メキシコ日記の連載も一通り終わり、メキシコの思い出最後を締めようということで、メキシコ国際路上演劇祭・「テアトロ・アビエル参加報告書」の中で書いた僕の文章を2回に渡り載せます。
『僕の、メキシコでの再生』
およそ5年前の1月10日の夜、僕は、線路の上で、身体中の痛みに耐えていた。
「突発性混乱状態」という名前の病気で、僕は、訳の分からないまま、フェンスを乗り越え、斜面を転げ落ち、京浜東北線の線路までフラフラと歩き、電車のライトと警笛を浴びて、その後の記憶が全くなくなっていた。
それから、3ヶ月入院して、退院してから今まで、リハビリ生活を過ごしてきた。
病気が発症してから4年が経った頃、ある大学の後輩から、自分が委員長として関わっている「路上演劇祭実行委員会」というものに参加してみないかと誘われた。
僕は、まだ病気が治りきっていないこともあり、少し迷ったが(その後輩には、そんな迷いなどほとんど感じさせなかったと思うが)、外の刺激を受けるのは回復するのに大事な事だし、何より、後輩が元気に活躍しているのを見れば、いい励みになり、彼から元気を貰える……そう思い、話を承諾することにした。
そうして、5月に行われた路上演劇祭JAPAN2005も終わり、再び、例の後輩から、11月、メキシコである国際路上演劇祭に、一緒に行ってみないかという誘いを受けた。5月の路上演劇祭で少しだけ役者をやり、調子に乗っていた僕は、即その誘いを快諾した。
しかしまだ、僕の病気は完全に治っていたわけではなかった。だいぶ症状は良くなったが、薬のせいもあるのか、身体が何となくだるく、とにかく眠かった。
でも今では、本当に、だいぶ良くなったと思う。
とにかく、この、メキシコ路上演劇祭を、立派に演りきることができたんだから。
僕は、この、メキシコ国際路上演劇祭で、フォーラム・シアターと、Cerro Huachipa(セロ・ウワチパ)という、二つのグループの芝居に出演した。
フォーラム・シアターでは、嫁を家に縛り付けようとする姑、「おばあちゃん」の役を、Cerro Huachipaでは、二人の“漂流者達”が流れ着いた島に一本だけ生えている「木」の役を演じた。
では最初に、フォーラム・シアターについて、書こう。
ある問題を題材に演劇を創り、それを上演し、場を共有することで、その場にいる全ての人が参加して、その問題の解決法を模索しようとする演劇の手法を、フォーラムシアターという。
今回は、そのフォーラムシアターを、無謀にも言葉の通じないメキシコの地において行ってしまった。
テーマは、「家庭内における、女性の自立」。主婦は家事のみに縛られるものなのか? 主婦が自立して家の外で仕事を持つこと……それは責められるべき事なのか?
今回は、観客の大半がメキシコ人ということで、役者は、台詞の大部分を――本番も台本を見ながらではあるが――スペイン語で喋った。発音やアクセントを学び、芝居を成立させるためにはそれなりの苦労があった。
本番は、マラソン(フェスティバルの始めに、全参加グループが順番に登場して出し物をやるもの)時の本会場ステージ下(ステージ上では客との距離が遠いので)と、地域の文化センター内広場――小さなステージがあり、その上で行った――での2回行った。(写真は2回目の時のもの)
1回目の時は、とにかくお客の反応が良かった。少しのネタで笑いが起こり、場が盛り上がる。終わってからの出演者たちの充実した笑顔が、とても印象に残っている。僕としても、大変満足感を覚えた。
2回目の公演時は、公演中の反応は、1回目とは比べものにならない程無かった。少し残念だった。しかし、この回が「フォーラム」シアターの本当の本番である。ひと通り芝居を行った後、通訳を通しつつ、観客からの活発な意見が交わされた。また、観客が演技者になってアドリブで芝居を行うという、このシアター独特の光景も、何人かの参加者により、見ることができた。
観客が役者と入れ替わった場面では、姑になって、家事に追われる主人公の妻に協力したり、妻になって、会社の仕事しか目に入らない夫に、家事を分担するよう説得したり、やはり妻になって、母親に非協力的な娘に、家事を手伝うよう諭したりと、いくつかの解決法を提示してくれた。
