おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

最近の自分の生き方への考察

2019年09月25日 01時50分58秒 | ふりかえり
まさにこの記事は「振り返り」で、自分自身の考えをまとめるために書くものである。

最近の生活は低調で、精神状態はノイローゼ寸前。お金もないので発散することもできない。

食費を削るために、一食コーンフレーク、一食お弁当か外食の、一日2食でなんとかしているくらいである。
あとは、活動すると腹が減るので寝ている。

タイトルから早々にして逸脱してしまうのだが、いまの状態から、人並みの生活に達するにはどうすればいいか、それを考えていきたい。

まずは、経済状態の復旧。

手は打っている。
来月から定時の仕事を始めることになっている。
フルタイムではなくパートタイマーなので、そんなに稼げるわけではないが、いままでのような不安定な経済環境からは、とりあえず脱却できると踏んでいる。

なので、いまはやることがなく、過渡期ど真ん中である。
だから、考え込んでしまうことが多い。

これから、どう生きていくか。

正直、自分の理想とする生き方、自分自身の「夢」みたいなものがなんなのか、わからなくなってしまった。

結局いままでの「夢」というのは、その時点での生き方を擁護するために形作ったものであったことにも気が付いた。

じゃあ、いまの時点でのそれは何なのか。

率直な自分の持っている感覚を述べる。
「ホッとする時間が欲しい」

いまの私は、「安定」を欲している。

本当のところ、いままでの「夢」に向かう生き方は、極めて不安定なのものである。
正直、私の持っている本質からすると向いていないと思わざるをえない生き方だった。

本当の、自分自身の持つ「人間力」を頼りに、生きる。

かっこいいかもしれないが、当たり前だが実際にやるととても難しい。
自分の力で人生を切り開き、毎日の糧を獲得し、明日を思い描いてそれを実現化する。

書き連ねただけでも、「恐怖」に満ちた人生である。
なかなかそうやって生きていくのは、大変である。当たり前だ!と怒られそうだが。

ふと思い出したのだが、私が前職の会社をやめた際に考えていたことを記す。

このまま今いる会社にいても、自分は成長しない。
ただでさえ自分はハンディキャップを背負っているのだから、自分自身の「人間力」を磨かないと、この社会を生きていくのは難しいと思わざるをえない。
健常者と一緒の社会では、一生、健常者に甘えて生きていくことになる。
そんなのは考えたくない。

障がい者なのだから、障がい者雇用の「配慮」の上で、社会を渡っていくことを選べばよかったのかもしれない。

当時は、今ほどはそういった配慮を社会が形として持っておらず、そのことも私の判断に影響を与えていた。

今は、「バリアフリー」が叫ばれ、社会の通念として障がい者への配慮が普通になってきている。
それは社会に触れてみると、確実に感じることだ。

でも、心のどこかで感じてしまう思い。
「じゃあ、それならば、と甘えていいのか?」

精神の障がいは、目に見えない。
そのことも、私の思いに影響を与えている。

強がりである。プライドを、感じすぎなのかもしれない。

「自分はすごい」と思われたいのかもしれない。いや、そうなのだろう。

こんな大変な障がいを克服して社会で成功した!
そんな場面を夢見ていたのも事実だし、それはつまりそういうことだ。

「身の丈」で生きることなのだろう。

自分をよく知り、感覚を感じ取り、やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。
基本中の基本であった。

私個人としては、「やりたくないことをやらない」ことが難しい。

基本自分は「すごい」と思われたいので、そこで「身の丈」が崩れてしまうのである。

「無理はしない。」

「いや」と思うことをしっかりと感じ取ることが、これからの課題なのだと思う。
そして、いや、と思うことはしない。
自分勝手になる、自分を主張する、しっかり意思決定行動を行う。

