おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

パートナー

2016年02月13日 13時11分51秒 | コラム・批評・エッセイ
 この記事は、私のパートナーに対する気持ちを綴る。
 今現在、パートナーを持たない人は、読まないことをお勧めします。

 良きパートナーがいることは、私が一人でいる時も、良い空気を作ってくれている。
 一緒にいる時はもちろん気持ちが安らぐし、楽しい。
 けれどそれ以上に私にとってありがたいのは、彼女がいることで私の精神が安定し、一緒にいない時でも彼女を感じ、安心して自分の時間に没頭できることである。

 逆にそれが危うくなった時は、酷い事になる。
 ケンカした時などは、精神的に不安定になるし、何に対しても集中できなくなる。
 彼女の有難みが分かる瞬間である。

 人は一人では生きられない。
 人生は二人一緒にいることで動き始める。

ゲーム

2016年02月13日 11時01分59秒 | コラム・批評・エッセイ
 私は、テレビゲーム世代である。
 小学校高学年の頃に、任天堂のファミリーコンピュータ―が登場した。
 しかし私は、ファミコンは買ってもらえなかった。MSXという、パソコンとファミコンのアイノコみたいな、非常に中途半端な立ち位置のハードを手に入れた。
 だから私は、スーパーマリオすら友達の家以外ではやったことがなかったし、ドラクエも、リアルタイムではプレイ出来ず、相当経時間が経った後の、MSXへの移植版をようやくプレイした。
 ドラクエについては、今は携帯のアプリで移植版が出ているので、そちらでも遊んだ。ただ、携帯のゲームについては、操作性の問題で、ちょっとストレスが生じるのが気になっている。

 私のNO.1ゲームといえば、セガサターンのRPG『グランディア』である。なんといっても戦闘システムがよく出来ていて、飽きない。ストーリーも、当時として秀逸だった。物語のヒロイン・フィーナが主人公・ジャスティンの元を去った後、はるばるジャスティンのことを励ましにやって来た、幼馴染みスーの「ジャスティン!」の台詞は、寒気モノで、耳を離れない。テーマも当時としては深いものだと感じた。人々を滅ぼそうとする、最後のボスのネーミングが、『ガイア』というのに、感慨を覚えたものである。

 私は昔から、ゲームを作りたいという夢を持っていた。
 ストーリーや、キャラクターは勿論、できたら絵も音楽もオリジナル。ゲームバランスを取るのが一番難しいことに、作り始めてから気付いたが、その話は置いておく。
 むかあし、恵比寿にあるゲームクリエイター学校に入ろうとしていた時期があった。結局、そこに入学することはなかったが、その頃の魂は、今も脈々と自分の中に息づいている。
 難しいプログラミングをすることなく、ゲームを作るアプリが、今は存在するので、それを利用して作っている。
 昔は、それこそ学校に入ろうとしていた当時は、ゲームのプロデューサーになるのが夢だった。ゲーム制作を、自分の仕事にしたいと思っていた。
 しかし今はその気持ちはない。アマチュアでいいと思っている。
 仕事と夢が一致することは、極めて稀であると考える。その話題については、また今後も触れていきたいとは思っているが。

宣言

2016年02月12日 00時13分47秒 | わーく
 今日から私は、生きることを綴りたい。
 無意識を意識上に載せる作業を、このブログ上でやっていきたい。
 私は統合失調症という病気の患者である。
 その病気を持った私は、社会の中で何をしていけば、生きた意義を持てるのか。
 また人間として、日本人という民族の一員として、生きる為の義務を果たせるのか。
 それを文章にして、綴っていきたい。

 一日目。今晩は、仕事について、語りたい。
 と言っても、堅苦しい話ばかりではいけない。それでは、私も、読者も続かない。これ愚痴じゃん、そう思われる方もいらっしゃるかもしれないが、お付き合い頂きたい。

 私は今日まで、二度の転職をした。そして今、三度目の最中である。
 三回目の就職先が、一番長く続いた。五年と少し。
 と言っても、その道中は、平坦な道のりではなかった。会社のやり方や、上司に反発し、不平不満を募らせ、会社を長期にわたって休んだのは、一度や二度ではなかった。
 その度に、反発した上司のそのまた上司になだめられ、就労支援者や、主治医にアドバイスをもらって、仕事場に戻り、同僚に謝罪し、まあ何とか五年続いた形となった。
 今の気持ちを正直に述べると、もっと早く辞めればよかった、である。散々いろんな方々に迷惑を掛け、お手数をお掛けして、その結果が「もっと早く辞めればよかった」……最悪である。
 社会には、特に仕事に纏わる人の間には、多くのしがらみがある。それに囚われてしまった形。特に職場の上司の意向に、悪い言い方になるが、惑わされた、といった形となった。
 まあ必要とされることは大変有り難いことであるが、職場環境が悪過ぎた。正直、辞めてようやく「人間の感情を取り戻した」といった感がある。

 障碍者が仕事をする、という場面には、様々な問題が生じる。
 私は、その原因を、障碍者の入った人間関係の特殊さ――健常者同士のコミュニケーションの形と、障碍者の形作るやり取りの間の「ズレ」――そこに見出している。

 というところで、今夜はおひらきとしたい。
 明日も続くか分からない。話題も続くか分からない。ないないずくしで煙に巻き、今夜は失礼といたします。

しあわせって

2016年02月09日 12時02分53秒 | 詩集・つれづれ
しあわせって、なんなんだろう?

しあわせ……それは、ひたるもの。
周りの環境が、幸せな気持ちを作ってくれる
例えばそこがお風呂だとしたら
私は 幸せなお風呂の時間の為に、自分が納得のいく掃除をしなければならない
周りの人が 素敵な石鹸を、シャンプーを、手ぬぐいを作ってくれている
でも、それを見付けるのは 自分なんだな。
そこに繋がる縁を作り続けるのは 自分自身だ
世界を「冒険」して 自分に合った、必要なものを集めてくる
それを揃えて配置し、自分用にカズタマイズや成長をさせる
そうして、それらの結果として、素敵な入浴が実現される
それが、幸せな時間の作り方だ

家族も、仲間も、素敵な時間の中にいる自分に、吸い寄せられてくるものだと思う
勿論、人間関係の勉強はしなくちゃだめだっ!!
でも、一番大切なのは、シッカリとした自分自身
そうである限り、人と人とのあいだの気持ちは自然、整えられる
そして、感謝も大事でさあ。
今いる仲間も、家族も、隣にいる連れ合いも、
当たり前で一緒にいてくれる人間は、一人として存在しない
その認識を心の中から失った瞬間、キミは不幸を迎える

幸せは、一時間続いたジェンガだ
ほんの少しの失敗で簡単にバランスを失い
瞬時に、文字通りバラバラに崩れる

しかし私は、そんな しあわせが いまの問題をクリアし、
世界中 全ての人の心の中に訪れることを祈っている。
本当に祈っているよ。