これにより、製作者・役者としては、大きな手応えを掴むことができた。
『僕の、メキシコでの再生』
およそ5年前の1月10日の夜、僕は、線路の上で、身体中の痛みに耐えていた。
「突発性混乱状態」という名前の病気で、僕は、訳の分からないまま、フェンスを乗り越え、斜面を転げ落ち、京浜東北線の線路までフラフラと歩き、電車のライトと警笛を浴びて、その後の記憶が全くなくなっていた。
それから、3ヶ月入院して、退院してから今まで、リハビリ生活を過ごしてきた。
病気が発症してから4年が経った頃、ある大学の後輩から、自分が委員長として関わっている「路上演劇祭実行委員会」というものに参加してみないかと誘われた。
僕は、まだ病気が治りきっていないこともあり、少し迷ったが(その後輩には、そんな迷いなどほとんど感じさせなかったと思うが)、外の刺激を受けるのは回復するのに大事な事だし、何より、後輩が元気に活躍しているのを見れば、いい励みになり、彼から元気を貰える……そう思い、話を承諾することにした。
そうして、5月に行われた路上演劇祭JAPAN2005も終わり、再び、例の後輩から、11月、メキシコである国際路上演劇祭に、一緒に行ってみないかという誘いを受けた。5月の路上演劇祭で少しだけ役者をやり、調子に乗っていた僕は、即その誘いを快諾した。
しかしまだ、僕の病気は完全に治っていたわけではなかった。だいぶ症状は良くなったが、薬のせいもあるのか、身体が何となくだるく、とにかく眠かった。
でも今では、本当に、だいぶ良くなったと思う。
とにかく、この、メキシコ路上演劇祭を、立派に演りきることができたんだから。
僕は、この、メキシコ国際路上演劇祭で、フォーラム・シアターと、Cerro Huachipa(セロ・ウワチパ)という、二つのグループの芝居に出演した。
フォーラム・シアターでは、嫁を家に縛り付けようとする姑、「おばあちゃん」の役を、Cerro Huachipaでは、二人の“漂流者達”が流れ着いた島に一本だけ生えている「木」の役を演じた。
では最初に、フォーラム・シアターについて、書こう。
ある問題を題材に演劇を創り、それを上演し、場を共有することで、その場にいる全ての人が参加して、その問題の解決法を模索しようとする演劇の手法を、フォーラムシアターという。
今回は、そのフォーラムシアターを、無謀にも言葉の通じないメキシコの地において行ってしまった。
テーマは、「家庭内における、女性の自立」。主婦は家事のみに縛られるものなのか? 主婦が自立して家の外で仕事を持つこと……それは責められるべき事なのか?
今回は、観客の大半がメキシコ人ということで、役者は、台詞の大部分を――本番も台本を見ながらではあるが――スペイン語で喋った。発音やアクセントを学び、芝居を成立させるためにはそれなりの苦労があった。
本番は、マラソン(フェスティバルの始めに、全参加グループが順番に登場して出し物をやるもの)時の本会場ステージ下(ステージ上では客との距離が遠いので)と、地域の文化センター内広場――小さなステージがあり、その上で行った――での2回行った。(写真は2回目の時のもの)
1回目の時は、とにかくお客の反応が良かった。少しのネタで笑いが起こり、場が盛り上がる。終わってからの出演者たちの充実した笑顔が、とても印象に残っている。僕としても、大変満足感を覚えた。
2回目の公演時は、公演中の反応は、1回目とは比べものにならない程無かった。少し残念だった。しかし、この回が「フォーラム」シアターの本当の本番である。ひと通り芝居を行った後、通訳を通しつつ、観客からの活発な意見が交わされた。また、観客が演技者になってアドリブで芝居を行うという、このシアター独特の光景も、何人かの参加者により、見ることができた。
観客が役者と入れ替わった場面では、姑になって、家事に追われる主人公の妻に協力したり、妻になって、会社の仕事しか目に入らない夫に、家事を分担するよう説得したり、やはり妻になって、母親に非協力的な娘に、家事を手伝うよう諭したりと、いくつかの解決法を提示してくれた。
これにより、製作者・役者としては、大きな手応えを掴むことができた。