   *

そして、他者との関わり方も重要課題である。

私の基本的思考の癖は、「すごいと思われたい」ということ。
そのことが原因で、他者と摩擦が生じる。

一平民でいい、ということに満足して生きる。

ここでもそう。
「身の丈」で生きる。判断する。人と接する。

言葉ってすごい。
こうやって、自分の考えを可視化して、見つめなおせる。

また中身の違う他者同士は、言葉を介して意思の疎通をはかれる。

あとは、、、

自分が幸せであることを、いつも感じていることかな。

満たされているものに意識の焦点をもっていって、不満には目を向けない?ことかな。

そして、無理をしないことかな。

   *

そろそろ休むことにする。
また、こういう文章を書きにこよう。

いつか僕は死ぬのだろう

2019年08月15日 00時33分16秒 | ふりかえり
昼間生きている時と寝ている時に見る夢の中で「生きて」いる時は、感覚的には「生きる」ということにおいて変わらない気がする。

これは重要なことで、主観的には、現実にも夢の中でも感じる感覚に変わりはない、ということである。

こんなことを話すことに、意味はない、と考える輩もおるかもしれん。

しかし、そんな輩の考えていることも、角度を変えてみれば私の考えていることと本質的に変わらんと思われる。
だから、自信を持ってこの考えを進める。

ブログ文化、SNS文化が進むことで、文章の書き方も大きく様変わりしてきた。

段落の最初は一文字開ける、なんてのは文章を書く基本であったが、横書き中心、一文字分スペースが一文字でない今の時代に、その考えは馬鹿らしい考えとなりつつある。
なんか納得はいかないのだが、奔流に飲み込まれるいま、細かい考えは簡単に押し流される。

それはそうと、「夢」「生」「死」に対する考え方についてである。

いまこの文章を書いている時点での心理状態があまり健康的ではない気がする。
なので話半分に聞いて欲しい話ではある。

結論から言うと、人は死んだら夢の中の世界に放り込まれるんじゃないか、ということである。
これはあくまで当然だが仮説であり、何の根拠もない。
根拠はないこともないが、絶対的なものでは当然ながらあらず、あくまでこの仮説は「楽しむ」ためのものであることを強調したい。

僕は一度大怪我と大病を同時に負った。
その時の経験が、この仮説を形作っている。

あの頃の状況は、とても自身としてはもどかしいものであった。

まさに夢うつつで、暗黒の世界に突入したかと思えば、急に意識が現れ、自分の行動も認識できる。
しかし行動を制御する理性の力はか細い。

全くもって、自身の行動に自信など持てるはずもなくその前段階の問題で、何の責任を持つこともできそうにない。

ある時を境に、「集中力」が戻ってきて、現実へのアプローチに適格性が復活し、自分の行動に責任の持てる状態になってきた。

いま、僕は一日のの半分以上を睡眠で過ごしている。

そういうサイクルに入ったらしい。
もうこうなったら、腹をくくって自分自身の性質に付き合ってみるしかない。

そんな中でも、何かを残したい、もしくは自身として生きたい、そういった思いから、この文章を書いている。

夏という季節、気候もそのサイクルの到来を後押ししたのかもしれない。

それはそうと、いまはいろんな生き方をする人がいる。

僕は最近関わっているコミュニティの性質上、芸能人的な、ファンを持つ人種と、そのフォロワーに関わることが多くなっている。

そこで僕は、いろんなことを思いながら、その人たちと接している。


ものを書くということは、やはり良い。

自分の考えが形になるし、自分の持つぼんやりとした考えを、深めるきっかけになる。

ワタシの身体

2012年12月04日 00時33分12秒 | ふりかえり
よくぞここまできたもんだ。
今から11年前、26歳の時に発症。
病名は「統合失調症」。いわゆる精神の病気の中では一番重い病気。
発症してから、精神の針が振り切れてから、1週間以上の間は、断片的にしか記憶が残っていない。
わかりやすく言うと、意識は無いのに、動いたり、喋ってたりしてた、ということ。
統合失調症の昔の呼び名は、「精神分裂病」。わからんでもない。
でも生まれる誤解も多いので、今は「統合失調症」と呼びましょう。
いちばん最初に発症して病院に担ぎ込まれ、即入院になってから、3ヶ月で退院し、ずっとリハビリ生活を続け、その中で何とか大学を卒業し、回復し、就職活動を始め、2回の退社を経験し、今の仕事場に入社し、現在3年目。
よくぞここまできた。

これからは、「処理」する仕事の質を上げていきたいな。
その為には、毎日勉強。前向き。貪欲。成長。
そして時折立ち止まって考えること。
豊かな時間の中で、ゆっくり自分と向き合い、自分を育てながら、贅沢な一生を全うしたいと、考えているよ笑。

