おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

就職決まりました!

2007年04月30日 03時45分09秒 | 日々つれづれ
 5/1から会社勤めが始まります。

 GW真っ只中!

 GW終わってからにせーよ。。。
などとも思うのですが、
とりあえず、初のデスクワーク。
精一杯頑張らせていただきますっ!

 僕最近の記事で分かると思うのですが、
障害者の認知を受けているので、
障害者手帳を持っていて、
今回は、障害者枠で、仕事を探しました。
 これをオープンで探すといいます。
(障害者というのを隠して、一般の求人から就職するのを
「クローズで入る」などといいます)

 これがなかなか難航して、今回のお話を頂くまで、
就職活動を始めてから1年程はかかったと思います。

 まあ間に職業訓練校で勉強していたのが
4ヶ月入るのですが。
 それもまあ、あまりに就職活動の手応えがなかったから
選んだ選択肢でありまして。


 会社はリサーチの仕事をしている会社です。

 IT系といえば、IT系。

 僕は情報システム部・システム課という部署で仕事をすることになっています。

 初めて自分の為に用意されたデスクと、
PCの入っている段ボール箱を見たときには「頑張らねばー」と思ったよ。

 自分が入社して、仕事するためだけに、
お金や人が動いてるんだものねえ。
 ありがたいし、その恩に…縁に報いねばと思いますよ
、ほんと。

 自分がいることで、同僚の仕事が円滑に回り、
社内がいいムードになれるような仕事をするのが、
今の僕の目標です。


 頑張ります…。


 おやすみなさい。

僕の病気について。続き

2007年04月28日 04時06分20秒 | 日々つれづれ
 「精神分裂病」というくらいなんだから、
ちょっと前に流行った、多重人格みたいになったのか!?

 と、誰かに聞かれたとすると、
答えは、

「どちらかというと、はい」

です。

 よくテレビとかで20人以上の人格が1人の人間の
身体を交代で乗っ取った、とかいう
センセーショナルな事実を扱ってましたが、
この場合と違うのは、

「おそらくは、今の自分ともう1人、合計2人程度の人格しか現れなかったと思われる」

ともう1つ、

「テレビでは他の人格が乗っ取っている間もそれ以外の人格が
確かに存在していて、それを傍観していたそうだが、そういうことはなかった」

ということです。


 発病した日、それ以降の記憶は断片的にしか僕の中にはありません。

 だから、それから1週間くらい、意識(というか記憶?)が戻るまで、
僕は別の人格に身体を乗っ取られていた、ということになります。

 記憶のない期間、僕は意識を失っていたわけではなくて、
ちゃんと活動をしていました。
 それは家族や、病院の看護婦さん、先生方の発言から分かります。

 それから、なぜか別の人格になっている間でも、
印象的な記憶とか、いくつか残っている断片的な記憶はあるのです。
 その事も、記憶のない間も活動していた論拠になります。

 つい先日までインフルエンザの特効薬「タミフル」の
記事がメディアを賑わせていました。

 そこでは、タミフルを飲んだ患者が異常行動を起こし、
患者に異常行動を起こしていたときの事を聞くと、
「夢の中のようだった」と発言していました。

 これと似た感じだったのかな~、と
今から思うと考えられます。


 とにかく普通にしていてもボーっとして、
集中力のない状態だったので、何をしても
記憶に残らないんですね。
 もう1つの人格から身体を取り返し、正気に戻った後の話です。

 だから、一応普通に何かをしていて、
けれどもそれが集中力散漫のため
記憶に残らなかった。
 という考え方もできます。
もう一つの人格が現われたという訳ではなく。

 けれどもその、記憶に残っていない時期に
僕のとった行動というのがこれひどいんですよ。

 僕には発病前、高いお金を出して買った
今ではなかなか見付からない、お気に入りの腕時計がありました。

 それを、「こんなものいらな~いっ!」と叫んで
ほっぽり投げたそうなんです。

 そのとき僕の傍にいた父は、「それ持って、後で返して下さい」
みたいなことを拾ったであろう誰かに叫んだらしいのですが、
結局腕時計は戻らずじまい。です!悲しいよう~うるうる…

 他にも、病院のオープンスペースで、
「俺はもう大学辞める~」みたいなことを叫んだとか、
壁の模様が幻覚となって迫ってきて見えて、恐れおののいたとか
(これは先生と話した内容から、類推した僕の予想)、

まったく、ろくなことをしません。

 もちろん、そんな行動をとったなんて記憶は、
僕の頭にはこれっぽっちも残っておりはしません。

 そうするとやっぱり、あの頃の状態は
「多重人格」だったのかな~ぁ?


