部屋のふすまを開ける。
 部屋の中央あたりにいくつかキャンバス台があった。
 そして部屋の三方には生徒の作品を仕舞う棚があり、それぞれには沢山の作品がギュウギュウに詰め込まれている。
 みどりはキャンバス台の向きを揃えて置き直す。
 そして、正面の棚の一番下の段、真ん中やや右の位置にある、1枚の絵画を迷いなく取り出した。
 溢れ出しそうな思いを抑えて、みどりは絵を眺めた。
 それは真っ青な絵だった。
 本来は、とある生徒の自画像として描かれたもの。
 しかしそれは、青い炎の中にいくつか宝石のようなものが浮かんでいるように見える。
 熱い、厚い炎。その奥行きは何層にも渡って深く、色は濃い。
 しかしその宝石は澄んでいて一筋の光を放ち、そこから若さを感じることが出来る。
 みどりは堪えきれなくなって涙を落とした。呼吸が少しだけ荒くなる。
「バカだよ……」
 私にはあいつの考えてることなんか一生理解できない。そうみどりは思っている。
 ハンドバッグからハンカチを取り出して涙を拭った。
 眼が宙を見据えた。
 その時、
「みどりちゃん?」
 男の声が彼女を呼んで、みどりは後ろを振り返った。

宇宙

2009年01月28日 01時47分27秒 | 詩集・つれづれ
 素直に

 生きよう。

 枠を造ることも
 大切なのかもしれないけれど

 枠を並べる順番くらいは
 自分で決めよう

 寄り掛かるものを造ることは
 大切

 それを壊すことは格好が良いように思われがちだが
 大怪我をする

 自由はあんがいうまくいかない

 神様がいるから
 人は羽目を外せる

 法律があるから
 冗談も言える

 何も
 なんにも無かったら
 どうなる?

 きっとなにもできない
 孤独ですることがなくて気がおかしくなって泣きわめく

 僕の泣き声を

 受け止めてくれる存在もない

 白いキャンバスがあったら
 君はなにが欲しくなる?

 定規が欲しくならないか
 線を誰かに描いて欲しくならないか

 自分一人で何かを決めることは
 困難である。

 『自由』に対する『責任』に似た
 『恐ろしさ』がある

 それは克服すべき恐怖なのか
 一人で孤独に闘い克服すべきなのか
 それは必要のない強さではないのか
 本当の強さとは何処から来るのか

 やはり

 導かれることにこそ答があるのか
 自分の中に自分を導く答が眠っているのか
 ということは やはりそれは孤独な闘いなのか

 預言者さまの言葉が響く
 愛

 宇宙は愛である
 宇宙はあなたである
 あなたは愛である

 あなたは孤独ではない

 愛を感じる限り
 あなたは孤独ではない
 あなたは生かされている
 生かされている時点で ひとりではない

 今 あなたは現実にひとりかもしれない
 しかしあなたは今 ひとりではない
 あなたの中にはたくさんの魂がある
 研ぎ澄ませば それを感じ取ることだってできるはず
 あなたを構成しているのは あなたひとりではない。

 つまり、

 あなたは全てである。
 あなたは 宇宙である。

<以下、永遠に続く>


   *  *  *


 はっはっはっ、布団の中に入っても全く眠れなくて、
とうとうこんなん書き上げちゃいましたよ。
 なんだかなー
 収拾のつかない。
 もうちっと楽に行こう、俺。

ヲタクにモノ申す!(1)

2009年01月27日 01時39分24秒 | 気づき

 『モノ申す!』なんて言っちゃいましたが、僕もヲタクに足を突っ込んでいる男であります。

 アニメは小さな頃から大好きでした。
 小学校低学年の頃から『コロコロコミック』の愛読者で、特に藤子不二雄先生の漫画が大好きでした。

 僕の小学生時代は、藤子アニメ全盛期でしたね。
 午後6時50分から7時まで、毎日『ドラえもん』『パーマン』『ハットリくん』『オバケのQ太郎』がやっていて、月曜日の夜は『藤子不二雄ランド』『プロゴルファー猿』『エスパー魔美』『21エモン』なんかが放送される。
 さらに火曜の夜は『忍者ハットリくん』、金曜の夜は『ドラえもん』、日曜の朝は『パーマン』がやっていた。
 同じ作者の作品がこんなに毎日放送されるってのは今では考えられないことです。