初恋(!?)~後編

2007年12月16日 00時43分54秒 | ふりかえり
 1年の浪人生活も、終わりにさしかかろうとしていた頃…
 AさんとMくんが一緒に食堂から出てくるのにバッタリ会ってしまった。
 2人は笑いながら話していた。そこにちょうど。
 それぞれ一瞬言葉がなくなった。でも普通に分かれた。それぞれが、行こうとしていた場所にそのまま足を運んだ。その時僕は、空虚な気持ちがしていた。

 Aさんと、Mくんと、僕はそんな関係。
 Hさんは、自分の恋に必死に悩んでいた。
 隣の席に座りあって、楽しそうに話はするものの、いざその未来を見ると、虚しい風が吹き抜けていた。
 だから僕は、春休み、一緒に遊ぼうという約束を守らなかったのだ。
 その先の日々が見えなかったから。
 きっと、4人とも同じようなことを考えていたのだと思う。だから誰も自分から声を挙げなかった。

 1年の僕の浪人生活は、そんな風に幕を降ろした。
 あっ、肝心の大学入試はというと、第1志望とはいかなかったものの、それなりの大学に受かることができた。まったく学力なんて身に付いていなかったのに。ただ自分が得意な問題が、その時出ただけ。本当に運が良かった。でも僕はその頃、プライドだけは高かった。ヘタに中学時代、成績が良かったから。自分が行こうとしていた大学に、その頃の学力としては相応なのに、納得をしていなかった。
 そのことはその後の学校生活に、大きな暗い影を落とすことになる。

<後日談>

 僕が大学に入った後の話。
 中高と6年間、同じ部活で仲間だったkazくんの一人暮らしの部屋に泊まりに行った。
 kazくんは、僕と同じ一浪で、T大学の1年生になっていた。
 部屋の片隅に、T大の入学アルバムを見つけた。それぞれの学部とクラスの、新入生全員の集合写真が載っている。
 それを眺めていた。
 「あっ、この子Aさんに似てる!」
 見つけてしまった。
 もしやと思い、アルバムの最後のほうのページに載っている、集合写真に対応した名簿を探す。
 あった。
 Aさんその人の名前だ。
 「お医者さんになりたいって言ってたけど、結局この学部に入ったんだな」
 医学とは関係ない学部。
 Aさんは二浪だった。そのことを僕が知ったのは浪人生活の後半で、Aさんから聞いたのではなかった。
 僕にとってそれは、とても大変な秘密を知ってしまったように思えて、Aさんとの話題の中で直接聞くこともできず、結局そのまま会わなくなってしまった。
 それにしても偶然って恐ろしい。運命すら感じる。
 その次の日、kazくんと一緒にT大に遊びに行くことになっていた。Aさんを訪ねてみようかとも思った。でも、まだ大きな意味で気持ちは繋がっているけれども、会わない。もう僕にとっては終わったことだった。だから会いには行かなかった。もう一度、写真でも、顔を見れただけで満足してしまっていた(ちょっと強がり?)。
 ただ、その写真が欲しくて、その入学アルバムをくれと、kazくんに頼んだ。いくらなんでも、くれるはずはなかった(笑)。
 その晩は、kazくんがT大で繰り広げている、恋の話題に花が咲いた。
 僕の恋バナも、もうあったんだけどね(笑)

初恋(!?)~中編

2007年12月11日 23時49分28秒 | ふりかえり
 今日は、Hさん編です(笑)。
 でも冒頭は、Aさんの話題から。


 Aさんには男友達がいた。
 昼休みになると、

男友達「ほーちゃん(Aさんのこと)~!一緒に昼飯食べよう~!」

 と、Aさんに大きな声を掛ける。
 あ、この人もAさんのこと好きなのかな…僕は直感でそう思った。
 でも付き合ってるとか恋人同士とか、そういう感じではないようだ。
 その人はAさんも入っている友達グループの中心的存在のようだった。
 「あ、勝てないな」すぐにそう思った。
 僕がAさんと知り合うずっと前からの友達。
 その人に対する、Aさんの自然な態度が僕の心を沈ませた。