 でも比較的僕が恵まれているのは、
他の人格に乗っ取られていた時期が固まっていて、
それ以降はほとんど今現在の自分の人格で、身体を支配できているということ。

 ただあれなんですよ~…
今僕「ほとんど」って言いましたよね。

 一度だけ、正気の時に、
自分の人格が入れ替わった瞬間を経験したことがあるのです。

 入院時代だったんですが、
朝ごはんの時間。

 僕は、食べながら普通に、前の席に座っている僕よりだいぶ年上の
「オジサン」と話をしていました。

 ある瞬間、ブゥーン…と、音は立てないですが、
ちょうどVTRのフィルムとフィルムをつなぎ合わせて編集したように、
自分の、中身とか姿勢とかや、周り人たちの反応が不自然に切り替わったんです。
 ある瞬間で、ぷつんと。

 前に座っていたオジサンは、何か怪訝な顔で僕に言おうと
していましたが、僕はそれを遮って、
「今のは僕じゃなーい、僕じゃないんですー」といって頭を抱えました。
おじさんの反応がいっそう怪訝そうになったのは言うまでもありません。

 あの時もうちょっと冷静になれて、
「今僕なんて言いました?」くらいのことが言えたら、
興味深い展開になれたのにな~、と今では後悔しています。

   * * *

 普通だったら考えもつかないような経験ですよね。

 でもせっかくなのでこの経験も脚本を書くときのネタにさせていただきます。

 いや題材としてはかなり面白いですよ。

 でもそれを料理するのは僕な訳で。

 頑張らなくちゃね。

最近の鉛筆…「自分の病気について」

2007年04月27日 02時52分04秒 | 日々つれづれ
 前の記事と病院つながりで、僕の最近の病状を少々。

 だいぶ良くなってきました。
 薬のせいもあるのかいつも眠いなーと思うのが悩みなくらいで、
あとは人よりもバイオリズムの上下が激しいかも知れないと思うくらいで、
かなり普通の人に近くなってきました。

 目が上がることもほとんどないですし。

 【目が上がる】
…この表現の意味が分からない方も沢山いらっしゃると思います。

 「目が上がる」というのは、目の上の筋肉に引きつったように
引っ張られて、目の眼球(黒目)が自分の意思とは無関係に
上へ上へといってしまうという不可解かつキッカイな症状です。

 疲れたり、精神的にストレスをためたりすると現れていました。


 でも最近は、まあ疲れることもそんなにないですが、
外に出て仕事みたいなことをしても(照明の仕事を
1本こなしても!)、目が上がることはなくなりました。

 一体なんだったんでしょうねえ?

 薬の副作用という話も聞いたし、
でも薬を飲まないとなると言う話も聞いたことあるし…

 …もう何がなんだか…

 それにしても父方の伯父と一緒に仕事に行ったとき、
仕事が終わってから目が上がってしまって、苦しんでたら、
その「目が上がる」という姿が奇怪に思われたらしく、
大笑いされました。

 ショックでした。あんなに笑うことないのに…(ToT


 あぁ、それで、僕の正式な病名が分かったんですよ。

 今までは、「突発性混乱状態」とか、
「精神衰弱状態」とか教わっていて、
ああ、じゃあ、自律神経系の病気だったのかな…
などと自分で勝手に納得していたのですが、

 最近、(と言っても去年の末ですが^^;)主治医に改めて聞いてみました。

 なんと、

 「統合失調症」

だったそうです。


 統合失調症とは、昔で言うところの
「精神分裂病」のこと。

 普通の精神では考えられないようなことをしでかしてしまう。

 かなりショッキングな病名でした。


   (つづく?) 

最近の鉛筆。。。「母の病気」

2007年04月27日 02時43分07秒 | 日々つれづれ
 ご無沙汰しております。
 鉛筆カミカミであります。

 最近の鉛筆は、色々と忙しい毎日…

   * * *

 1月程前、母が入院しました。

 元々膠原病という難病を抱えている僕の母。

 入院した原因は膠原病ではなく、
心不全と肺血漿(はいけっしょう)というショッキングな病名でした。

 何しろ1年ちょっと前に亡くなった母方の祖母の死亡原因が、
心不全だったのです。


 あの日、母はあまりに身体の調子が悪いので父と一緒に病院に行きました。

 すると、心臓と肺に水が溜まっていて、即入院せよとのこと。
 入院の準備も心の準備も全く整っていない状態で、
母は否応なしに入院させられました。
 もちろんそれは正しい選択なのですが。

 母が入院している最中に、
先日の記事で書いたオペラの照明の仕事があり、
その期間中はさすがに行けませんでしたが、
それ以外は毎日お見舞いに出掛けました。


 そして心臓と肺に溜まった水も抜け、
退院が決まりました。

 家に帰ってきた時分、母は比較的元気で、
思ったより汚くなっていない家の状況を喜んでいました。

 ところがここのところ、微熱が続いて
今日に至っては、身体中が痛いと言い始めました。

 それは膠原病の症状ではないかと、
同じ病気を持つ叔母が伝えてくれました。

 先日通院した際、なぜか担当の先生は
薬をかなり多く減らしました。

 それが発熱と身体の痛みの原因なのではないかと
叔母は指摘したのです。

 そしてその指摘はおそらく当たっていたようです。

 今日、病院に行って主治医でない若い先生に見て貰い、
薬の入った点滴を注射したところ、痛みはだいぶ和らいだそうです。
 そしてその先生も、たぶん調子を崩した原因は
薬を(不用意に)減らしたせいだろうと認めました。

 そこで、母は現在の担当の先生ではなく、
今日診て貰った若い先生に主治医を代わってもらえないか、
と頼んだそうです。

 すると、私は患者を多く抱えているので、
毎回1時間や2時間待ちになりますよ~
と、やんわりとかわされたそうです。

 ちなみに母が通っているのは大きな大学病院です。

 叔母は研究を怠らないで努力している
若い先生に診てもらった方が絶対にいい、
と言います。

 けれどもなかなかお医者さん同士の関係とか、
いろいろあって思うようにはいかないようです。


 まあ、病院から帰ってきた母は少し元気そうで、
ホッとはしているのですが。