 そして僕は、それに毎日心ときめかせていた。
 それくらい面白かったんですよ。クオリティ高かったのです。

 それはそれとして、ジャンプ系のアニメも観てました。
 やっぱり『キン肉マン』は日曜の朝、欠かさず観ていた。
 あと忘れてたけど忘れちゃならないのが、『ウィングマン』。これ好きだったんですよ~。少しエッチで。でもどことなく切ないの。
 『ウィングマン』を読む為に週間少年ジャンプを買い始めましたから。
 それから『キャプテン翼』も忘れたくないですね。

 うちは週間少年マガジンを父親が買ってくるという習慣がありまして、僕も読んでました。
 だから小学生の頃の構図は、【父:マガジン 僕:ジャンプ】でした。

 マガジンでは、他にも好きな漫画はたくさんあったんですが、いちばん憶えているのは『ミスター味っ子』
 あの味皇さまの巨大化!ド派手で過剰な演出!
 どれをとっても子供心を捉え続ける見事なアイデアと気合の勝利でした。

 それからずっとテレビでアニメは観ていたのですが、マガジンで連載されていたことを最後の方になるまで知らなかった漫画がありました。
 それは『コンポラキッド』。いまだに主題歌も歌えます。

 それから、中学生になるにつれて、僕はテレビでアニメを見ることが出来なくなっていきます。
 母方の祖母がうちで一緒に生活することになったのです。
 祖母は大の野球好きで、ジャイアンツファン。
 だからナイター中継のある時間は、テレビはそれに独占されるのです。

 なので僕はドラゴンボールをアニメで観たことが、最近までありませんでした。
 そういえば『北斗の拳』は、母が観るなって言って見せてもらえなかったなあ。

 あれ? 本当はヲタクとは如何に、ということを語るはずだったのですが、ただ思い出を語るだけになってしまった(汗。

 次回はもうちょっと突っ込んだ話をしたいと思います。
 それでは、あでゅー


『生きろ』

2009年01月23日 00時41分31秒 | 詩集・つれづれ

 心から愛していても
 別れなければならない時はいつか必ずやってくる
 いつかの未来 それは永遠に先の話ではない
 いつかそれは現実となり
 それは私の前にあらわれる

 嫌だからって
 面倒だからって
 そのひとを諦めることは
 どうなのか

 別れが先になるのか早くやって来るのか
 それだけの違いなのか

 間にあるものを満たすことこそ
 本来目的にすべきことではないのか

 死を感じると
 生きる意味を問われる

 それが分からない

 死ぬ時になってやっと分かる種類のことなのかもしれない

 死んでみないと生きる事の価値は分からない?

 そうなのだろうか。

 思い出をたくさん作ること
 子供に未来を託すこと 育てること
 今を楽しむこと

 全てが答えだし
 全ては繋がっている

 完璧な『答え』はわからないけれど
 意外と答えは この体が知っているのかもしれない
 体の命ずるままに
 この体を造った 大きな存在の御心のままに
 焦らずに
 長い目で 生きよう


写真お蔵だし

2009年01月12日 02時35分06秒 | 日々つれづれ

 年末年始にかけてと今日まで、いくつか撮った写真があるので発表いたしましょう。

 まずは料理。
 豚肉と竹の子の煮たやつです。

 味はまあまあ
 でもなぜかまた薄味
 いっぺん冷ませたんだけどなあ。
 そもそもの根本的な味付けが薄かったのかもしれません。

 次は、その時一緒に作った味噌汁。
 卵を溶いて入れて、今度は半熟でうまくいった。

 なんかこう見ちゃうとあんまり美味くなさそうだが、悪くなかった。

 

 変わって、2009年1月1日に行った初詣の時の写真。

 入り口の、鳥居の外から境内を写したもの。
 暗くてよく分からんね

 少し進んだら明かりが入った。

 境内の手を洗ったり口をゆすいだりして清めるところ。
 奥の緑色の光が不思議。

 お賽銭投げ入れる直前。
 ここまで30分くらい並んだかな。
 近所の神社ですから。

 