 僕は、競争が苦手。
 勝つにしろ、負けるにしろ。
 競争は、最後にはどちらかが必ず悲しい気持ちになる。
 そんなことしなくていいじゃんか。みんな「勝ち」だよ。
 でも、そんな気持ちを持っている僕に、答は出るはずもなかった。

 だから僕は次第にその男友達を避けるようになり、Aさんとは、友達の関係でいることにした。

 そこで浮かび上がってきたのが、Hさんの存在。
 最初は、よく見ると可愛いよな、くらいに思っていた。
 Aさんとの関係がはっきりしない僕の心の隙間に、Hさんの存在はするっと入り込んできた。
 別の友達の後押しもあった。Aさん、Hさんとは反対の右側の席に座っていた男の子で、なぜか僕とHさんをくっつけようと、いろいろ応援してくれた。予備校の帰り道、僕のずっと前を歩いているHさんを見つけては僕のところまで飛んできて、わざわざHさんのところまで僕を引っ張ってくれた。
 そんな強引な作戦が成功するはずもなく、僕とHさんは中途半端な空気のまま、駅で別れた。
 「朝早く来て会わない?」僕はHさんにそんな言葉を伝えたこともあった。
 次の日本当に早く登校した僕に、例のお節介な友達は、その心意気を買って褒めてくれた。
 でもそんな作戦も、中途半端なまま終わった。別に特別仲良くなることもなく、嫌われるわけでもなく。
 そんな頃は、Aさんと僕の仲が良かった。頻繁にノートやカセットテープを貸し借りしていたのもこの頃。Aさんとはこの空気のままでいいや、と思っていた。
 例のハンサム、Mくんとも仲良くなった。彼はいいヤツだった。
 授業の合い間、4人でよく笑って話した。この頃の4人の間の空気は温かくて、今思い出しても仲が良かったな、と思う。
 お節介な友人は、自律神経失調症になって、もう予備校に来なくなっていた。

 僕にはもうひとり友達がいた。僕の右隣に座っている男の子で、内気な、目立たないヤツだったけど、僕とはよく気持ちが通じた。
 次の年に大学に合格してから、僕の学校に遊びに来てもらったくらい、仲が良かった。

 話は戻る。
 僕はその頃、Hさんと付き合うのだと躍起になっていた。
 高校の部活の友達と会うことになっていて、それまでには付き合って自慢するんだ、とか、ただひたすら、「恋人がいる」ということに憧れを抱いていた。
 そんな相手の気持ちを無視した小学生以下の僕に、Hさんがなびいてくれるはずもなかった。
 しばらくして、Hさんに彼氏ができた。
 僕はその時、とても悲しかったけれど、なぜか涙は出なかった。ただ呆然と信じられない気持ちでいた。僕は「絶望」に出合っていた。
 当たり前の結果だったと今では思う。
 僕は、「太平洋から昇る朝日を見るのだ」と、自転車を漕いでひたすら東に向った。なぜだか知らないが、それをしなくてはいけない、と思い込んだ。
 僕は地図も見ずに、自分が本当はどこにいるのかもわからずに、東…千葉の銚子岬を目指した。夜通し走った。真夜中、自転車がパンクした。地図もなく、土地勘も全くなく、真っ暗な道を、僕はただ歩いた。膝が痛くなって曲がらなくなった。でも、不思議と不安な気持ちはなかった。
 少し明るくなってきた。もう千葉県には入ったのだろうか。周りは畑と森ばかり。自転車のパンクを直したい。僕は太陽が昇るのが東だから、そっちに向えば海に着く、そう思って、太陽の方向に歩いた。
 僕は朝早い農家の軒先を覗いた。ひとりのおばあさんが起きていた。そのおばあさんに自転車屋の場所を訊き、パンクを直してもらった。
 そのあと見つけたモスバーガーに入って、久しぶりの食事をとり、そこで仮眠した。店員は、なんだろうこの人、という顔で僕のことを見ていたと思う。
 日が完全に昇ると、僕はもう、銚子岬に行くことはさっぱり諦めていた。
 今度は道路の上にある掲示の矢印を見ながら、東京に戻った。今度は特に迷わず、あっさりと家に着いたんだと思った、確か。
 母親に心配を掛けた。「海を見るの。それを今しなくちゃだめなんだ」それだけ電話で告げて、一晩帰らなかった。