 そして続くは昨日、太極拳の帰りに撮った写真。

 昨日は満月だったのかな。
 この写真を撮った時には満月かどうかなんて知らなかったんだけど、あまりに幻想的な空だったので、気付いたらカメラを取り出していた。

 でもズームはぶれる
 何回撮ってもうまくいかなくて、最後には結局月が雲に隠れてしまって、まあ撮った中ではましに撮れたのが、以下の2枚。

 

 以上でーす。

 でわ。

 またまたー


ここいらあたりで近況報告を。

2009年01月11日 01時09分32秒 | ニュース・報告

 一時期から考えると、ずいぶん長いこと更新していなかったので、ちょっと今日は近況報告をしようと思います。

 

 今一番心配なのは、母の事です。
 連休明けの13日に入院することになりました。
 今回は検査入院
 それと寒い時期はレイノー現象がひどくなるので、入院して対処療法を行う、という目的もあります。

 これから暗い話題になります。
 今、疲れたりされていて暗い話は聞きたくない、という方はこの先は読まないでください

 母の病状は日に日に悪くなっています。
 前回入院していた頃(去年の1、2月頃)の方が、元気があったくらいです。

 とにかく、手や足の指のあちらこちらに潰瘍があって、それがとても痛いようです。
 手先が痛いわけですから、あらゆることが満足に出来ません

 それが辛そうなのと、それと、去年腰骨を骨折した影響で、背中の脇が痛いのだそうです。

 それから背骨の圧迫骨折した部分(骨折自体はもうくっついているそうです)が背中から出っ張っていて、寝ていたり、座っていたり、長い間同じ姿勢でいるとその凸の部分が炎症を起こして痛くなります。

 また、強皮症の症状が消化器官にも現れ始めています。

 食道の蠕動(せんどう)運動が鈍くなっていて、最近は水ですら、飲み込めないで食道の途中で詰まってしまいます。

 胃や腸も同様で、消化運動をしてくれないので食べ物が腸に溜まります。
 そのために一度に少ししか食事ができず、栄養不良を起こしています。
 今母の体重は30キロ台まで落ちています。

 またそれが原因で、酷い便秘と下痢を繰り返しています。
 それだけでも母の体力を大きく削り取ります。

 

 どうにかならないものか。考えても膠原病は現在の医学では治せない病気です。

 それはどうにもなりません。

 母はよく
「あんたが勉強して特効薬作ってよ」
 なんてことを言っていましたが、それは冗談。
 いくら願っても、33歳の僕が今から医者にはなれません。

 それから母は、精神的にもだいぶ参っているみたいです。
 自分のことですら満足に出来ない。
 そんな現状に苛立っています。

 本来誰にも頼りたくない、自分のことは自分でしたい、家事も完璧に自分でやりたい、という性格の母です。

 そんな母が、今苛立って精神を壊すのも理解できることです。

 だから僕は、なるべく母の気持ちが落ち着くように家事を速やかにこなす必要があります。

 この間、こんなことがありました。

 僕は夕方、ネットに夢中になっていました。
 5時近くまで。

 すると、二階の母の部屋から、『ドン!ドン!』と何かがぶつかる音がするのです。

「なに!?大丈夫!?」
 と母の部屋に駆け込むと、母は潰瘍のある手でベッドの表面を何度も力いっぱい打ちつけていました。
「どうしたの!?」
 僕が言うと、母は、
「どうしたじゃないわよ! 洗濯物取り込まなきゃ…」
 なぜ携帯や内線を使わずに母がそんな行動をしたのかは分かりません。
 けれども分かるのは、母は気になり始めたらすぐ解決しないと気が済まない性格だということ。
 そして、それが自分の手で出来ないことが、母の心を大きく傷つけているということ。

「ただ呼んだんじゃ聞こえないと思ったから…」
 母はそうも言っていました。
 けれどもこの事で、僕は母の気持ちの苛立ちを強く感じ取ったのです。

 僕は家事の段取りくらいは身体で覚えないといけませんね。

 僕は今まで、なるべく頑張らないようにしてきました。

 それは自分の病気の事がある(無理したら再発)からです。

 だからなるべく自分の身体の命じるままにストレスのないように、生活してきました。

 けれどもそろそろ、頑張らなきゃいけないのかなーと思い始めています。

 僕も統合失調症という病気を抱えています。

 だから現在の僕の置かれている状況は、すごく難しいものです。

 母方の叔母とは、母の面倒をみる(病院の手続きからなにから)約束をしました。

 しかし、それに伴うストレスに僕が耐えられるのか?という不安があります。

 