初恋(!?)~前編

2007年12月11日 01時34分31秒 | ふりかえり
 初恋では決してないんですが、僕が高校を卒業して、初めて経験した、恋。
 気の多い僕は、いきなり2人の女の子の間で心を迷わせました。
 ダメダメですよね。
 ひとりはショートカットの似合うちょっとボーイッシュな女の子、Aさん。
 もうひとりは時々眼鏡をかけるけど、眼鏡を外したときの方が可愛いな、と僕は思った…Hさん。
 Aさんはいつも明るくて、可愛い、誠実な性格。
 Hさんは真面目で、少し性格暗いかも?よく悩んでいた。
 どちらも可愛い女の子でした。

 大学受験に失敗し、(滑り止めは受かったけど、蹴った)
 僕は春から予備校通いが決定。
 その初日。
 自分の席につくと、左隣の席には可愛い女の子が。
 ショートカットの似合う、Aさん。ムチャクチャ僕のタイプ。見た瞬間、心の中で、ガッツポーズを作ったものね!この人と、1年間隣の席なのだ。
 その向こう隣を見ると、これまた女の子。この子も可愛い。彼女がHさん。
 そしてその更に隣には男の子。M君とでもしておこうか。まつげが長くて、ハンサム。ううむ。

 Aさんとはすぐに仲良くなった。ノートや、授業中に先生の声を録ったカセットテープを貸し借りした。ほとんど僕が貸す一方だったけど。
 貸し借りをするようになってからすぐ、返ってきたテープに、手紙が入ってくるようになった。
 内容は、いつもノートとテープを貸してくれるお礼と、「勉強頑張ろうね!」というお互いを励ます言葉。その手紙は今でも残っている。彼女らしい読みやすい字体…

 彼女とは1度だけ、自習室で待ち合わせて、一緒に勉強をしたことがあった。
 正直告白すると、その頃の僕はただ予備校に通っていただけで、勉強の内容など、頭の中には全く入っていなかった。
 それでも、意味はわからなくともノートは真面目にとっていたので、Aさんの役に立てた。
 その頃の僕の頭の中にあったのは、恋愛のこと、友達のこと、音楽のこと…それくらい。
 頭の中はAさんのことばかりで、自習には全く身が入らなかったのを覚えている。
 むしろ覚えているのは、ランチでマックに2人で入った時のこと。
 デートみたいなシチュエーションに、僕はカチカチ。
 しかも周りは興味津々の女子高生達。
 その好奇の目を感じながら、僕たちは昼食を終えた。Aさんと何を話したかなんて、全く覚えていない。

 Aさん、Hさん、Mくんと僕の4人は、1年間で本当に仲良くなった。
 帰り近くの空いた時間に、4人でお互いの眼鏡のかけあいをしたりした。
 (眼鏡っ子:裸眼比率=1:1)

 Aさんとは、予備校の壮行会が終わって、予備校に通わなくなった後で、1度、手紙のやり取りをしたことがあった。
 4人が仲良くなったことが本当に良かったと書いてあった。
 最後に、受験終わったらみんなで遊ぼうね!とあった。
 僕は返事の手紙に、「春休みに遊ぼう!」と書いた。

 でも、4人が、予備校以外で会うことはなかった。

 4人の仲は、微妙なバランスの上に成り立っていたのだと思う。

半生のふりかえりその1―お金について

2007年09月01日 18時20分30秒 | ふりかえり
 「ふりかえり」のカテゴリーを作りました。

 これは自分の半生をふりかえって
 分析し、その意味を考え、この先の人生に生かしていこうというものです。

 実は江原啓之さんの本を読んで大いに影響を受け、
 ちょっといろいろ真面目になって考えてみようという気になってしまったのですぅ。

 まだ1冊しか読んでいないので、それほどスピリチュアルな考え方を
身に付けたというわけではないのですが、ちょっと足がかり……。
 きっかけを作りたいな、と。
 今できることを、やってみようかな、と。