 それからもうひとつ、大きな問題があります。

 母が、幸せに見えないのです。

 父と僕でつきっきりで気にして、面倒をみても、いつも表情は虚ろなんです。
 特に最近それを感じます。

 どうしたら母は余生を幸せな気持ちで過ごすことができるのだろう。

 それは母が見つけることだと思います。

 …………………

 でも最近で、母がいい表情をした瞬間。

  • 僕が料理をしたとき。
  • あまりやっていなかった台所の拭き掃除をしたとき。

 『ありがとう』を言うときが、母は一番いい表情をしてくれる気がする。

 それとなんとなく思うのは、僕が変に気持ちを母一辺倒にせずに、いろんなことに頑張っていた方が母にとっては刺激になって良いのかな、なんてことなんです。

 だから早く恋人でも欲しいなあ、なんて思うんですよ。

 そういう子を紹介したら、母はきっと喜んでくれるんじゃないかなあ。

 でもきっかけがないんですよね……

 これも僕個人の問題なわけで。

 母も、自身の問題は結局自分の気力でなんとかしなければならないわけで。

 人間って孤独ですね。

 

   *  *  *

 

 文章塾の投稿作品、とりあえず完成しました。
 もう推敲も出来る限りしてしまった気がするので、提出してもいいのですが、まだ締切りまでは間があるので、もう少しもったいぶろうと思っています。


初夢ではありません。

2009年01月04日 01時21分13秒 | 夢日記

 下心がまったく無かったワケじゃない。
 僕は彼女を招き寄せ、手をとってテニスの素振りを教えようとした。

 だって全くなっていなかったから。

 最終手段だったんだ。うん。

 彼女に触れようとした丁度その瞬間、いきなりヒゲ面の男が現れて、僕の事を睨みつけた。
 僕はビクッとして、
「妹さん? 彼女さん?」
 訊いた。そしたら、
「彼女」
 そう言ってヒゲの男は僕に近付いてきた。

 殴られる!

 僕はそう思った。そしたら、

 男は僕の頭の上に軽く手の平をのせた
 僕は頭をちょこっと下げて、その場を逃げ出した。

 僕は今の出来事をどう感じていたのか、半泣きだった。


あけおめ!

2009年01月01日 00時14分53秒 | 日々つれづれ

 あけましておめでとうございます2009です。

 昨年中皆さまには大変お世話になりました。
 今年も変わらずよろしくお願いいたします。

 年末年始に、一年分の音楽番組を観倒しますね(笑)。
 紅白も観たんですが、大塚愛太った?
 なんの前置きもなくすみません(笑
 でもそのうちダイエットされますよね。
 大塚愛はかわいいので好きです。
 『愛』を代表とする最近の彼女の作る曲の路線も、なかなか悪くないと思っていますよ。
 ポップさよりも、声質・音の質に重点を置いているような。

 これから初詣に参ります。

 母を家に置いていくのが心残りではあるのですが、家族の、皆の幸せを祈ってきます。

 今年の抱負を申し上げましょう!

 そうだなー

 えっと

 太極拳のおっしょさんの受け売りになるんですが、「人としての、言葉にならない部分を大きく成長させること」かな。

 舞台照明にせよ、文章修行にせよ、写真道にせよ、料理道にせよ、太極拳にせよ、コミュニケーション全部にせよ。

 全てがそう。

 言葉にならない部分が成長したい。

 これっ

 これですね。^^

 そのためにはいろんなものが必要。

 パワー、モノ、仲間、家族、空気、食べ物、歌、身体、心、語彙、今思い付かない諸々、そしてそれらの間にある全てのものたち。

 全てが手に入るとはもちろん思わないけれども、自分の手に負える程度の、多くのものを手にしたい。

 そしてめいっぱいぎゃんばりたい。

 今年僕が関わるすべての人々、自然、モノたちへ。

 ことしもよろしく!

 

 そして、

 皆様、重ね重ねになりますが、今年も宜しくお願い致します。

 前の記事に頂いたコメントの返事は、初詣から帰ってから書きますね。

 ではでは!