 今日はその第一夜。
 テーマは「お金」。いきなり財政面からいきます。


 僕ってあまりお金で苦労したという経験がないんですよね。

 父が結構稼ぐ地位の仕事に就いていて、母もそれほどお金を出すことについて
こだわりというか、出し惜しみをしない性質だった、いや、なので、
小さい頃から欲しいもの、やりたいこと、についてお金の心配をすることは
少なかったです。
 一人っ子ですし。

 食べ物、飲み物も、幼い頃の炭酸飲料以外は(骨が溶けると言われて)
何でも買ってもらえたなあ。

 覚えているのが、小さい頃、小学校5年生くらいかな、
パソコンのゲームを買いに行って、父と、アキバで、
2つ欲しいゲームがあってどっちにしようか迷ってたんですね、ひたすら。長時間に渡って。
 あーんどうしよう、こっちも面白そう、でもこっちも捨て難い……
 なんて言ってたら結局父はもういいっって両方買ってくれたんです。
 余談ですが1つは面白くてもう1つはクソゲーですぐ飽きましたけどね。

 お金に関しては恵まれていました。
 私立の中高一貫制の学校に通わせてもらったし、
 大学も私立で人より多い年数通ったのに嫌味のひとつもなくお金、
出してもらえたし。。。

 そのあたり、甘えていた感はあります。
というか当時は当たり前に思ってましたね。お金に不自由しないことが。
 他の友達と比べて、苦労してないなーと思わないことはなかったのですが、
少し見下していたのか、当たり前に思っていた。

 大学時代は1ヶ月数万のお小遣いを貰っていました。
高い買い物でなければ、例えばCDくらいだったら、買いたかったらいくらでも買えたし、
飲み代にも不自由することは無かった。

 お金をお金と思っていないところがあったことに関して失敗ももちろんあって、
……街で英会話教室のキャンペーンをやっていました。
 それに乗っかって、通いたい!と思ってしまったんですね、調子いいから。
 で、高いお金を出して入学したんです、教室に。
 でも通うのがめんどくさくなって結局フェードアウト。
 高い入学料を最初に払ったまま(月謝制ではない。最初に授業料もいっぺんに払う)、
通わなくなりました。

 それが1度ならず2度。
 似たような英会話教室の誘いに乗って、入学料と授業料だけ払って
ほとんど授業受けないまま行かなくなりました。

 すいません。
 当時(大学1~2年)はお金が自動的に出て来るものだと思っていたところが
ありました。正直なところ。
 簡単に手に入るものだと思っていた。

 「仕事をする」ことと「給料をもらう」ことをものすごく簡単に考えていました。

 恥ずかしいです。

 でも本音を言うと、親もそういうことを教育してなかったんだ、とも思うのです。
 お金に関してこだわるのが恥ずかしいことだと思っていたのかも知れません。親は。

 後から英会話教室事件について母親に訊いてみると、

「なんで(2回も)ほいほいお金出してくれたの?」
「だって英会話は絶対必要だと思ったから」

 ……親心があったのですね。親の心子知らずでした。

 ……でも、どうなんだろうなあーっ!?
 気持ちは分かるけど、難しいところです。


 そういうわけで現在に至るわけですが、
現在も少し親に財政的に甘えています。

 本当は就職したら家にお金を入れようと思っていたのですが、
それも実現していない。。。
 本当にごめんなさいって感じですが、やってみると意外となくなるんですよ、
お金。

 今月は使い過ぎて親にヘルプしてもらっています。
 具体的に言うと、食費だけ出してもらっています。会社の昼休みに食べる食事代も。
 申し訳ないんですが、無いものは無い。

 これからはもっと計画的にお金を使おうと思ってはいます。
 自立しなきゃな。

 そう、これからの僕のテーマは、「自立」です。

 今更な気もしますが、「自立」です。

 とりあえずは定職にも就いたことですし、経済的に完全に自立したいと
思っています。

 食費くらいは全部自分で出したいなあ
 月2万くらいは家にお金を入れられるようになりたいです。

 我慢を覚えよう。
 買う物に関して。

 何が大切か、きちんと考えて行動できるようになりたいです。



 今回はものすごく物質的なテーマだったので、あまり効果があるように思えませんでしたが、

 これからはいろいろ僕を形作っている根本の部分に触れて、
いろいろと考えていこうと思っています。

 自分を磨かなきゃな、と思っています。

 まずは、そこからです。